しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

家路を急ぐ私

昨日は職場の送別会で、この日記はお休みしました。

酔って意識がもうろうとした状態で書くと、経験上、支離滅裂な文章になるからです‥‥。(苦笑)


さて、今日の日経新聞「データCLIP」は、

「仕事後の寄り道 月1.1万円」というタイトルで、次のようなことが書かれていました。

『仕事後に寄り道をして時間をつぶす「フラリーマン」は、帰宅前にいくら消費しているのか‥‥。

 SMBCコンシューマーファイナンスが30~40代の男性447人に聞いた調査によると、

 仕事後に「ブラブラ寄り道をしながら帰る」との回答は54.1%。

 寄り道で使うお金は月平均1万1千円だった。

 合わせて聞いた同世代の毎月のお小遣い、約3万円のうち3分の1にあたる。

 寄り道先として最も多かったのがコンビニの59.9%。

 同社は「食事をしつつ、カフェスペースで時間をつぶす人が多い」とみる。

 本屋(31.8%)や家電量販店(18.2%)も人気が高く、

 立ち読みや家電をみるうちに、財布のひもが緩む人も多いようだ。

 働き方改革で帰宅時間を早める企業が増えるなか、

 すぐには帰宅したくない男性の消費が静かな盛り上がりを見せている。』


う~む、なるほど‥‥。寄り道にそんなにお金を使うものなのですか‥‥。

そうすると、午後5時15分に終業の庁内放送が流れると同時に、脱兎の勢いで職場を出て家路を急ぐ私は、

個人消費の拡大に全く貢献していないことになります‥‥。

でも、そうかと言って、お金は私にフレンドリーではなく、いつの間にか財布の中身は空っぽになっています。

はぃ‥、それはそれとして、私のように寄り道もせずに帰宅するサラリーマンは、

フラリーマン」ではなく、何と呼べばいいのでしょう‥‥?「脱兎(ダット)マン」‥‥??


追記

今日は風が冷たくて寒い一日となりました。明日はお昼に、高校の同期会が予定されています。

酔っ払って帰ると、またこの日記をお休みするかもしれません‥‥。

定年退職後の就労と健康

春分の日の今日は、日中、気温が20℃を超えて、初夏のような陽気となりました。

庭の草むしりをしていると、鳥のさえずりが聞こえたので、上空を見上げると、

電線にツバメが止まっていました。その姿を見るのは、例年よりも一か月も早いような気がします。


さて、今月17日の日経電子版「ヘルスUP」に、

「定年退職後も働く人は、働かない人よりも健康で長生きだ」として、次のようなことが書かれていました。

『定年退職といえば、これまでは60歳が一般的でしたが、今は、それ以降も働く人が増えています。

 慶應義塾大学の岡本翔平氏らは、日本人男性を対象として、

 60歳以降も仕事を継続している人とそうでない人の、

 死亡と認知機能低下、脳卒中、糖尿病のリスクを比較する研究を行いました。

 その結果、就労が健康に利益をもたらす可能性が示されました。

 この研究は、一般に公開されている全国高齢者パネル調査の情報を利用しています。

 岡本氏らは今回、分析対象を60歳から75歳までの男性にしました。

 この年代の男性に限定したのは、60歳以降に賃金労働をしている女性は男性に比べかなり少なく、

 男女問わず75歳を超えて働いている人も非常に少なかったからです。

   ~ (中略) ~

 非就労者、就労者のなかで、追跡期間中に死亡、認知機能低下、脳卒中、糖尿病

 (これらを「イベント」と呼びます)を経験していた人の割合を比較すると、

 就労者のほうが死亡した人は少なく、認知機能の低下を経験した人と、

 脳卒中を発症した人の割合も少なくなっていました。

 ただし、糖尿病発症者の割合には差がありませんでした。』


う~む、なるほど‥‥。就労は健康に利益をもたらすのですね。

確かに、働いていると、早寝早起きで、規則正しい生活を送れることは間違いありません。

ただ、最近の私は、認知機能の低下のせいか、

もうすでに2つ以上の仕事を同時にこなせなくなっています。(トホホ)

それと、私の父のように、あまり病気もせずに長生きするのは、

家族や社会に負担をかける度合いが少なくて結構なことなのですが、

そうでない場合は、長生きはかえってリスクになるような気がしています。


いずれにしても、今の私は、その「命というものの仕舞い方」を、

間もなく91歳になる父から、身をもって教えてもらっている毎日です‥‥。

偉大な精神と良き地球市民

町立図書館で借りていた『古典力』(齊藤孝著:岩波新書)と

『ハーバード日本史教室』(佐藤智恵著:中公新書クラレ)を読了しました。

明日が返却期限なので、取り急ぎ、読書感想文を書くことにします。

結論から言うと、二冊とも読み応えのある良書でした。

以下、印象に残った記述を、この日記に書き残しておきたいと思います。


まずは、『古典力』から‥‥。

・「偉大な精神」に触れること。これこそ古典の味わいの方の王道だ。

 一つひとつの思想や主張の内容ではない。精神の偉大さがすみずみにまでしみ透っている。

 細胞の一つひとつにDNAが入っているように、作品の細部にまで精神の遺伝子が入っている。

 言葉のもちうるDNAが作品に込められている。

・形だけの謙虚さは、自己保身であることが多い。

 本当に偉大なものを知る者こそ、本当の意味での謙虚さを身に着けることができる。

 表面上、謙虚なものの言い方をするかどうかは問題ではない。

 古典力は真の謙虚さを教え、その分、同時代人に対する恐れや引け目を減らし意欲の持続を助ける。


次に、『ハーバード日本史教室』です。

ハーバード大学の教員が教えているのは、良きアメリカ人になるためだけではなく、

 良き地球市民になるための教養です。だからこそ、アメリカ以外の国の文化や歴史について学ぶことは

 とても大切なことなのです。(デビッド・ハウエル教授)

・日本の強みは、世界の国々から良い制度や文化を取り入れて、自国のものに発展させていく能力です。

 中国、韓国、他のアジアの国々と比べても、圧倒的に優れていると思います。

 現在の課題は国のゴールがわからなくなってしまったことだと思います。

 日本は戦後、経済大国となりましたが、その成功が逆に「ゴールの欠如」という課題を生んでいるのです。

 (アルバート・クレイグ教授)

・私は日本が今後も「世界の良心」であり続けることを願います。

 日本の平和主義が、戦後、アメリカに強制されたものだったことは事実です。

 しかし、日本は世界有数の経済大国となり、

 軍事力を増大できるだけの資金や技術を持っているにもかかわらず、平和主義を貫き続けてきました。

 「どれだけ経済が成長しても平和主義を維持することは可能だ」ということを

 日本の歴史が証明しているのです。(サンドラ・サッチャー教授)


この二冊を関連付けて、私なりの感想を一言で表すと、

「古典という偉大な精神に触れつつ、良き地球市民としての教養を身に着けるべく努力すること」、

このことの大切さを学べたと思います。

古典力 (岩波新書)

古典力 (岩波新書)

ハーバード日本史教室 (中公新書ラクレ)

ハーバード日本史教室 (中公新書ラクレ)

昨日の続きです

昨日の続きです‥‥。

今日は、昨日18日の愛媛新聞一面コラム「地軸」の全文を引用させていただきます。


『「あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら/

 わたしはもっとちゃんとカバーをかけて/神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう」

 米国の女性詩人ノーマ・コーネット・マレックさんが、幼い息子の死を悼んだ詩。

 その切なさに文字がにじむ。2年前岩手日報の新聞広告に掲載された。

 明日が来るのは当たり前ではないと知った東日本大震災

 「3月11日を、すべての人が大切な人を想う日に」と呼び掛けていた。

 津波の爪痕を痛々しく残す岩手県大槌町で、

 胸がえぐられるような後悔を語ってくれた若者の声が、繰り返し耳によみがえる。

 「『ありがとう』となぜ伝えなかったんだろう。あなたは大切な人をいま、大切にしていますか」

 随筆家の若松英輔さんは、昔の人は「かなし」を悲し、哀しだけでなく、

 愛し、美しとも書いたとして、その心情に心を寄せる。

 「悲しみとは、痛みの経験であると共に情愛の源泉」であり、

 人は悲しみを生きることによって、より豊かに他者を愛することができると。

 「最後だとわかっていたなら」の詩は続く。

 「微笑みや 抱擁や キスをするための/ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと/

 忙しさを理由にその人の最後の願いとなってしまったことを/

 どうしてしてあげられなかったのかと」

 きょう彼岸入り。もう会えない人の魂と語り合い、いまを生きる大切な人に向き合うとき。』


愛媛新聞の「地軸」は、体言止めの多用と「上から目線」に、時に閉口することがありますが、

昨日のコラムは、ノーマ・コーネット・マレックさんの詩と若松英輔さんの言葉を

絶妙に引用されていて、「彼岸入り」という日が持つ意味を、

読者に立ち止まって考えさせるような、そんなコラムだったと思います。

(偉そうなことを言ってスミマセン‥‥)


さて、今日は、朝から本降りの雨でした。

年度末・年度始めと、なにかと落ち着かない日々がこれから続きますが、

心のバランスを失わないように気を付けたいと思っています。

「彼岸入り」の日のコラム

今日18日の朝日新聞一面コラム「天声人語」と愛媛新聞一面コラム「地軸」は、

それぞれ「彼岸の入り」に関連した内容でした。

書かれていた内容は、当然のことながら違っていたけれど、

どちらのコラムも胸を打つものがありました。

今日の日記では、まず「天声人語」の全文を引用させていただきます。


『「おなかいっぱい食べさせられなくて、ごめんね」。

 そんなお詫(わ)びのメモを残して20代の母親が

 3歳の息子とともに亡くなるという事件が6年前、大阪市であった。

 家に冷蔵庫はなく、残された食べ物は食塩だけだった。

 奈良県田原本町の安養寺住職、松島靖朗(せいろう)さん(43)は、この事件に衝撃を受ける。

  いまの日本にそんな悲劇があったのか。

 寺にあったお供えの菓子類を箱に詰め、大阪市内の子育て支援NPOを訪ねた。

 紹介された家庭にお供え物を月ごとに送るようになった。

 気づいたのは、世の中から孤立し、困窮している家庭の底知れぬ多さ。

 知り合いの住職に「お供え物が余っていたら送ってもらえませんか」と声をかけた。

 立ち上げたのがNPO「おてらおやつクラブ」だ。

 お寺で余ったお供え物を、貧困に直面したひとり親家庭に届ける仕組みである。

 宗派を超えて1100もの寺から賛同を得て、毎月1万人の子どもにおやつが届くようになった。

 きょうは彼岸の入り。お盆や年末年始と並び、お寺への供物が増える時期である。

 賞味期限が迫り、もてあます品もあると聞く。

 「近隣にお裾分けをしたり、果物をジャムにして保存したり。

 それでも食べきれないことがあり、もったいない限りです」

 お供え、お下がり、お裾分け‥‥。

 折々にお寺へ届けられた善意が、人々の手をへて、子どもたちのおなかを満たす。

 お供えをした側も本望ではないか。

 格差が痛ましいまでに広がる昨今、時代に即した救済の知恵である。』


社会における正義とはなにか‥? 

こうしたことを考えさせてくれるコラムに出合えるから、やっぱり私は、

紙面上の主義・主張は乗り越えて、朝日新聞の「天声人語」を読み続けるのです‥‥。