しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

あぁ‥情けない

せっかく今日の日記を書いていたのに、

自分の操作ミスで、書いた内容が跡形もなく全部吹っ飛んでしまいました。

もう一度最初から書き直す気力と体力は、今の私にはありません‥‥。

あぁ‥‥情けない。ふて腐れて、今日はもう寝ることにします。(トホホ‥‥)

心のふるさと

母校の早稲田大学校友会から、隔月で「早稲田学報」が送られてきます。

その6月号の巻頭エッセイの執筆者は、脚本家・映画監督の北川悦吏子さん(84年一文卒)、

「人生の大事なことは、全てここで学んだ」という題で、次のようなことが書かれていました。


『早稲田には、私の青春と、全部が詰まっている。

 1980年、私は高校3年生で、「打倒早稲田」と書いて机の前に貼り、受験勉強に励んだ。

 早稲田に行けば、何かがあると思った。私は、夢を追いかけていた。

  ~ (中略) ~

 人生の一番濃い時期が私にとっては、大学時代だった。

 娘が早稲田に今、通っている。彼女の青春の輪郭を、私は知らない。

 私の頃とは、ずいぶん違うんだろうなあ。

 でも、「集まり散じて 人は変われど~」というあのフレーズ。今聞いてもジンとくる。』


「早稲田には、私の青春と全部が詰まっている」という北川さんのエッセイを読んで、

大学時代を何もかも中途半端に生きてきた私は、とても羨ましく感じました。

今、振り返ると、貴重な大学時代を、もっと有意義に過ごすべきだったと反省しています。

ただ、『「集まり散じて人は変われど~」というあのフレーズ。今聞いてもジンとくる。』は、

私にも同じ感情があります。

「早稲田」はこの私にも、「心のふるさと」であることは間違いありません。

ちょっと気がかり

今日の日経新聞「迫真」に掲載された

『沸き立つラグビーW杯(1)~「一生に一度」販売盛況』という見出しの記事を興味深く読みました。


記事によると、今年9月に開幕するラグビーワールドカップ(W杯)日本大会のチケット収入の見込みは、

2019年3月時点で290億円で、

この額は02年サッカーW杯日韓大会の入場料収入約250億円を上回るそうです。


また、ラグビーW杯は、五輪やサッカーW杯と違って開催国の黒字化が難しく、

収入の柱であるテレビ放映権料やスポンサー収入のほぼ全額を

国際統括団体ワールドラグビーが持っていくため、

大会組織委員会の主な食いぶちは入場料収入だけだとの解説もありました。


記事を読む限りでは、「誠にご同慶に堪えません」と言いたいところですが、

スポーツの中でもラグビーが大好きな私には、ちょっと気がかりなことがあります。

それはなにかというと、日本代表候補選手も数多く合流しているスーパーラグビーの「サンウルブズ」が、

ここ数試合、まったく勝てていないという事実です。

このままだと、目標とするラグビーW杯でのベスト8入りが難しいのでは‥‥と心配しています。


選手の皆さんの、最後のひと踏ん張りを期待したいと思います。

錨をおろす

今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、坂本千明さんの

『八年かけて少しずつ、たぶん私は諦めたのだ。人生の不公平を。いたたまれなさを。』という言葉で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


イラストレーターの随想「錨(いかり)」(筒井大介編「あの日からの或る日の絵とことば」所収)から。

 自分よりしっかり者だったのに震災直前、病で逝った友。被災を免れた青森の両親も、

 東京でともに余震に怯えた猫も喪って、足もとの覚束ない日々を送る。

 彼らの不在が静かに身に沁み入る中、独りこう思う。

 生きている限り「たとえじたばたしてでも錨は自分でおろすしかない」と。』


う~む‥、「錨を自分でおろす」ですか‥‥。

なんとなく、その言葉の重みが、私にも分かるような気がします。

でも、それは決して「諦観」というニュアンスだけでなく、「覚悟」とその先の「何か」を感じさせます。

理解を超えるもの

雨模様の空の下、強い風が吹き荒れた今日一日でした。


さて、かつて朝日新聞一面コラム「折々のことば」で、鷲田清一さんが、

寺山修司さんの『幸福論』(角川文庫)に出てくる、とある接客業の女性の

「ひとりで幸福になろうとしても、それは無理よ」という言葉を紹介されていたので、

通勤電車の往復時間を利用して読み進めていたところ、先日になって、ようやく読み終えました。


この本で寺山さんが書く文章は、私にとっては難解でしたが、

それよりもむしろ、寺山さんが引用した言葉の方が印象に残りました。それは例えば、

「幸福とは幸福をさがすことである」(ジュウル・ルナアル)

「地上における人間の使命は記憶することである」(ヘンリー・ミラー)

「必然ということばは社会的であり、偶然ということばは個人的である」(ノーマン・メイラー)

「私たちは、あらゆる意味において、私たちの作り出すものの中にしか、私たちの諸行為の向こう側にしか、

 存在することができない」(E・M・シオラン)


いや、もちろん、寺山さんの言葉にも、この日記に書ききれないほどの印象に残る記述がありました。

・書物はあくまで「時」という名の書斎と、「教養」という名の椅子、

 それに少しばかりの金銭的余裕をもちあわせている人生嫌いの人たちに、

 代理の人生の味わいを教えてくれるだけである。

・幸福と肉体との関係について考えることは、きわめて重要なことである。

 なぜなら、一冊の「幸福論」を読むときでさえ、問題になるのは、

 読者の肉体のコンディションということだからである。

 たとえ、アランやヒルティの「幸福論」にしたとて、病弱の読者とアメリカン・フットボールの選手では、

 まるで受け取りかたが違う。それが侮蔑の書となるか、なぐさめの書となるかは、

 読者の状況によって決まるとも言えるのである。


う~む‥‥。ちなみに、この本の最後は、「幸福ですか?」という問い掛けで終わります。

「ますます」というか、「さっぱり」というか、「やっぱり」というか、

「幸福」について考えるときには、私の理解を超えるものがあります‥‥。

幸福論 (角川文庫)

幸福論 (角川文庫)