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しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

国語辞典という「宇宙」

『辞書になった男~ケンボー先生と山田先生』

(佐々木健一著:文春文庫)を読了しました。

 

本書は、「明解国語辞典」という国民的辞書をともに作ってきた

二人の辞書編纂者(見坊豪紀山田忠雄)が、なぜ訣別し、

二つの辞書(「三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典」)が生まれたのか、

その真相に迫った本で、とても読み応えがありました。

 

本書のなかで、私が強く印象に残ったのは、

二人が訣別に至った経緯というよりも、著者が「おわりに」の箇所で書いていた、

「ことば」についての次のような記述でした。

 

・様々な番組の取材をしていて、いつも感じることがある。

 それは、名も無き人々が語る「ことば」の、目に見えない大きな「力」だ。

・「ことば」には元来、意思疎通をはかるために“伝える”という要素だけでなく、

 わざと“伝わらないようにする”要素も含まれており、

 様々に変化し、多様化していくという、二律背反した要素が備わっているのだ。

・ケンボー先生は、「ことばは、音もなく変わる」と言った。

 山田先生は、「ことばは、不自由な伝達手段である」と言った。

 辞書に人生を捧げた二人の編纂者は、

 「ことば」というものの本質を見事に捉えていた。

 

う~む、なるほど……。

「ことば」に対する考え方が一変するような記述です…。

また、国語辞典については、著者は次のように書かれていました。

『多様な世界観で捉えた、手の平でおさまり、無限に広がる“宇宙”

 それが「国語辞典」だった。』

 

なお、本書には、二つの辞書から、いくつかの「語釈」が紹介されていますが、

やはりその極めつけは、「新明解(三版)」の【世の中】という語釈だと思います。

【世の中】

 同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織りなすものととらえた語。

 愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、

 常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。

 

実に惚れ惚れする語釈です……。

私も、そして皆さんも、まさしくその【世の中】に、今、生きています。

 

 

雨に打たれた桜

こちらでは、桜がちょうど見ごろを迎えているのに、

昨日は終日、雨が降り、今日も午後3時過ぎまで小雨が降り続きました。

 

雨がようやく小降りになったので、大型スーパーに買い物に行くことして、

そのついでに、桜の開花の様子を観察してきました。

下の3枚の写真は、「エミフルMASAKI」の隣に立地する

「町立・松前公園」の桜です。

何分咲きなのかよく分かりませんが、私にはほぼ満開に見えます。

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今日は土曜日なので、本当だったらこの桜の木の下で

お花見を楽しむ家族連れで一杯だったでしょうね…きっと。

「神様は桜に冷たいなぁ~」と思うところですが、

雨に打たれた後も、何事もなかったように花びらを残す桜は、

これまた何とも言えない風情と風格があります。

 

「人」と「人生」を重なり合わせるように咲く桜は、

単なる自然物を超えた不思議な魅力を持っています。

 

非凡な努力の積み重ね

昨日6日は、新しい職場(公益財団法人)の歓迎会でした。

出席者は私を含めて13名、

そのうち理事長を含めて6名の方が、県職員時代の私の先輩という職場です。

緊張した一週間でしたが、早く職場に慣れて、

少しでもお役に立てるよう頑張りたいと思っています。

 

さて、話は変わりますが、今日7日の朝日新聞に、

『大岡さん逝く~言葉の信を紡いだ旅』という社説が掲載されていました。

 

社説によると、大岡信さんは、

古今の短歌や俳句、現代詩、歌謡などをとりあげ、

180字で解説・批評する朝日新聞一面コラム・「折々のうた」を、

足かけ29年にわたって連載されたとのことで、

大岡さんの功績などが次のように書かれていました。

 

『02年の本紙への寄稿では、

 舌先三寸で人を丸めこむ人物が国権の中枢部にぞろぞろいると嘆き、

 「人が互いに信頼し合って暮らすところでしか、社会の土台は固まらない。

 その基本は、相手の言葉が信用できるものであることを、

 他者がちゃんと認識できているか」と断じた。

 現在の日本社会にも通じる、重い指摘である。

 相手の理解を得る努力を尽くさずにおかしな言い訳や

 空疎な言い合いに終始する政治家や経営者、

 特定の民族や少数派を差別するヘイトスピーチ、ネット上にあふれる激しい中傷-。

 言葉が人と人を遠ざけてしまうそんな状況を、

 長く闘病していた詩人は、いったいどう見ていたのだろうか。

 大岡さんはこの寄稿で、言葉を「敏感な生きもの」と呼び、

 「もし自堕落な使い方を続けるなら、いとも簡単に劣悪な素材に変わってしまう」と

 警鐘を鳴らしている。

 桜の花びらのような小さな欄だが、

 全6762回は言葉への信頼を訴える太い幹となった。

 社会をつなぐ言葉の重みを、残された文章から問い直したい。』

 

う~む…、朝日新聞看板の一面コラムを29年で6762回ですか…。

すごいですね…。(絶句) とても真似できるようなものではないと思いました。

それはそうと、今日の朝日新聞「折々のことば」は、

政治・歴史学者中島岳志さんの言葉でしたが、その解説のなかで鷲田清一さんが、

中島さんの次のような言葉も紹介されていました。

『そういう平凡な努力の積み重ねが非凡なのです。』

 

では、大岡さんのように、「非凡な努力」が積み重なった場合は、

いったいどのように表現すればよいのでしょうね…?

いずれにしても、この言葉は、

鷲田さんから大岡さんへの「追悼の言葉」に、私には聞こえました。

「そんたく」という言葉

今日5日の朝日新聞デジタル版・「ニュースQ3」に、

『注目集める「忖度」、霞が関では当たり前?』という、

次のような冒頭の出だしの文章で始まる記事が掲載されていました。

 

『学校法人「森友学園」(大阪市)はなぜ、国有地を格安で入手できたのか。

 学園への国有地売却問題をめぐり、

 「忖度(そんたく)」という言葉が飛び交っている。

 「(役人が)忖度をしたということでしょう」。

 3月23日にあった日本外国特派員協会での会見。

 学園の籠池泰典氏がそう答えると、

 通訳は「read between the lines(行間を読む)」と忖度を英訳した。

 だが籠池氏の弁護士らとやり取りした後、

 「英語で直接言い換える言葉はない」としてこう言った。「sontaku(忖度)」』

 

さらに、記事では、忖度の意味について次のように書かれていました。

『そもそも、忖度にはどんな意味が込められているのか。

 広辞苑は「他人の心中をおしはかること」。

 米ユタ大学の東照二教授(社会言語学)は「言い切らないで相手に推量させる。

 あえて言葉にしなくても価値観を共有し合っていることを示すため、

 忖度が良い意味で使われることもある」と説明する。

 最近使われた忖度はどうか。

 「側近」が意向を推察する様が「忖度政治」と称された

 民主党政権時の小沢一郎幹事長(当時)。

 「NHK内で会長の考えを忖度する動きが広がる」と指摘された

 NHKの籾井勝人前会長。

 「権力者の意向を推量するといった悪い意味で使われる機会が増えている」と

 東教授は指摘する。』

 

今、私は、『辞書になった男~ケンボー先生と山田先生』(佐々木健一著:文春文庫)を

読み進めていますが、この記事を読んで「忖度」の意味が気になって、

枕元にある「新明解国語辞典(第七版)」で調べてみました。

そこには、『自分なりに考えて、他人の気持ちをおしはかること。』と

書かれていました。

 

う~む、なるほど……。

山田先生の「新解さん」らしくない、意外とサラリとした表現でした。

でも、次の改訂版が出版されるときには、

先般の英フィナンシャル・タイムズ紙に書かれていたように、

「与えられていない命令を先取りし、穏便に従うことを指す。」と、

悪い意味に書き換えられるのがほぼ確実のような、そんな予想をしています。(苦笑)

 

 

昨日と異なる今日

通勤途上のご近所の桜も、ようやく花がちらほらと咲くようになりました。

一方、我が家の庭のヤマモミジは、

あれよあれよという間に、新芽が勢いよく顔をのぞかせています。

そして、ご近所の玄関先では、ツバメが飛ぶ姿を見かけました。

う~む……。どの景色が、今という季節の本来の姿なのでしょう?

今年は季節の風物詩が「ごちゃ混ぜ」になっているような気がしてなりません。

 

さて、今日4日の愛媛新聞「季のうた」は、

矢野玲奈さんの『百歩ほど 移る辞令や 花の雨』という俳句で、

いつものように、俳人・土肥あき子さんの次のような解説がありました。

 

『辞令とは、企業が従業員に対して人事異動や転勤などの際に発令されるもの。

 距離的に至近の異動であっても、

 部署や役職が変わるとなると心境は大いに揺れる。

 作者の新しい机からは窓の外の桜が見えるのだろう。

 「花の雨」によって、明るさのなかにも感傷が含まれる。

 振り返れば見える距離でありながら、

 景色も顔ぶれも変わる百歩の遠さをあらためて思い、

 昨日と異なる今日が始まる。』

 

この心境、私にもよく理解できます。

古巣の建物に間借りしている法人に転職はしたけれど、

その顔ぶれは以前と全く異なります。

ちなみに、私の新しい机からは、桜の木は見ることができません……。