しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

打つべき手はどこに?

金融政策に関する日記が続いています。

別に意図して書いているわけではありません。たまたまです。

 

さて、本日20日の日経新聞電子版に、

『上がらぬ物価、日銀どう動く リフレ派3氏に聞く』

という記事が掲載されていました。

2013年の異次元緩和の開始から4年が経過しても、

日銀が掲げる2%の物価上昇目標が遠いことについて、

量的緩和を主張してきたリフレ派のエコノミスト3氏に

日銀が打つべき手を聞いたもので、その理由は概ね次のようなものでした。

 

A氏 ⇒ 原油価格の急落が主因だ。

     CPIの下落要因を分析すると原油価格の下落の影響が一番大きい。

B氏 ⇒ 企業の価格転嫁メカニズムが破壊されている。

     過去15年以上のデフレのトラウマで

     企業経営者が値上げに臆病になっているためだ。

     合理的な経営判断では値上げをして収益を確保した方がいいのに、

     値上げをすると売れなくなると過剰に心配している。

C氏 ⇒ 13年に異次元緩和を始めて、

     最初はインフレになるのではないかと 人々の期待が高まったが、

     14年4月の消費税率引き上げ、

     16年2月のマイナス金利導入で円高になって

     インフレ期待は急激に後退した。

 

う~む、よく分かりませんが、これを読むと、

日銀が物価上昇目標が達成できていないのは、

原油価格の急落」、「企業の価格転嫁メカニズムの破壊」、

「消費税率引き上げとマイナス金利導入」といった

外的要因ばかりのような気がします。

 

でも、リフレ派理論そのものに問題はないのかしら…?

ちなみに、日銀が打つべき手については、

「マネタリーベースの拡大」、「外債購入」、

「上場投資信託のさらなる購入」などでした。

「打つべき手が、だんだん少なくなっている」という理解でいいのでしょうか…?

どちらが正論??

昨日のこの日記で、金融緩和の本質が「需要の先食い」であることを書きました。

 

その件に関し、原田泰・日銀審議委員が、

本年6月29日の 資本市場研究会における『債券市場の機能と金融政策の誤解』

という講演のなかで、

「金融緩和によって生じる低金利は、単に将来の需要を前倒しするだけで、

現在と将来の生産を拡大するものではない」という議論の事例として、

翁邦雄・京都大学教授の、次のような主張を紹介されていました。

 

『確かにマイナス金利政策で住宅建設を前倒しさせる効果はあるでしょう。

 しかし、その効果は、家を来年建てる代わりに

 今年建てるように働きかけることにすぎません。

 今年に前倒しさせると、その分、来年になると建てたい家の数は減ります。

 需要を先食いした分、……来年の自然利子率は低下することになります。

 こうなってしまうのは、 金融政策では……

 長期的に建てられる家の総数は変えることができないからです。』

 

この主張に対し、原田審議委員は、次のような反論を述べられていました。

『しかし、私が別の機会でも繰り返し述べているように、

 金融政策の効果は、需給ギャップを縮小し、雇用と実質所得を拡大することである。

 実質所得が拡大すれば、翁氏の比喩を使わせていただければ、

 人口によって建てる家の総数が決まっているとしても、

 より広い、より暮らしやすい快適な家を建てるはずである。

 すなわち、金融緩和は、単に需要を先食いしているのではなく、

 現在と将来の両方の需要を拡大するのである。』

 

う~む……、どちらが正論なのでしょう??

なお、原田審議委員は、先ほどの講演のなかで、

1930 年代の大恐慌においても金融緩和に反対していたミーゼスの

『ブームの恩恵が払う代償は貧困化である』という言葉を紹介された後で、

ケインズの次のような反論を紹介されていました。

 

『企業の損失、生産の減少、失業の発生の原因は、

 1929 年の春まで続いた高水準の投資にあったのではなく、

 この投資が停止したことにこそあり、

 高水準の投資の回復以外に景気の回復はありえない、と私は考えています』

 

ますます、どちらが正論なのか分からなくなりました…。

金融緩和の効果って、需要の拡大という意味では、

設備投資の効果と同じなのでしょうか……??

私の場合、金融政策を初歩から勉強する必要がありそうです。(トホホ…)

険しい正常化への道

今日18日は、日経新聞愛媛新聞も休刊の日です。

そこで、いつもより時間をかけて電子版に目を通していたところ、

日経新聞電子版の「マネー底流潮流」に、著名投資家、ウォーレン・バフェット氏の

「潮が引いて初めて誰が裸で泳いでいたかが分かる」という言葉ありました。

 

どういう意味なのか興味が沸いて、記事の続きを読んでみると、

米国をはじめ、カナダ、ユーロ圏、英国など主要国が金融緩和の縮小に転換し始め、

市場でも、緩和に支えられた資産を敬遠する動きが広がっているとのことで、

具体的には、次のようなことが書いてありました。

 

『資産価格は金利の影響を大きく受ける。

 金利が低いと借り入れコストが低下するため、資産に求める収益も下がり、

 高い価格での投資が許容されやすい。

 金融危機から8年も低金利が続き、あらゆる資産の価格は高くなってしまった。

 金利が上がれば、資産から得られる収益も増えないと、価格は下がってしまう。

 下がりやすい資産はどこか。「緩和依存度」での選別が始まった。』

 

う~む……、これってどういうことなのかな…?

金融政策の知識が乏しい私は、記事の意味がよく分かりません。

そこで、関連記事を電子版で閲覧していると、

今月15日の記事に次のような解説を見つけました。

 

『米欧が金融政策を転換するのは、

 過剰なマネーの供給で不動産などの資産価格が

 跳ね上がるリスクが高まっているからだ。

 超低金利状態をつくって金融機関や企業をよりリスクの高い投融資に誘導した結果、

 カナダでは都市部の住宅価格が金融危機前の2倍に上昇。

 米国でも商業不動産価格は危機前の1.3倍に跳ね上がり、

 中国・上海の住宅価格は平均年収の20倍と、バブル期の東京を上回る水準だ。』

 

『未曽有のマネー供給にもかかわらず各国の消費者物価の伸びは鈍く、

 出口の手綱さばきを誤れば物価の腰を折る懸念がある。

 米国は1~6月期の新車販売は8年ぶりの前年割れに転落。

 利上げ後の自動車ローンの貸し渋りが追い打ちをかけた。

 「金融緩和の本質は結局、需要の先食いでしかない」と中銀首脳OBの一人は語る。

 景気をかろうじて浮揚させてきた緩和マネーの縮小は大きなリスクと裏腹だ。』

 

う~む、なるほど……。

金融緩和の本質って、「需要の先食い」なのですね。

金融政策正常化の道が険しいことだけは、なんとか理解できたように思います。

それにしても、冒頭のバフェット氏の言葉は強いインパクトがありますね。

この言葉を、私でも使えるような場面は、どこかにないものかしら……?

こころのありよう

『行人(こうじん)』(夏目漱石著:集英社文庫)を読了しました。

 

たくさん印象に残った記述がありましたが、

やはり、なんと言っても、小説の語り手役の二郎が、

兄・一郎の友人Hから受け取った手紙の中に書かれていた

兄・一郎の次のような言葉でした。

 

『自分のしていることが、

 自分の目的(エンド)になっていないほど苦しいことはない。』

『人間の不安は科学の発展からくる。

 進んで止まることを知らない科学は、

 かつて我々に止まることを許してくれたことがない。

 徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、

 それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。

 どこまで伴れていかれるか分からない。実に恐ろしい』

『人間全体が幾世紀かのちに到着すべき運命を、

 僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。

 一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、

 縮めていえば一ケ月間乃至一週間でも、

 依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。

 ~(略)~ 要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、

 そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮詰めた恐ろしさを経験している』

『自分に誠実でないものは、決して他人に誠実でありえない』

『根本義は死んでも生きても同じことにならなければ、

 どうしても安心は得られない。

 すべからく現代を超越すべしといった才人はとにかく、

 僕はぜひとも生死を超越しなければ駄目だと思う』

 

本書の巻末に書かれていた精神科医の藤本直樹さんの解説によると、

この『行人』という作品は、

「1912年の12月から翌年の春にかけての半年あまり、

そして漱石胃潰瘍の療養による五カ月ほどの中断を挿んで、

翌年の11月まで三カ月ほど朝日新聞に連載されたもので、

漱石が死ぬ四年前のまる一年を費やした長編」とのことでした。

また、この「一郎」という人間は、

漱石の小説に出てくる人物のなかで最も病的な人物である」と指摘されていました。

 

さらに、次のようにも述べられていました。

『家庭内で家庭的交流のネットワークから引きこもり、ひとりで学問をし、

 時に理不尽なことを口走って暴力的なふるまいを突出させながらも、

 外の社会では穏やかで雅量のある人物として通用する人間。

 「発病」以前の一郎のありさまは、まさに漱石自身の姿を彷彿とさせる。』

 

「子規・漱石の生誕150年」という年に手に取った本書でしたが、

漱石が生きた時代の知識人の、「こころのありよう」を学ぶことができました。

150年経っても、一郎の「不安」=漱石の「不安」は、

現代社会に生きる私たちの「不安」に、

「十分共通するのものがあるのではないか」と感じた次第です。

 

行人 (集英社文庫)

行人 (集英社文庫)

 

 

 

 

昔の夏が好き

一昨日14日の朝日新聞天声人語」に、

朝日川柳の〈夏が好きされど昔の夏が好き〉という句に、

「何度もうなづいてしまった」というコラムニストのお言葉があり、

これを読んだ私も、その言葉に何度もうなづいた次第です。

 

三連休の中日の今日は、厳しい暑さとなりました。

エアコンの冷気が苦手な私は、

家のなかで少しでも涼しい居場所を見つけようとしますが、

それはむなしい努力に過ぎないことに気づくのに時間はかかりませんでした。

 

大きなため息をつきながら、

「昔の夏もこんなに暑かったかな?」と自問してみても、

明確な答えを記憶から思い起こすことはできません……。

ただ、子どもの頃、夏は大好きな季節でした。

生まれた今の場所も、そして、母の実家があった伊予市双海町も、

海に近いこともあって、夕暮れ時までその海で遊んでいましたから、

酷暑の記憶も薄いのかもしれません。私にとって、海は夏の同義語でした。

 

そして、寝転びながら新聞を読んでいると、

今日16日の日経新聞「文化欄」で、

ノンフィクション作家の星野博美さんが書かれた

『伯母を想う夏休み』というタイトルの随想の中に、次のような文章を見つけました。

 

『田舎……私にとってそれは、母の実家がある千葉県の外房の海を指した。

 私の夏休みに、山の入りこむ隙はなかった。

 とにかく、寝ても覚めても、何もかもが海だ。

 母の実家は、歩いて海へ行けるところにあった。

 私は年子の姉と、たいていは2週間、年によっては3週間ほど、

 そこで過ごす習慣だった。そこで待っていてくれたのは、

 母方の祖父と伯母夫妻だった。』

 

この文章の中の「千葉県の外房の海」を「伊予市双海町の海」に、

「年子の姉」を「5歳年下の弟」に、

「母方の祖父と伯母夫婦」を「母方の祖父母と叔父夫婦」に置き換えると、

私の子どもの頃の原風景になります。

 

やはり私も、夏休みに思いっきり遊んだ〈されど昔の夏が好き〉です……。