しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

悩むよりも先に

超大型の台風21号が遠ざかって、今日は久しぶりに晴れ間が広がりました。

台風と選挙が重なり、国や地方自治体など関係者の皆さんは、

災害対応や選挙の管理執行等で大変だったと思います。お勤め、お疲れさまでした。


ところで、話は全く変わりますが、

ここ数年、中途覚醒や早期覚醒といった不眠症に悩んでいる私ですが、

この一か月は不思議なことに、夜中にトイレに起きるのが1回で済むことが多くなりました。

どうしてなのかな‥‥?と考えてみたところ、

・このところ仕事が忙しくて、いつの間にか勤務時間が終わっていること。

・その一方で、休日は、「えひめ国体」や阪神タイガースの応援など

 スポーツ観戦をしたり、映画館で話題の映画を観たり、漢方薬草湯に浸かっていること。

‥‥などが思い当たります。


う~む‥‥。要するに、公私ともに適度に忙しく、適度に疲れているからかな‥?

生きていく上では、いろいろと心配事は尽きないけれど、

あれこれ悩んで悶々とするよりも、まずはひとまず行動に移すことが大切なのかもしれません。


あっ、そうそう‥‥。「悩む」といえば、哲学者の池田晶子さんは、

次のようなことを述べられていました。

『人が悩むのは、きちんと考えていないからにほかならず、

 きちんと考えることができるなら、人が悩むということなどは、じつはあり得ないのである。

 なぜなら、悩むよりも先に、悩まれている事柄の「何であるか」が

 考えられていなければならないからである。「わからないこと」を悩むことはできない。

「わからないこと」は考えられるべきである。』


おっと‥。もうこの辺で止めないと、考え過ぎて夜中に覚醒しそうです‥‥。(苦笑)

風雨の中を投票所へ

今日は衆院選挙の投票日‥‥。ところが、今日も朝から雨が降り続いています。

う~む、弱ったな‥‥。

指定の投票所までは、徒歩でわずか200mの距離なのに、なかなか身体が動きません。

そんな思いを抱いて日経新聞を眺めていたところ、「社説」に次のようなことが書かれていました。


『報道各社による各党の獲得予想議席の報道で大勢が明らかになり、

 選挙戦への関心がすっかりしぼんでしまったのは確かだ。

 小選挙区はすでに行方が見えており、自分の票が選挙に影響を及ぼす可能性は低いので

 棄権しようと考える人がいるとすれば、事前の予測が外れた例をあげよう。

 大平正芳首相が一般消費税の導入を掲げて戦った1979年の衆院選と、

 橋本龍太郎首相の退陣につながった98年の参院選が代表例だ。

 いずれも自民党勝利の予想がくつがえった。

 もうひとつ指摘される棄権の理由は、

 政党や候補者の政策の違いや自分の利益になるかどうかが判断できないためである。

 こんどは自民・公明両党、希望の党日本維新の会、共産・立憲民主・社民各党の

 3極の構図になったことで分かりやすくなったはずだ。

 まして小選挙区と比例の2票を持っている。

 使い分けるかどうかはともかくとして、権利を行使しない手はない。

 棄権とは多数派に国の将来を無条件でゆだねることである。

 そんな「お任せ民主主義」とは決別したい。』


「お任せ民主主義」ですか‥‥。それはちょっと‥‥。

これでようやく足が投票所に向かうことになりました。

投票を済ませ、投票所を出ると、地元民放のスタッフが出口調査を行っていました。

声を掛けられて、私もアンケート調査に協力することにしました。

小選挙区比例代表の投票先、今回の選挙で何を重要視したかなど、

質問が10項目あったと記憶していますが、私としては「筋は通した」回答になったはずです。


先ほどの「社説」には、

『平成から次なる時代へ、10年代から20年代へ、

 日本政治の方向性が固まる節目の選挙である。』とも書かれていました。

超大型台風21号が接近していて、雨・風とも強かったけれど、

やっぱり投票所に足を運んで良かったと思っています。

あらためて点検

この一週間、ほぼ毎日のように雨が降り続いています。

おまけに、明日、明後日にかけては、超大型の台風21号までやってきそうです。

そんな雨の日の今日は、漢方薬草湯「元気人村」に行ってきました。

毎月、第二・第四土曜日には薬草湯に浸かって、

心と身体をリフレッシュすることに決めたのですが、

先週の第二土曜日は、甲子園球場での阪神タイガースの応援を優先したところです。


さて、話は変わりますが、昨日のこの日記で、

『いよいよ明後日は衆院選挙の投票日‥‥。

 私心なく、国家のために身を捧ぐ候補者に、私は一票を投じたいです。』と書きました。

ところが、よくよく考えてみると、

私が住む選挙区には、そのような価値判断に該当する候補者が一人も見当たりません。


どうしようかな‥? セカンドベストで選ぶしかないのかな‥?と思っていたら、

今日21日の朝日新聞「社説」に、次のようなことが書かれていました。

『 ~(略)~ 投票日が目前に迫ったこの週末を、候補者や政党の言葉を、

 あらためて点検する機会にしてはどうだろう。

 地に足のついた説得力をもっているか。訴える政策は歴史の評価に堪えるものか。

 人びとの心の奥にある不安や葛藤を想像する力をもち、まっすぐ向きあっているか。

 そして、それを自分自身の言葉で語ろうと、もがいているか。

 もし疑問やしっくりこない感じを抱いたら、それを大切にしよう。

 なぜなのかを考え、ワンフレーズの向こうにある、その候補者の真の姿を、

 少しでも見きわめるようにしたい。』


はぃ、分かりました‥‥。

今からでも遅くないので、候補者の主義・主張を「あらためて点検する」ことにします。

私心なかりしか

日経新聞では、日本取引所グループ最高経営責任者・斉藤惇さんの

私の履歴書」の連載が続いています。

その第19回目の今日の内容は、斎藤さんが社長として就任し、

2003年4月に発足した、産業再生機構のことについて書かれたものでしたが、

読み進むうちに、次の箇所で目が留まりました。


『 ~(略)~ 業務の力点を買い取った債権管理ではなく企業再生に置く以上、

 スタッフにも特別の知見や技量が必要となる。

 準備段階の再生機構には銀行から多くの出向者がいたが、

 「これは違うな」と直感して銀行に帰っていただいた。

 そのかわりに、コンサルティング会社や監査法人、法律事務所などから

 幅広く人材を募ることにした。

 ピーク時には200人をゆうに超える人員が、様々な再生プロジェクトを抱えて働いていた。

 再生機構は5年間で活動を終了して解散することが決まっていた。

 しかも、公的な組織なので給料もたいしてはずめない。

 そんな所に年俸1億円ともされる専門家が結構、来てくれた。

 「一体、なぜ?」。何度か尋ねたことがある。

 「国が大変な時なのだから、プロフェッショナルとして力を尽くすのは当然」。

 彼らの答えはほぼこんな感じだ。私心というものがなかったのだ。』


う~む‥‥‥。思わず背筋がピンと伸びました。

国難に際して、国を支える」という、ブロフェッシナルとしての志の高さに脱帽です。

まるで稲盛和夫・京セラ名誉会長の『動機善なりや 私心なかりしか』の世界のようです。


さて、いよいよ明後日は衆院選挙の投票日‥‥。

私心なく、国家のために身を捧ぐ候補者に、私は一票を投じたいです。

「それ」は何??

久々に、「折々のことば」からです‥‥。


今日19日の朝日新聞「折々のことば」は、哲学者・森口美都男さんの

『それなしで人が生きていけないものについて考えるのが、哲学です。』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。


『カント哲学の研究者だったわが恩師が、学生を諭す時によく口にした言葉。

 それなしで生きていけないものには、家族や社会、

 さらに愛や掟(おきて)や信仰といったものもあろう。

 私は「知」の根拠を問うことから始めたが、

 やがて衣服も間違いなくその一つだと思い、一時期その主題にのめり込んだ。

 別の教授からは「世も末だ」と言われたが、私は師の教えを守ったと今も思っている。』


う~む、なるほど‥‥。

哲学って、「それなしで人が生きていけないものについて考える」学問だったのですね。

でも、改めて「それなしで人が生きていけないものについて考える」と、

これが意外に難しいことに気が付きました。

私にとって、「それ」は何なのか??

「水」や「空気」など、人が生きていくうえで必要不可欠な物理的なものはさておくとして、

「それ」は、例えば、「家族」?それとも「座右の書」?


そういえば、安岡正篤先生が、

『活眼活学』(PHP研究所)で、次のようなことを書かれていたことを思い出しました。

『これは非常に深い問題であるが、自分は何か信仰・信念・哲学を持っておるかどうか。

 これは一番人間としての根本問題である。

 その人から地位だの、名誉だの、身分だの、報酬だのというものを引いてしまう、

 あるいは、親子だの、妻子だのというものを引いてしまうと何が残るか、

 何も残らぬということではいけない。

 一切を剥奪されても、奪うべからざる永遠なもの、不滅なものが何かあるかという時、

 答えられる人間にならなければならない。

 それはつきつめたところ、何らかの信仰・信念・哲学というものを持っておらねば

 能わぬことである。』


この安岡正篤先生のお言葉から判断すると、

「それ」なしで生きていけないものの一つが「哲学」であり、

そうしたことを考えるのが「哲学」であるということ‥‥。

再び、う~む‥‥‥。

「生きる」ということが、ますます分からなくなりました。(トホホ)