しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

転勤と働き方改革

今日20日の日経新聞「私見卓見」欄に、

リクルートワークス研究所所長の大久保幸夫さんが、

『転勤は時代に合わない』というタイトルの意見を寄稿されていました。

 

大久保所長は、日本独特の慣行である「転勤」を言い渡される人は、

一年間に40万人もいるが、

この「転勤という仕組み」は制度疲労を起こしているのではないかとして、

次のように述べられていました。

 

・転勤の理由は崩れ始めている。

 採用難の現状では転勤がないことを売りにした方が人材は集まりやすい。

 高速交通やモバイルツールの普及も転勤しなくてよい環境を作っている。

 人材はそれぞれの地域で採用することを基本にすべきで、

 余人をもって代えがたい人材(管理職以上の幹部社員)だけを送り込めばよい。

・人材育成なら担当職務の変更やプロジェクト任用などで十分だ。

 マンネリ防止には「単身赴任で羽を伸ばす」という

 古い価値観が含まれているのではないか。

 長い間勤務すると取引先との癒着・不正が生じるというならば、

 不正がみつかるように長期休暇を取らせれば済む。

・共働き世帯は全世帯の6割を超え、

 働く夫と専業主婦の妻という高度成長期の家庭像は崩れてきている。

 夫の転勤についていけば妻のキャリアが阻害される。

 単身赴任すればワークライフバランスが崩れる。

 どちらも働く個人にとってはマイナスが大きい。

・転勤する人には手当や転居費用の補助などで

 年間100万~150万円程度の経費がかかるとされる。

 わざわざそのような出費をするほど転勤は必要なのだろうか。

 

う~む、なるほど…。どれもごもっともなご意見だと思います。

私の場合は、公務員生活36年の間に、何度も所属が変わりましたが、

引っ越しを伴った異動は、今治八幡浜の2回だけでした。

このうち、今治は新規採用時の勤務地で、

八幡浜は、当時は専業主婦の妻と小学3年生の娘の、家族三人で引っ越しました。

 

大久保所長が想定されているような、

全国各地を転勤するというケースではなかったけれど、

それでも、引っ越しを伴う異動の労力は大変なものがありました。

 

なお、先ほどの大久保所長は、

「転勤は個人が希望または合意した時のみ、

企業から転勤命令を出すのは一部の管理職だけにすれば、

勤務地、職務、労働時間を限定しない正社員のあり方を

根本から変えることにつながる。」ということをおっしゃっていました。

 

「適正配置や人材育成を目的とした転勤」を廃止するという企業が、

働き方改革の先進事例として認知される日が、近い将来のような気がしてきました。

いや、むしろこれからは、在宅勤務が基本的な働き方になるかもしれません。

ストレスオフな愛媛県

今日19日は、愛媛県にとってうれしい記事が、

次のような内容で愛媛新聞に掲載されていました。

 

・化粧品販売会社「メディプラス」の関連会社、メディプラス研究所(東京)は18日、

 20~69歳の女性約7万人を対象に全国で実施したインターネット調査

 (調査期間・3月31日~4月2日)で、

 愛媛県が47都道府県で最も「ストレスオフな県」だったと発表した。

・研究所が定義した「ストレスオフ」とは、

 常に心身が高ぶっている生活から個々人が心地よいペースを取り戻し、

 自らストレスマネジメントができている状態を指す。

 

う~む……、とってもうれしい調査結果です。

確かに、愛媛県は気候が温暖で自然災害が少なく、海・山の幸に恵まれ、

県民気質もゆったりとしていて、とても住みやすい環境なので、

女性だけでなく、子どもからお年寄りまで、

ストレスオフに過ごせるのかもしれません。

このニュースは、愛媛県に移住を検討されている方への、

絶好のPR材料にになると思っています。

 

ただし、愛媛県民すべてが「ストレスオフ」なのではありません。

我が家の奥様のように、私と私の父の世話に日々追われ、

常時「ストレスオン」の方も、なかにはいらっしゃいます……。(苦笑)

眠るのが苦手??

昨日17日の日経新聞「こころの健康学」は、

『起床時間で体内リズム保つ』というタイトルのコラムでした。

 

認知行動療法研修開発センターの大野裕先生は、

新年度という環境の変化があると、

生活のリズムが乱れやすくなるので注意がいるけれとも、

そもそも人類は眠るのが苦手な動物だとして、次のように述べられていました。

 

『ちょっとした物音でも目を覚ますような祖先が生き延び、今の私たちがある。

 だからそう簡単に眠ることはできないというのだ。

 そう言われれば、現代人の2~4割が睡眠の問題に苦しみ、

 新年度など新たな環境になると眠れなくなることが多いのも

 納得できるように思う。』

 

私もこの一年間、睡眠障害に苦しんできましたので、

大野先生が言われるところの「現代人の2~4割」の一人だと思います。

具体的には私の場合、多いときには夜中に3回ぐらい目が覚めて、

そのうち2回ぐらいは、尿意があってトイレに行きます。

そして、午前4時過ぎに目が覚めると、

そのあとはほとんど眠ることができないのです。

ですから、毎日のように、「熟睡した」という実感がありませんでした。

 

ところが、この四月から、新しい職場に勤務するようになって、

仕事は以前の職場よりも忙しく、また、精神的に緊張しているにもかかわらず、

夜中に目が覚める回数が確実に少なくなりました。

 

う~む……、これってどういうことなのでしょう?

この理由が精神的なものだとしたら、

よほど以前の職場におけるストレスが激しかったのでしょうか…?

自分ではよく分からないところがあります。

 

ただ、大野先生が言われているように、

「私たちの体は、寝つく時間ではなく、

起きる時間でリズムをつくるようになっている」のだとしたら、

私の場合は、毎日起きる時間が一定で、

職場では昼寝、というより椅子に座って目を閉じていることが、

身体に良い方向に働いているのかもしれません。

 

いずれにしても、熟睡できないことで、あまり悩まないようにしたいと思います。

便利な言い訳の言葉

今月14日付けの「溜池通信」の特集は、

地政学リスクを考える』というタイトルでしたが、

地政学」のポイントや「リスク」と「不確実性」の違いが

分かりやすく解説されていて、とても勉強になりました。

 

まず、「かんべえ」さんこと、双日総合研究所吉崎達彦さんは、

地政学は「地図を使って考える」という点に特色があり、

そのポイントは、①「国家」の立場から、

②「地理」という人間が変えられないものを前提に、

③「戦略」を考える学問で、④特に「戦争」に関する思考が中心になる、

と解説されていました。

 

また、「リスク」と「不確実性」については、

経済学において、この二つを分けたのはフランク・ナイトの功績とのことで、

前者は計算できる確率的事象、後者は確率を計算できない事象であり、

東京直下型地震など計算できるリスクは、実はそれほど怖くないけれど、

計算できない不確実性は、例えば「3/11震災」直後のように、

非常に怖く感じられると解説されていました。

 

そして、経済学者ナイトが偉大であった点について、

次のように述べられていました。

『経済学者ナイトが偉大であった点は、

 つまるところ人間社会において不確実性は排除できないから、

 経営者はこれに対処しなければならない。

 そして利潤とは、不確実性に対処することに対する報酬である、

 と喝破したことである。

 確かに企業を取り巻く環境は、計算できることばかりではない。

 かならずどこかに「不確実性」があって、

 そこはアニマル・スピリッツで乗り越えていかなければならない。

 端的に言えば、どこかで迷いを断って「エイヤア」と蛮勇を奮う必要がある。

 この点、「先行き不透明性」を強調することが多い最近の日本企業には、

 反省すべき点があるのではないだろうか。

 「地政学リスク」という言葉も、行動しないことの便利な言い訳として

 使われている面が無きにしも非ずだと思う。』

 

この記述のなかで印象的なのは、

「利潤とは、不確実性に対処することに対する報酬」という言葉です。

やはり経済活動を行っていくうえでは、

「アニマル・スピリット」が大切なのですね……。

 

ひるがえって、私のこれまでの人生はどうだったのか…。

計算できる「リスク」に対しては、あまり考えずに準備をしてこなかったし、

計算できない「不確実性」に対しては、

いたずらに考えすぎて、怖がってばかりいたように思います。

 

そして、最近、深刻な問題として考えているのが「長生きのリスク」です。

こちらも、「地政学リスク」という言葉ように、

「行動しないことの便利な言い訳」のように、

何の準備もしないまま、私は使ってしまいそうな気がしています。

生きざまを探す

今日もまずは音楽の話題から…。

昨晩、BS日テレで『歌え!昭和のベストテン~スーパーアイドル春の祭典』を

観ました。この番組では、私の大好きな曲を2曲聴くことができました。

 

その1曲目は、園まりさんの「逢いたくて逢いたくて」で、

2曲目は、石川ひとみさんの「まちぶせ」です。

お二人とも、それなりにお年を召されましたが、今でも十分に魅力的で、

歌も相変わらず上手だなぁ…と思いました。

あぁ~、それにしても、昭和の曲って、どうして心を打つのでしょう?

これって、高度経済成長期のノスタルジアなのでしょうか?

 

さて、続いては、読書の話題から…。

昨日14日の日経新聞「リーダーの本棚」は、SUBARU社長の吉永康之さんでした。

記事を読んでびっくりしたのは、

吉永社長の愛読書と私の愛読書が、僭越ながら、ほとんど同じだったことです。

愛読書の紹介のなかで吉永さんは、

安岡正篤先生のことについて、次のように書かれていました。

 

・安岡さんはご存じのように吉田茂大平正芳ら往時の総理の指南役といわれた人。

 フィクサーと呼ばれたこともあります。

 「活眼活学」「人が環境をつくる」などの言葉が面白くて、とりこになりました。

 「陽明学だけで三日三晩は語れるぞ」と当時の私は思っていました。

 それくらい読んでいたんです。 

・実践的な考え方です。だからこそ私の心にすっと入ったのだと思います。

 哲学も嫌いじゃないですが、やはり実践ですね、私は。

 陽明学というのは柱が2つあって、ひとつは「知行合一(ちこうごういつ)」。

 知っていてやらないのは、知らなかったことより悪い。

 会社でもよくありますよね。「それ知ってました」とか。 

・もうひとつは事上磨錬(じじょうまれん) です。

 仕事の上で鍛え上げろ、という意味です。

 裏返せば、学問で鍛えても本物にはならない。

 実践、仕事でやれるかどうかが問われる、という考え方です。

 仕事で困難に遭遇したらありがたいと思え、これで強くなれると感じよ、

 ということなんです。

 

う~む、私も安岡先生の本を、これまで何冊も読んできたけれど、

結局は、仕事や人生に生かせることができませんでした。(反省)

なお、吉永社長は、『読書とは「生きざま」を探すこと』と述べられていました。

とても、重みのある、素晴らしい言葉ですね……。

私も、もう少し真剣に、「生きざま」を探す読書に取り組んでみようと思います。