しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

余裕の時間と場所

雲がほとんどなく晴れ渡った天気が、連日のように続いています。

暖かい日差しに誘われて、彼岸の中日を前に、

今日は実家の墓参りに行ってきました。

 

さて、今日19日の朝日新聞「折々のことば」は、

建築家・安藤忠雄さんの

『今の子供たちの最大の不幸は、日常に自分たちの意思で何かが出来る、

 余白の時間と場所を持てないことだ。』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

『自立心を育もうと言いながら、大人たちは保護という名目で、

 危なそうなものを駆除して回る。

 そのことで子供たちは緊張感も工夫の喜びも経験できなくなった。

 安全と経済一辺倒の戦後社会が、子供たちから自己育成と自己管理の機会、

 つまりは「放課後」と「空き地」を奪ってきたと、建築家は憂う。

 著書「建築家 安藤忠雄」から。』

 

安藤さんが言われている「放課後」と「空き地」について、

私が子どもの頃は、「放課後」はほとんど勉強せずに、

容易に見つけられた「空き地」で、友達か弟と日が暮れるまで遊んでいました。

母は家計を助けるために細々と内職をしていましたから、

私と5歳年下の弟が家にいない方が仕事に集中できたのかもしれません。

でも、今から振り返ると、母は子どものことは心配ではなかったのかな…?

 

そして、今、我が家周辺では、

「空き家」と「新築」が交錯した状態になっています。

東隣の「空き家」は、一人暮らしのおばさんが転居されてからは管理する人もなく、

庭木が伸び放題になっています。

一方、西隣の「空き地」は4区画に宅地造成されて、

先日、「空き地」となっていた最後の区画の地鎮祭がありました。

 

古くからこの地区に住んでいる人は高齢化が進み、

一方で、新築のたびにご挨拶に来られるご家族は、皆さんお若くて、

子どもさんも、これからの成長が楽しみな年代ばかりです。

 

私の孫娘を含め、この子どもたちには、「放課後」と「空き地」はあるのかしら…?

ないとしたら、どのようにしてこの子たちは、

「自己育成」と「自己管理」の機会と方法を見つけるのかしら…?

 

安藤さんの言葉と鷲田さんの解説に、深く考えさせられた一日でした。

 

春や昔……

関西在住の甥っ子の結婚式が、あと一月半に近づいてきたので、

今日は三越松山店に白いワイシャツを買いに行きました。

紳士服売り場の店員さんによると、結婚式では、同じ白は白でも、

柄物ではなく無地がフォーマルとのことでした。

 

三越松山店で買い物を済まし、

今度は徒歩でJR松山駅前の「喜助の湯(きすけのゆ)」に行きました。

下の3枚の写真は、道中にある松山市「城山公園」で撮ったものです。

まず一枚目は、「松山城」とその下にある「二の丸公園」です。

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2枚目は、「さくら広場」のソメイヨシノです。

つぼみが膨らんで、開花が近づいていることを感じさせます。

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最後は、「松山城」をアップで写したものです。

「春や昔 十五万石の 城下哉」(正岡子規)

今月15日の愛媛新聞「日めくり子規・漱石」で

俳人の神野紗希さんは、子規のこの句を次のように解説されていました。

『変わりゆく世界にも、変わらず春は来る。

 城山は芽吹きの只中、桜も咲き、見晴るかす海の輝きに春風が吹けば、

 何も変わっていない気も。

 去りゆく時代の姿を、子規は「春や昔」という豊かなしらべで、

 光とともに、永遠に言葉に刻んだ。』

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ところで、尊敬・敬愛する衆議院議員(愛媛3区)の白石徹先生が、

彼岸の入りの昨日17日、

悪性リンパ腫のため、60歳という若さでお亡くなりになりました。

白石先生には、山本順三先生とともに、県庁稲門会を通じて

県議時代から大変お世話になりました。

白石先生は、政治家といっても偉ぶったところが決してなく、

いつも笑顔で気さくに話しかけてくれました。

また、白石先生はアイデアマンで、しかも行動力があって、

これからの日本を正しい方向に導いてくれる

政治家のお一人だと私は常々思っていました。

結局、昨年2月13日(土)に、県庁稲門会の懇親会でお会いしたのが、

白石先生との今生のお別れになってしまいました。

 

志が高く、いつも日本と愛媛の将来を熱く語られていた白石先生……。

ご本人はさぞかし無念だったろうと思うと、たまらなくなります。

「散る桜 残る桜も 散る桜」

同世代だった白石先生は先に逝かれましたが、

私にも、いずれ「その日」はやって来ます……。

それまで一日一日を大切に生きようと、今日は松山城を眺めながら思いました。

 

ご冥福を心からお祈りいたします。

 

 

 

3層構造の日本に生きる

昨日は、前職場の後輩女性職員の送別会でした。

彼女は、自治体の休職制度を利用して大学院に入学し、

公認会計士の資格を取得した「頑張り屋さん」です。

自治体退職後は、東京の監査法人に勤務するとのことで、

終始、前向きで明るい雰囲気の送別会となり、笑顔で彼女と別れました。

 

さて、話は変わりますが、

宗教学者山折哲雄さんが、昨日16日の愛媛新聞「現論」欄に、

『価値観や世界観~日本 状況に応じて選択』というタイトルの論評を

寄稿されていました。


山折さんによると、日本列島は、

「森林と山岳」、「田園地帯」、「近代都市」の3層構造でできあがっていて、

この日本列島の構造は、日本人の意識にも

3層構造をつくり出しているのではないか、と述べられていました。

この3層構造とは、具体的には次のようなものでした。

 

・深層に流れる「縄文」的感性=縄文的感性にひそむ無常観や自然観

・中層に浸透する「弥生」的人間観=弥生的心性に宿る勤勉や忍耐心

・表層をカバーする「近代」的な価値観

 =近代的価値観からにじみでてくる儒教的な合理主義

 

そのうえで、山折さんは、見落としてはならないのは、

この3層がたがいに他を排除しない、

そして否定しない重層の構造(相互包摂の関係)になっていて、

戦争や災害のような危機に直面したとき、

われわれの先人たちはこの3層に横たわるそれぞれの価値観や世界観を

柔軟に取り出して対処し、苦難を乗り越えてきたのではないか、

と指摘されていました。

 

さらに続いて、次のように述べられていました。

『どれか一つの価値や主張を生活の第一原理にすえるのではない。

 状況に応じて3層それぞれの価値観に身をゆだねる。

 こうした生き方は指導原理を欠く無責任、無原則の態度といえば、

 いえるかもしれない。

 選択意思の薄弱であいまいな処世術、と批判されるかもしれない。

 第2次世界大戦のみじめな敗戦の経験をふり返れば、

 そのような忠告に耳を傾けるのも大切なことだ。

 けれども、テロや難民の問題に直面する今日、

 この日本列島において熟成された3層構造の世界観や人間観が

 これからは意外な働きをするのではないか。』

 

う~む、なるほど…。

ということは、私の心と身体にも、「3層構造のDNA」が流れているのですね。

ただ、どちらかというと、私の場合は、

「無責任」と「無原則」のDNAが流れているような気がするけれど…。

 

論評の最後で山折さんは、

千年にわたる「日中同盟」や敗戦後の「日米同盟」についても、

われわれは自己の道を見失うことなく、

意識の3層構造に基づく選択意思を貫いてきたし、

これからの「日米同盟」の基軸もその軌道の上にのせること、

それ以外にないと指摘されていました。

 

私の理解不足かもしれませんが、災害時の相互包摂はともかく、

「日米同盟」を3層構造と結びつけるのは無理があるような気がして、

ちょっと違和感を覚えた次第です。

毒を食らわば皿まで

久し振りに「自己啓発・勉学メモ」の日記を書くことにします。

昨日14日の朝日新聞デジタル版「波聞風問(はもんふうもん)」を読んで、

経済学に「シムズ理論」という考え方があることを知りました。

 

シムズ理論は、ノーベル賞経済学者の

クリストファー・シムズプリンストン大教授が提唱する経済学理論で、

原正人編集委員は、この記事で次のように解説されていました。

 

『シムズ理論は、物価水準は人々が国家財政の先行きをどう見るかで決まる、

 という経済理論にもとづく。

 それにしたがうと、政府が財政再建の努力をやめればインフレが起きる、

 インフレで政府の借金は実質負担が減る、それで財政赤字が解消できるという。

 すでに日本政府の借金は先進国で最悪だ。

 日本銀行が事実上、財政ファイナンスで借金膨張を支えてもいる。

 シムズ理論はまるで毒を食らわば皿まで式の発想ではないか。

 そういえばリフレ政策もノーベル賞学者のポール・クルーグマン教授が

 20年ほど前に言い出したのが最初だった。

 日銀はインフレをおこすために

 「無責任」と思われるくらい金融緩和を続けよ、という提案だ。

 シムズ理論も無責任さを求める点でそれとよく似ている。

 こんどは「財政も無責任であれ」というのだ。』

 

う~む、なるほど……。

この解説を読む限りでは、なんだかうさん臭そうな理論ですね…。

ただ、この記事だけを読んで判断するのは早計だと思い、

日経新聞電子版で「シムズ理論」に関連した記事を検索してみると、

先月27日付けの平田育夫・客員コラムニストによる

『次は「異次元の財政政策」か 冒険やめて地道な改革を』

という記事にたどり着きました。

 

その記事には、政府がシムズ理論に傾いたときの経済の道筋が

次のように書かれていました。

第1幕 政府が財政健全化目標や増税の延期を表明。インフレにはならず。

第2幕 そこで政治主導の積極財政が続く。日銀の異次元緩和も継続。

第3幕 「団塊の世代」全員が75歳以上となる25年が近づいて

    医療費急増による財政悪化が懸念され、物価が上がり始める。

第4幕 貯蓄の外貨への転換による円安などで物価が一段と上昇。 

    だが日銀は金利上昇を嫌い厳しい引き締めをためらう。

    政治家は緊縮財政に動かない。

第5幕 人々の不安心理も重なりインフレが年10%超に加速。

    海外への資本逃避のほか政府と円の信用失墜、

    金融システム不安など経済は大混乱に陥る。

 

再び、う~む……。

やっぱりうさん臭そうですが、自分なりに、もう少し勉強してみることにします。

ところで、明日は送別会の予定があるため、この日記はお休みします。

(私の場合、飲んだ後は、物事の判断能力が著しく減退しているため、

とんでもないことを書くおそれがあるので、

基本的にその日は日記を書かないことにしています。)

心配性と悩み性

昨日は「悲しみ」と「哀しみ」について書きました。

今日は「心配性」と「悩み性」について書くことにします。

 

一昨日11日の日経新聞電子版「週末スキルアップ塾」で、

世界で最も権威のあるフランスのチョコレート品評会「C.C.C.コンクール」で

6年連続の最高位を獲得したショコラティエ(チョコレート職人)の

小山進・パティシエ エス コヤマ社長は、

「世界最高水準」の成果を出し続けられる理由を、

「心配性」だからと話されていました。

 

小山社長によると、「心配性」は実はとてもポジテイブな状態とのことで、

記事では、ポジティブな「心配性」とネガティブな「悩み性」の違いが、

「姿勢」「思考」「行動」に分けて、次のように整理されていました。

 

まず、「心配性」は、 

 ・姿勢 ⇒ 実現したい自主的な目標を持っている 

 ・思考 ⇒ 目標を達成するための具体的な課題をいつも考えている 

 ・行動 ⇒ 課題をクリアするために早め早めに行動する

次に、「悩み性」は、 

 ・姿勢 ⇒ 仕事に対して受け身で指示を待っている 

 ・思考 ⇒ 仕事がうまくできるか漠然とした不安を抱えている

 ・行動 ⇒ 「できない理由」がよぎり、なかなか行動できない

 

具体的には、小山社長は次のように述べられていました。

『「心配性」と「悩み性」を混同していませんか。

 心配とは「心を配る」ということです。起こるべきことを予測し、

 自分にはまだ足りないことがあるので はないかと考えて、

 それを補えるよう準備することです。

 「やりたい!」という情熱や目標があって、それを実現するために、

 あれこれ気を回して、早め早めに 行動する。

 実はとてもポジティブな状態なんです。

 それに対して悩み性の人は、「もし失敗したらどうしよう」と

 最悪のイメージばかり頭に浮かべて、縮こまっているだけです。』

 

はぃ、これでよく分かりました。

私は、これまで自分のことを「心配性」だと思っていました。

実はそうではなく、典型的な「悩み性」だったのですね……(反省)

 

最後に、小山社長の箴言です。

『コツコツと目の前の「小さな目標」をクリアしていくことでしか、

 大きな目標、つまり「夢」をかなえることなんてできないんです。』

 

これからは、私も大いにポジティブな「心配をする」ことにしたいです…。