しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

フォークの名曲を堪能した日

今日は、自宅近くの「エミフルMASAKI」で開催された

坂崎幸之助さんのトークショー&ライブ(FM愛媛主催)に行ってきました。

 

午後2時の開演に先立ち、午前9時から先着200名に

座席整理券を配布するとのお知らせだったので、

私は午前8時前にエミフルMASAKIに向かったところ、

もうすでに長い列(私ぐらいの年配の方が多かったです。)ができていて、

午前9時に私が係員の方からいただいた番号は55番でした。

 

そして、午後1時30分に座席への案内があり、

私が座った場所は、中央の前から6列目という好位置でした。

肝心の坂崎さんのライブでは、

かまやつさんの「どうにかなるさ」、拓郎さん作曲で猫が歌った「地下鉄に乗って」、

泉谷しげるさんの「春夏秋冬」、拓郎さんの「結婚しようよ」など、

懐かしいフォークを聴くことができて、充実した2時間があっという間に過ぎました。

 

また、坂崎さんのトークでは、

先日亡くなられたばかりの、かまやつさんのエピソードも聞くことができました。

かまやつさんは、坂崎さんなど後輩のアーチストを、

皆、「さん」づけで呼ばれていたとのことで、

かまやつさんの優しいお人柄の一端を知ることができました。

 

ライブの最後は、松山市の「ことばのちから」イベントで生まれ、

新井満さんが作詞・作曲した「この街を」を、出演者全員で歌って終わりました。

この曲で私が好きなのは、最後の部分の歌詞です。

♬ この街でいつか おばあちゃんになりたい

  おじいちゃんになった あなたと歩いてゆきたい

  この街でいつか おじいちゃんになりたい

  おばあちゃんになった あなたと歩いてゆきたい

  いつまでも好きなあなたと 歩いてゆきたい

 

この曲は、トワ・エ・モアや城之内早苗さんも歌っていますので、

ぜひ皆さん、YouTubeで聴いてみてくださいね……。

ちなみに、私の妻は、私と一緒に歩いてくれそうにありません…。(トホホ)  

  

今後の検討課題??

今日3日のの朝日新聞一面コラム・「折々のことば」は、

『テクストの外などというものは存在しない』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

『いかなる歴史的事実も語られたもの、つまりはテクストとしてしかありえない。

 事実はつねに解釈され、編集されて伝えられる。

 とすれば私たちが報道にふれるとき、なぜこの出来事が報じられ、

 あの出来事はスルーされたのかも注視しなければ。

 スルーされた事実もまた別のテクストから知るほかないと肝に銘じつつ。

 フランスの哲学者の「グラマトロジーについて」から。』

 

う~む、なるほど…。

スルーされた出来事を注視しなければならないのは、とても大切なことだと思います。

ただ、鷲田さんの解説を読んで考えたのは、

では、それを知るための「別のテクスト」を、

どうしたら私たちは見つけることができるか、ということです。

それはたとえば、インターネットかな?

ただ、最近は、「偽ニュース」も多いことだし……。

 

そこで、ひょっとしたら、

「グラマトロジー」という言葉にヒントがあるかもしれないと思い、

その意味をネットで調べてみると、次のような解説を見つけました。

『グラマトロジーとは本来、文字とか綴り方について研究する学問です。

 しかしデリダは音声の代補ではなく、

 文字(エクリチュール)こそ知の根源であることを証明しようとしました。

 ……以下、難しいので略します。……』

 

「文字こそ知の根源」……? それってなに……??

これ以上読んでも、やっぱり私には理解が困難なようです。

役所言葉ではありますが、この件については、

「今後の検討課題」ということにしておきます。(苦笑)

 

ところで、話は変わりますが、

ムッシュかまやつさんが、今月1日、

膵臓がんのため、78歳でお亡くなりになったそうです。

かまやつさんが歌った「我が良き友よ」という名曲は、

私の結婚式の時に、高校時代の親友たちが、皆で合唱してくれました。

 

かまやつさんは天に召されても、

「あの時君は若かった」、「いつまでもどこまでも」、「シンシア」など、

その名曲の数々は、いつまでも私の心の中で生き続けます……。

 

とっても耳が痛い言葉

日経新聞で連載されていた大橋光夫昭和電工最高顧問の「私の履歴書」は、

先月末日をもって終了しましたが、最終回のタイトルは、

『家族とともに~日本の精神性を世界へ~子供は社会からの預かり物』で、

日本の将来と家族の思いがつづられていました。

 

大橋さんは、「親にとって子供は社会からの預かり物だ」として、

次のように述べられていました。

『子供は親の所有物ではない。どんな道に進むかは本人次第だが、

 次世代の社会に参画する一員になれるよう、子供を育てる義務が親にはある。

 特に男親が愛情をもって教育することが大切だ。

 女性の社会進出の遅れは日本の大きな課題だ。

 夫婦そろって仕事を持ち社会に貢献するのは良いが、

 では次世代を担う子供をどう育てるのか。その議論が不足している。

 小学校を卒業する位までは子供は母親の膝にのり、そのぬくもりで安心する。

 幼いなりに不安や孤独を感じた時、

 母親、一歩譲っても父親に抱きしめられて心が安らぐ。

 子供の教育は国にとって30年かかる最重要の仕事だ。

 母親が子供を育てながら在宅勤務できる環境を整えるなど、

 女性の社会進出との両立へ対策を講じることが大切だ。』

 

う~む……。(絶句)

この文章中の「特に男親が愛情をもって教育することが大切だ」というのは、

私にとって、とっても耳が痛いお言葉です。

私の娘は、一社会人として、また一人娘を持つ母親として、

父親の私から見ても、それなりによく頑張っていると思いますが、

私自身と言えば、この30年を振り返っても、

子供の教育を妻に任せっきりにしていたのではないかと、深く反省しています。

ましてや、「子供は社会からの預かり物だ」という認識は、

恥ずかしながら、ほとんどありませんでした。

ただ、大橋さんの「子供は社会からの預かり物だ」という観点からは、

最近の「子供の相対的貧困の問題」などは、

社会全体でその解決に取り組むことが必然になると思います。

 

そして最後に、大橋さんは、

次のような2つの人生訓を若い人に託されて筆を置かれていました。

・「不動心」を胸に「信念と気概」を持って自分の道を迷わず進むこと。

・日本人として「寛容と調和」の精神を貫いて世界の平和を先導すること。

 

私はもう「若い人」ではありませんが、

こちらも、志が低かった私にとっては、とっても耳が痛いお言葉です。

便利さの裏に隠れているもの

今日1日の日経新聞一面に掲載された

『ヤマト昼指定廃止を検討~正午~14時、人手不足で』

という記事を読んで、少し考えるところがありました。

 

記事によると、荷物の増加と人手不足で

配達員が昼食休憩を取りにくくなっているため、

正午~午後2時を時間帯指定から除外するなど、

配達員の長時間労働の原因になっている夜の時間帯指定も廃止を含めて、

サービスを見直すとのことでした。

 

また、ヤマトの宅配便を巡っては、

労働組合がサービスの維持が限界に来ているとして

会社側に荷受けの総量抑制を要求していたことや、

労組は時間帯指定の見直しも求めていることも、その記事に書かれていました。

 

そういえば、ここ数年は、我が家でも

ネットで買い物をすることが格段に多くなりました。

私は、書籍や小型家電製品などは主にアマゾンで購入していますし、

大きなペットボトルや缶ビール、そして日用品などは、

ネットスーパーを毎週のように利用しています。

また、妻は妻で、化粧品やサプリなどをネットで度々購入しています。

ですから、今は、「ネット通販」と「宅急便」が、

我が家の日常生活にとって、必要不可欠な存在となっているのです。

 

ところが、記事を読んで、

ヤマト運輸の配達員の方々が、繁忙期には昼休みも取らないで

働いていらっしゃることを知りました。

これは、ほかの宅配会社や日本郵便も同じだと思います。

 

また、別の日付けの日経新聞の記事では、次のようなことも書かれていました。

『荷物の急増の背景は言うまでもなく、インターネット通販の拡大だ。

 消費者向け電子商取引(EC)の市場規模は15年度実績で13兆円を超え、

 百貨店の2倍の規模に達した。

 個人消費に占める割合が8%と日本の2倍程度の米国並みにまで拡大すれば

 ECの市場規模は20兆円を超えるとみられ、

 宅配便の個数がさらに増えるのは確実だ。

 再配達の負担も重い。現状では荷物の2割程度が

 再配達の対象となっているとみられる。

 ヤマトHDは再配達になるのを防ごうと、駅などへの宅配ロッカーの整備や

 コンビニエンスストア受け取りなどのサービス拡大に動いている。

 だが、再配達は無料とあってこうしたサービスは

 消費者にはなかなか浸透していない。』

 

う~む、なるほど……。

ということは、消費者は、その便利さに甘えて、それが当たり前になり、

他者への配慮や思いやりに欠ける社会に、今はなっているのでしょうか…?

私もこれからは、もう少し考えて配達時間の指定をしたいと思います。

いや、それよりもなによりも、宅配便の配達員の方々、

いつも正確・迅速に荷物を届けていただいて、ありがとうございます。

似たり寄ったり

早いもので、今日で2月も終わりです。

2月の最後の日は、やわらかい日差しが一日中降り注ぎました。

 

さて、今月23日のNHK解説委員室「時論公論」は、

『トランプ政権を支える“もうひとつのアメリカ”』というタイトルでした。

アメリカという国のイメージはというと、

私が小学3年生の時に開催された東京オリンピックでの、

メダルラッシュと「君が代」とは真逆の勇ましい国歌が、

強烈に記憶にインプットされていて、

日本はこんなとんでもない国と戦ったのか、と子ども心に思いました。

 

還暦を過ぎた今でも、解説に書かれているように、

アメリカといえば、『自由の女神や立ち並ぶ摩天楼、世界の金融の中心ウォール街

マイクロソフトやグーグルなど最先端のIT産業、

ハリウッドのレッドカーペットを歩く華やかなスター達。』といった

強くて偉大な国をイメージしてしまいます。

 

ところが、次のような解説を読んで、アメリカの意外な一面を知りました。

・夢とチャンスを求めて世界中から移民がやってくるアメリカは、

 外に開かれたオープンな国であると同時に、非常に内向きの面も併せ持っている。

 海外はおろかニューヨークさえ知らないアメリカ人が相当数いる。

・パスポートをもっているアメリカ人は全体のおよそ45%、半数以下。

 イギリスの80%、カナダの60%以上などと比べるとかなり低い数字。

 市場調査会社が去年、行った調査では、

 10人にひとりは「自分が住んでいる州から一度も出たことがない」

 と答えており、アメリカ人の6割以上は「自由の女神を訪れたことがない」

 という調査もある。

 

続いて解説では、「あまり外の世界を知らず、

移民が増えて白人中心の社会が変わっていくことに漠然とした不安感を抱き、

既存のニュースメディアの報道を信用しない人達が、

トランプ政権を支えている」と指摘していました。

 

う~む、なるほど……。

解説のタイトルの“もうひとつのアメリカ”とは、

そういう意味があったのですね……。

さらに、解説の最後の部分で出口解説委員は、次のように述べられていました。

 

多民族国家アメリカは、これまで何度も分断と融和を繰り返してきました。

 トランプ現象は、そんな変貌を続けているアメリカ社会の

 通過点のひとつなのかも知れません。

 分断された社会を再び統合して“ひとつのアメリカ”となっていくのか、

 それとも自己の利益、エゴを剥き出しにする国になってしまうのか、

 自由と正義の国アメリカは今、大きな岐路に立たされているように思います。』

 

その昔、津上俊哉さんが書いた

『岐路に立つ中国~超大国を待つ7つの壁』(日本経済新聞出版社)

という本を読んだことがあります。

中国が直面する「7つの壁」とは、

人民元問題の出口は見つかるか

②都市と農村「二元社会」を解消できるか

③「国退民進」から「国進民退」への逆行を止められるか

④政治体制改革は進められるか

⑤歴史トラウマと漢奸タブーを克服できるか

⑥「未富先老」問題を解決できるか

⑦世界に受け入れられる理念を語れるか

 

このうち、②の「二元社会」と⑦の「理念」は、今のアメリカにも該当しそうです。

中国とアメリカという超大国…。依るべき価値観は異なっていても、

国内に内在する壁は、似たり寄ったりなのかもしれません。