しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

何事も「少しずつ」……

今日は日中よく晴れて、汗ばむような陽気となりました。

ところが、午後5時過ぎから一転、雨が降り出してびっくり…です。

屋外に干してあった洗濯物を早めに片付けておいて正解でした。

 

さて、我が家の庭のヤマモミジは、

つい一か月前までは丸裸だったはずなのに、今はご覧のとおり、

みずみずしい新緑を、誇らしげにその身にまとっています。

また、ヤマモミジのお隣のドウダンツツジはたくさんの白い花、

ツツジは一輪の赤い花をそれぞれ咲かせています。

下の写真は、今日の我が家の「庭三景」です……。

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ところで、話は変わりますが、週末は「You Tube」で、

懐かしいフォークや歌謡曲を聴くのが私の楽しみの一つで、

昨夜も就寝前に、いろいろな懐メロをアットランダムに探して聴いていたところ、

偶然・幸運にも、豊島たづみさんの「少しずつ愛して」に巡り合いました。

 

♬ 立ち止まるのもいやだけど

  急ぎ足で恋を追いかけるのもいやなの

  いつも心のバランスを 失わずに二人

  みずみずしくいたいわね

  だから少しずつ愛して 少しずつ愛して

  しあわせはきっと なにげない顔をしてる

  淡い日だまりのように

  だから少しずつ愛して 季節が変わっても同じように

 

この曲は私の大好きな曲です…。

昨日は久しぶりに、豊島さんご本人の歌声を聴いているうち、

自然と目頭が熱くなりました。

また、この曲を「You Tube」にアップしていただいた方に感謝したいと思います。

皆さんも、ぜひ聴いてみてください。

 

愛も、そして人生も、季節の移り変わりのように、

焦らず、慌てず、いつも心のバランスを失わずに、

「少しずつ」でもいいから前に進むのが、一番のように思います。

「リスク」について考える

昨日は、前の職場の歓送迎会に行ってきました。

自己都合で退職したにもかかわらず、

皆さんから温かい慰労の言葉をいただき、かえって恐縮した次第です。

 

さて、一昨日12日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」を読んで、

少し考えるところがありました。

その「ことば」とは、福島智・東大教授の

『サーカスでのイメージが、そのまま社会的な文脈で

 さまざまなリスク対策に使われていることに違和感を覚えます』というもので、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

『「セーフティ・ネット」は空中ブランコなどで

 落下しても大事に至らぬよう張られた網のこと。

 そんな玄人の行為をモデルに福祉を語るのは危ういと、

 盲ろうの東大教授は言う。落下時の備えではなく、

 そもそも落下しないようにするための足場や手すりこそが必要だと。

 彼の前半生を追った記者・生井久美子の「ゆびさきの宇宙」から。』

 

う~む……。(しばし沈黙)

よく生活保護は「最後のセーフテイー・ネット」と言われますが、

鷲田さんが言われるように、

生活保護に至る前に、就労支援や職業訓練などの「足場」や「手すり」が

必要なのかもしれません。

そのほかには、何が考えられるのでしょう? たとえば、総合的な相談窓口…?

 

また、落下しないようにするためには、「足場」や「手すり」が必要だけれど、

やむを得ない事情で社会から「落下」した場合には、

何度でも再チャレンジできる対策や条件整備も必要だと感じます。

言い換えれば、「ネット」ではなくて「トランポリン」のようなもの……。

 

考えてみると、現代社会はリスクに満ち溢れています。

そして、誰もが想定外のリスクに遭遇する危険性があります。

リスクのことばかり考えていると、この世の中、前を向いて進むことができませんが、

やはり「正しくリスクを恐れる」ことは大切だと、コラムを読んで思いました。

夢多かりしあの頃

歌手のペギー葉山さんが今日12日午前、

肺炎のため83歳でお亡くなりになったそうです。

 

ペギーさんといえば、「南国土佐を後にして」という名曲があまりにも有名ですが、

私にとっては「学生時代」が、自分の人生における忘れ難い曲の一つで、

結局、確か昨年でしたか、NHK「思い出のメロディー」で、

この曲を歌われた元気なペギーさんを見たのが最後になってしまいました。

 

♬ つたのからまるチャペルで 祈りを捧げた日 

  夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば 

  なつかしい友の顔が 一人一人浮かぶ

  重いカバンをかかえて かよったあの道

  秋の日の図書館の ノートとインクの匂い

  枯葉の散る窓辺 学生時代

      ~(略)~

  本棚に目をやれば あの頃読んだ小説

  過ぎし日よ私の 学生時代

      ~(略)~

  テニスコート キャンプファイアー

  なつかしい 日々は帰らず

  素晴らしいあの頃 学生時代

  素晴らしいあの頃 学生時代

 

「学生時代」と一口に言っても、

私はこの曲を聴くと、いつも高校生の頃を思い出します。

私の母校には立派なイチョウの大木があって、

この歌詞のように、秋には校舎の窓辺から

黄色い枯葉のじゅうたんを見ることができました。

 

また、高校二年生の夏の修学旅行では、

キャンプファイアーを囲んでフォークダンスを踊りましたが、

大好きな彼女の手を握ったときの胸のときめきは、

今でも昨日のことのように思い出すことができます。

 

夢が多かりし私の学生時代(高校時代)……。

ペギーさんがお亡くなりになっても、この「学生時代」という名曲は、

甘酸っぱい思い出とともに、いつまでも私の心の中で生き続けます……。

「真の保守とは何か」を学ぶ

昨日10日に民進党から離党した

長島昭久衆議院議員の声明文をWeb記事で読みました。

そのなかで長島議員は、「真の保守」について次のように語られていました。

 

・「真の保守」とは何か。

 それは、わが国の歴史と伝統を貫く「寛容の精神」だと思います。

 ですから、「真の保守」は多様な意見を包摂することができるのです。

 実はこの間気付いたのですが、

 リベラルといわれている皆さんの方がけっこう過激でありまして、

 権力に対するルサンチマンのようなものがあって、

 寛容さに欠ける言動がしばしば見られます。

・私は、「真の保守」というのは、国際社会でも通用するような歴史観

 人権感覚を持ち得なければならないと考えております。

 不寛容なリベラルも、粗雑な保守も、一度立ち止まって国内外の現実を直視し、

 それぞれの議論を整理し直すべきではないかと考えております。

・「真の保守」は、左右の主張を包摂しつつ、

 対立点について粘り強く説得に努め、この国に「秩序ある進歩」、

 これは私の尊敬する小泉信三先生の言葉だが、

 この国に秩序ある進歩をもたらすことに力を注ぐべきではないかと考えます。

・それはまた、「中庸」の思想に通じるものがあります。

 中庸は、過剰に対する自制と不正に対する毅然とした姿勢によって、

 一方に偏ることなく常に調和を重んずる思想です。

 足して二で割るといった単純な話ではありません。

 中庸を保つためには、強い意志と高い理想がなければなりません。

 

ところで、私は民進党支持者ではなく、むしろアレルギーがあるぐらいですが、

民進党に所属していたにもかかわらず、

外交・防衛問題を得意とされていた長島さんの「真の保守」についての考え方は、

とても説得力があって、共感できるものがありました。

そして、大変勉強になりました。

また、この考え方からすると、離党の判断も理解できるような気がします。

 

特に、「わが国の歴史と伝統を貫く寛容の精神」、

「国際社会でも通用するような歴史観と人権感覚」は、

その主義・主張が、保守であれリベラルであれ、

これからの日本を担う若い方には必須の資質だと思いました。

 

昼寝の効用を知る

今月3日の日経新聞「こころの健康学」は、

『目を閉じ10分、疲れ癒す』というタイトルでした。

このコラムで、認知行動療法研修開発センターの大野裕先生は、

高校生の授業中の居眠り対策には昼寝が役に立つとして、

次のように述べられていました。

 

『昼食後に短時間の昼寝をすると眠気がとれて、

 午後の作業がはかどることがわかっている。

 私たちの眠気は12時間周期で強くなるとされている。

 そのピークが午前2時と午後2時だ。

 そのため午後2時の前に昼寝をすれば眠気がとれる。

 ただ、眠りが深くなると、起きた後にだるさが残ってしまう。

 そうならないようにするには、眠る時間を短くするのがよい。

 眠りが深くなる前に起きるのだ。昼寝の時間は10分から15分、

 長くても30分以内にしなくてはならないとされている。

 それも座ったまま眠った方がよい。

 これも、深い眠りに入らないようにするためだ。』

 

昼寝といえば、私も仕事の日には職場でお弁当を食べ、

そのあとは、椅子に座ったまま昼寝をするのが長年の習慣になっています。

職場の同僚には、庁舎外に食べに出たり、あるいは、散歩をする人もいましたが、

私はこれまでも、そして今も、そのような気力・体力がありません。

ただ、昼寝と言っても、布団で寝るように熟睡することはもちろんできず、

ひたすら目を閉じているというのが、私のスタイルです。

すると、大野先生は、次のようにも述べられていました。

『さて、このように昼寝が良いと言われても、

 そう簡単に昼食後に眠ることができない人もいる。

 その場合は、静かに目を閉じて椅子に座っているだけでも疲れがとれる。

 私たちは多くの情報を目を通して受け取っている。

 目を閉じることでそうした情報から距離を置くことができ、疲れがとれてくる。』

 

う~む、なるほど…。そういうものですか…。

これまで私は、職場で昼寝をすることについて、

消極的なイメージを抱いていて、ちょっとした負い目も感じていましたが、

自分でも気が付かないまま、結構、合理的な行動をしていたのですね…。

 

これからは、正々堂々と(?)職場で昼寝をすることにします。(笑)