しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

パジャマで過ごした一日

薬の副作用なのか、外のお天気のように体調が不良で、

買い物にも出かけることなく、今日は終日、パジャマ姿で過ごしました。

明日から仕事なのだけど、「めまいが治まらなかったらどうしょう…」とか、

「急にめまいが襲ってきたらどうしょう…」とか、今から心配しています。

 

ほぼ一年間、毎日欠かさず取り組んでいた朝のテレビ体操も、

先週は全くやる気になりませんでした。

落ち込んでばかりでは駄目だと思い、

なんとか気力を振り絞って、明日のお昼のお弁当に入れる卵焼きを、

先ほど作ったところです。(苦笑)

 

体調不良の時には、メンタル面もネガティブになるものですね……。

今日は、これくらいして…、明日こそポジティブな日記を書きたいと思います。

上手に迷惑をかける

NHKテレビテキスト・100分de名著『維摩経』を読了しました。

番組講師は、如来寺住職で相愛大学教授の釈徹宗さんでした。

いつものように、テキストのなかで印象に残った箇所を

次のとおり抜き出してみました。

 

仏教は「智慧」と「慈悲」の獲得・実践を目指す教え。

 自分というフィルターを通さずにものごとの本質を見る「智慧」と、

 目の前にいる他者に対して、たった一人の我が子のように寄り添う「慈悲」。

 このどちらが欠けても仏教は成立しない。

・人は「自分が正しい」「自分が優れている」といった自信を持ったとき、

 見えなくなるものがある。

 自分が秀でていると感じている領域にこそ落とし穴がある。

・自己の内面に目を向け、まずは自分の都合を消し去り(自己分析)、

 さらに相手の心を知ろう(他者観察)としなければ、

 人に何かを伝えることはできない。

・なにかに固執し、なにかにしがつくことで、苦悩は発生する。

 だから、すべての本性は「空」であるという立場に立つことで、苦悩を滅する。

 われわれは自分の都合というフィルターを通じて、ものごとを認識している。

 だから、いつも認識が歪んでいる。認識の歪みは苦悩や排除や憎悪を生み出す。

 そこで、自分というフィルターを通さない状態、

 認識する側と認識される側との境界がなくなった状態を目指す、

 それが維摩のいう「無分別」。

・「我」とは自己の本質のことで、「我所」とはその中身、

 「自分はこうあるべき、こうあらねばならない」という“とらわれ”を意味する。

 自分というものがただの要素の集合体であり、実体がないことがわかれば、

 自分に対する思いや、とらわれもおのずと消滅していくことになる。

 

このテキストを読むまで、私は「維摩経」の存在を知りませんでしたが、

釈徹宗さんによると、この「維摩経」は、

作家の武者小路実篤仏教学者のラモットをはじめ、

近代知性さえも魅了するだけの力があるとのことでした。

 

ところで、釈徹宗さんは、テキストのなかで

次のようなことも述べられていました。

『 ~(略)~ 都市化したマインドで暮らすうちに、

 私たちは他者にうまく迷惑をかけることが苦手になっているように思います。

 ですから私は、「お世話上手」や「お世話され上手」といった心身を

 成熟させることを提言しています。

 私たちは他者に迷惑をかけて暮らす存在なのです。

 いずれ病いや老いによって、他者に我が身をゆだねる日がやってきます。

 その覚悟が持てなければ、病いや老いがとても恐怖であり

 嫌悪の対象になってしまうことでしょう。

 迷惑をかけていないという傲慢な枠組みを点検して、

 むしろ上手に迷惑をかけるすべを身につけるといった方向に

 転換するのが良いように思います。』

 

はぃ、分かりました…。

最近の体調不良による病院通いで、私も妻に多大な迷惑をかけてしまいました。

これも「他者に我が身をゆだねる」第一歩なのかもしれません……。

 

『維摩経』 2017年6月 (100分 de 名著)

『維摩経』 2017年6月 (100分 de 名著)

 

 

 

肌身で感じる

梅雨の晴れ間が広がった今日は、

仕事を休んで県立の総合病院に行ってきました。

 

紹介状を持参して、まずは耳鼻咽喉科を受診し、その後、総合診療科を受診しました。

耳鼻咽喉科では聴力検査と平衡機能検査、

総合診察科では尿検査と血液検査を受けました。

内科的な検査では悪玉コレステロールの値が高かったけれど特に異常なし、

そして、耳鼻咽喉科ではメニエール病の疑いがあるとのことで、

とりあえずお薬を3週間試してから、再度診察してもらうことになりました。

まぁ、なんというか……、

ひとまずは内科的な病気でないことが判明して、ホッとしているところです。

 

ところで、今日私がお世話になった総合病院は、

建築後4年の新しい建物で、ここで受診するのは初めてでしたが、

明るく開放的で落ち着きがあり、患者目線に立った建物であることを感じました。

また、耳鼻咽喉科と総合診療科の二人の先生は、どちらもお若くて、

私の下手くそな症状の説明を真摯に聞いていただきました。

 

ただ、ちょっと気になったのは、

問診表がタブレッド入力であるなど、随所随所がデジタル化されていて、

お年寄りが一人で受診するのは、結構大変ではないかと思いました。

 

ところで、今年度になってから、

いろいろな病院のお世話になっている私ですが、

日本の医療保険制度における「国民皆保険」と「フリーアクセス」の有難さを、

そして、なによりも「健康な心身を維持すること」の大切さを、

つくづく肌身で感じている今日この頃です。

 

 

見えるものも見えなくなる

二十四節気の「夏至」だった昨日21は、

めまいがひどく身体が絶不調で、この日記を書くことさえできませんでした。

明日は仕事を休んで、総合病院に行って診察してもらおうと思っています。

 

さて、昨日の朝日新聞デジタル版の「波聞風問」(はもんふうもん)は、

多賀谷克彦編集委員の執筆による

『ミレニアル世代~仕事中心の社会変えるか』というタイトルの記事でした。

 

記事によると、「ミレニアル世代」には明確な定義はないけれども、

1980年以降に生まれ、世紀をまたいで社会に出たので、こう呼ばれ、

来春就職する学生は「ミレニアル世代」と呼ばれる世代の最後に近いとのことでした。

そして、その世代の特徴が、次のようにわかりやすく解説されていました。

 

『所得格差が広がった時代に育ち、世界金融危機を経験し、

 目先の利益を追う資本主義に懐疑的といわれる。

 米国の人口の20%を超え、その動向は話題になりやすい。

 日本の同世代の価値観も、彼らに近いものがあるという。

 日本の「ゆとり世代」と部分的に重なる。

 共通なのは、ものごころついたときはインターネット社会だった。

 バブル崩壊後の経済の低迷、大企業の破綻、

 人員削減を見聞きしてきた世代でもある。地球環境への意識も高い。

 こうした共通体験は消費行動、職業観などに影響しているという。

 この世代は、ブランド品に関心が薄く、モノを所有することにこだわらない。

 旅行やコンサートなどの体験型の消費を優先するという。

 スマートフォンを使い、買う、話す。SNSを使い国境を簡単に超えられる。』

 

そういえば、私の娘も1985年生まれで、「ミレニアル世代」の一人になります。

娘の行動を振り返ってみると、毎年のように旅行に行き、

吉井和哉さんのコンサートがあれば全国どこであろうと観に行き、 そして

アメリカ留学していた時の友達と国境を越えて日々SNSでつながっている…。

上記の「ミレニアル世代」の特徴にぴったりと当てはまります。

 

では、この世代が社会の担い手となったとき、世の中はどう変わるのか?

記事では、この世代は小学生時代から、

学年ごとの同級生とネットでつながっていて、 他の人脈もあり、

仕事中心の大人社会が変わるかもしれないと指摘していました。

さらに、「若い世代を知ること、自らと比べることは未来の社会を考えることだ」、

「彼らとは住む世界、世代が違うからと言ったときから、

見えるものも見えなくなってしまう。」とも書かれていました。

 

う~む、……。 我が娘の姿は未来の社会の姿ですか……??

これから娘を見る目が変わってしまいそうです……。(苦笑)

自己の否定と他者の肯定

昨日19日に、岡本全勝・内閣官房参与がそのブログで、

今月17日の日経新聞に掲載された 立川志らく師匠の

「馬鹿論」のことを書かれていたので、 私もさっそく電子版で読んでみました。

その記事には、岡本参与が紹介されていた内容以外にも、

次のような含蓄に富む記述がありました。

 

『言っておくが若者にとって快適な場所なんかろくな場所ではない。

 不快に決まっている。利口な人間は不快な場所を快適にしようと

 日々生きているのだ。まず自分は間違っているのではないかと疑う。

 何故ならばその空間はすでに成立しているのだから。

 勿論、悪がはびこっている場合もあるが

 それを変えるために改革をしていくのだがそれはまた別の話。

 自己を否定して他者を肯定してはじめて人は前進できる。』

 

『ついでに言うと若者はやたらと自分探しの旅に出る、なんて事を言うが、

 私は言いたい、旅なんぞに出るなと。若いうちは空っぽなのだ。

 空っぽの奴が自分を探しに行ったって何にも見つかるはずもない。

 旅に出る前にちゃんと支度をしなさい。

 つまり沢山の物を吸収してそれから自分探しの旅に出なさい。

 あと、馬鹿の怖いところは聞く耳を持っていない。

 いくらこちらが理路整然と懇切丁寧に話してもわからない。

 それは理解する能力を持っていないと自己を否定できないからである。』

 

う~む、なるほど……。還暦を過ぎた私にも耳が痛いお話です。

「己を否定できない奴」が馬鹿で、

「馬鹿な奴は間違いなく他者を否定して己を肯定する」という

志らく師匠の定義によると、 何かにつけて周囲や世の中のせいにする私は、

馬鹿以外の何ものでもありません……。(反省)

人として前進するためには、「自己の否定」と「他者の肯定」が必要なのですね……。

 

さて、窓の外は、断続的に雨が降っていて、ようやく梅雨らしくなりました。

災害にならない程度の恵みの雨となることを祈っています。