しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「我々」とは何かを考える

今日17日の朝日新聞デジタル版に、

日本の社会構造を説明した名著として知られる

『タテ社会の人間関係』(講談社新書)の著者、

中根千枝さんへのインタビュー記事が掲載されていました。

 

この本は、1967年の刊行から50年迎えた今も読み継がれ、

発行部数は117万部に達し、

社会人類学者で東京大学名誉教授の中根さんは、90歳になった現在も、

研究論文の執筆に取り組んでおられるそうです。

 

『著書では当時(高度経済成長期)の時代を映して、年功序列を特徴とする企業や

 派閥の論理で動く自民党などを分析対象にしていたが、

 近年はグローバル化や政治改革などによって、

 年功序列や派閥の存在感が薄れてしまっているようにも見えるけれども、

 日本の集団や組織は、半世紀たった今も「タテ」の原理で動いているのだろうか』

という問い掛けに対し、中根さんは「確かに変化は起きている」としつつも、

次のように述べられていました。

 

『ただし変わっているのは周辺であって、

 長い歴史のある大企業や公的機関などにはタテの仕組みが生きているでしょう。

 経済的な理由から雇用制度が変わっても、それはタテの社会構造と併存していく。

 自民党でも上下関係の強さは変わっていないはずです。』

原子力ムラの存在、長時間労働、そして天下り…。

 いま生きている日本人を見ていると、

 自説を修正しなければと思わされる芽が見えてこないのです。』

 

私はこの本を、確か、大学生の頃に読んだ記憶があります。

当時、どのような読後感想を抱いたのか、定かではありませんが、

社会人生活を37年間経験した今は、

『資格が同質であることをベースにした集団が「ヨコ」の関係にあるのだとすれば、

 日本の集団と組織は「タテ」の関係で構成されている。

「親分・子分」の関係性や入社年次などの「序列」がその典型…』とする

中根さんの理論構成がよく理解できます。

 

一方、同じ記事のなかで、文化人類学者の青木保さんが、

次のような解説をされていました。

『経済大国としてのアイデンティティーが崩れた1990年代以降は、

 日本文化論も日本社会論も不在の時代に入っている。

 国家を単位として「我々の全体」を説明する理論はもう出てこないだろう。

 日本人のアイデンティティーとなりうるものは現在、

 理論ではなく表現文化の形で現れている。好例は村上春樹の小説だ。

 現代の日本社会と人間を描き、世界で共感される。

 戦後日本が到達した普遍的な価値を示す表現として

 「我々」の説明にも役立つと思う。』

 

う~む……。「理論」ではなく「表現文化」ですか…??

まさかここで村上春樹さんの名前が挙がるとは思いませんでした。

でも、戦後日本が到達した普遍的な価値を示す表現としての「我々」というものが、

村上さんの小説のなかで、どのように描かれて、どのように読み解けばいいのか?

 私のレベルでは理解が困難です……。(トホホ…)

 

もう少し掘り下げて解説してほしかったです。

長い目で見る

今日16日の日経新聞「オピニオン」欄の「時論」に、

米素材大手スリーエム(3M)のインゲ・チューリン会長兼最高経営責任者(CEO)への

インタビュー記事が掲載されていました。

 

「右肩上がりの成長」はすべての企業の目標だけれども、

実現できる企業は多くなく、数少ない事例のひとつが

2016年まで58年も続けて増配中の米素材大手スリーエム(3M)であると

記事の冒頭で紹介されていました。

その記事のなかで勉強になった個所を、いつものように抜き出してみました。

 

・3Mの商品は工業用の研磨材から医療材料、

 「ポスト・イット」のような文房具まで幅広いが、

 総じて言えば、既存の商品は陳腐化によって毎年4%程度売り上げが逓減していく。

 その結果、5年経つと2割減る。

 その穴を埋め、さらに会社全体の売上高を押し上げるには、

 切れ目なくイノベーションを起こし、製品群の新陳代謝を活発にしないといけない。

 

・当社のイノベーションには2種類ある。

 一つはカスタマー・インスパイアード(顧客触発型)イノベーションと呼んでいる、

 お客さんと一体になって新しいモノを創る仕組みだ。

 日本での最近の成果としては、電車の外装を丸ごとラッピングする

 特殊フィルム素材がある。東京メトロJR東日本向けに開発した。

 

・もう一つのイノベーションの類型は、

 「社内用語でインサイト・ツー・イノベーション(洞察による革新)と

 名付けたもので、これは特定顧客向けというより、

 もっと幅広く新たな市場の創出を狙ったものだ。

 例えば従来製品に比べて耐久性を4倍に高めた内装用の研磨材や

 「アイガード」という患者の血液などから医療従事者の目を守る防護具は、

 日本の建設現場や病院でも広く使われている

 

・革新を生み出す一つの方法論に「エスノグラフィー(行動確認)」がある。

 技術者が実際にユーザーの立場を体験して、開発テーマを見つけ出す手法だ。

 

・3Mには「2つの15%」がある。

 まず年間18億ドル(約2050億円)の研究開発投資のうち

 15%は基礎的な研究に振り向け、何をテーマにどう進めるかは、

 リサーチ部門の自由に委ねている。私たち経営陣はあれこれ口をはさまない。

 

・もう一つは、個々の技術者に業務時間の15%は会社の命じた仕事ではなく、

 自分の好きな研究や開発に費やすよう奨励していることだ。

 会社に内緒で作業するので「ブートレギング(密造酒づくり)」とも呼んでいるが、

 この活動から多くのヒット商品が生まれている。

 

大変失礼ながら、3Mの商品といえば、

私は付箋の「ポスト・イット」しか知りませんでした。(スミマセン…)

記事を読んで再認識したのは、例えば、東レ炭素繊維の研究開発のように、

我慢強く基礎的研究に投資し続けることと、

それを許す経営判断と組織風土がとても重要だということです。

これは、組織における人材を、コスト(費用)ではなくアセット(資産)と考えるのと

相通じるものがあると思います。 

 

企業の投資も人材の育成も、長い目で見ることが大切なのですね…。

地方自治の成熟を考える

今日15日の朝日新聞社説は、

憲法70年~地方自治を成熟させる』というタイトルでした。

 

憲法を具体化するために憲法と同じ日に施行された地方自治法について、

『70年の節目に、改めて問う。地方自治は機能しているか。

 答えは残念ながら、不十分だと言わざるをえない。』

社説にはこのように書かれていました。

 

具体的には、

分権改革の最大の成果である機関委任事務の廃止が2000年に実現し、

政府と自治体の関係は「上下・主従」から「対等・協力」に変わって、

中央集権構造の解体の始まりを告げる「地方自治の夜明け」のはずだったのに、

いま分権改革は息切れしている、

いや、むしろ逆行しているようにさえ見えるとしたうえで、

分権改革の先行きは明るいとは言いない理由として、

一つは、沖縄県への強権的な姿勢など

安倍政権に地方自治を軽視する傾向が見られること、

そして、もう一つは、自治体側に中央依存体質が残っていることを挙げていました。

 

そして、社説には次のようなことが書かれていました。

『国の旗振りに応じ、全国各地で画一的なプレミアム商品券発行に走る。

 まちづくりの計画立案をコンサルタントに丸投げする……。

 地方行政が「お任せ」を続けているうえ、

 地方政治では議員の政務活動費の乱費が後を絶たない。

 これでは国と対等に渡り合えるはずもない。』

 

『振り返れば、公害対策も福祉政策も景観問題も情報公開も、

 自治体が国より先に政策をつくってきた。

 原発事故後は、自然エネルギー開発の先陣を切る自治体も多い。  

 地域の課題は地域の力で解決する。

 そんな社会をつくるには財源や権限を思い切って自治体に渡し、

 役割と責任を拡充する必要がある。』

 

私は県庁職員時代、

地方分権一括法が施行された平成12年(2000年)4月に、

市町村の行財政を担当する部署に配属されました。

県都松山市中核市に移行したのもこの年です。

それから通算で8年間、市町村の行財政に関する仕事に携わることになり、

この間、地方分権改革の推進や

究極の行政改革と言われた平成の市町村合併にも関わってきました。

 

平成12年から16年余りが経過し、

その間、県内に70あった市町村は20市町に激減するなど、

県内自治体はそれなりに汗をかいてきたと思っていたところ、

今日のこの社説では、「中央依存体質」であるとか、

「財源・権限の移譲」であるとか、

もう何年も前から指摘されていることが改めて指摘されていて、

現役の職員ではなくなったけれども、歯がゆく、空しく、悔しい思いをしています。

 

地方自治体が、いったいどのような状態になれば「地方自治の成熟」といわれるのか?

ふと、西尾勝先生の「未完の分権改革」という言葉を思い出した次第です

最強のメンタルコントロール術を学ぶ

『鋼のメンタル』(百田尚樹著:新潮新書)を読了しました。

 

ガラス細工のような壊れやすいメンタルしか持ち合わせていない私は、

書店でこの本の背表紙を見ただけで衝動買いをしてしまいました。

結果的には、読んでとても面白かった本でした。

そのなかでも、次の二つの記述は、大いに納得するところがありました。

 

・実生活において、「これ以上、頑張ると潰れるかもしれない」と判断した時は、

 素早く逃げるべきです。自分の体くらい大切なものはありません。

 そして逃げると決めたら、一刻も早く逃げるのです。

 そんな時に社会的体面や人間関係や義理などを考慮する必要はありません。

 逃げるときは何もかもほっぽりだして逃げるのです。

 

・世の中には「他人の悪口を言うのはよくないよ」と発言する人がたまにいます。

 はっきり言いますが、そういう人はほとんどの場合、偽善者です。

  ~(略)~  私はそういう人を信用しません。

 なぜならそういう人は自分にも嘘をついているからです。

 自分に嘘をつく人間は、他人にも嘘をつきます。この場合の嘘というのは、

 「本音を言わない」という意味です。ですから私はそういう人を信用しないのです。

 

普段から、妻と娘から「偽善者」と言われている私は、

二番目の記述を読んでドキリとしました。

まぁ、それはさておき、私も著者のように

「最強のメンタルコントロール術」を身に着けたいものです。

でも、これまでも強い精神力は持てなかったし、

たぶん、これからも持たないだろうなぁ~…(ため息)。

 

鋼のメンタル (新潮新書)

鋼のメンタル (新潮新書)

 

 さて、我が家の庭の最近の写真を2枚投稿します。

1枚目は、コチョウランです。

このコチョウランは、昨年3月末に定年退職した際に、

職場で頼りにしていた後輩職員からいただいたものです。

今年もその後輩のように律儀に花を咲かせてくれました。

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2枚目は、エゴノキです。

買って植えてから、ほとんど大きくならない木ですが、

こちらもこの時期に、控えめにピンクの花を咲かせてくれます。

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働くことと労働法

『労働法入門』(水町勇一郎著:岩波新書)を読了しました。

大学で労働法の教科書を読んで以来、

ほぼ40年振りに労働法について書かれた本を読みました。

実際に社会人生活を経験してから読むと、とても新鮮な気持ちがしました。

 

まず、労働を取り巻く今日的問題について、本書には次のように書かれていました。

『1990年代以降、労働市場グローバル化や競争激化が進展するなか、

 ふたたび深刻な労働問題が発生している。

 例えば日本では、リストラやコスト削減の波のなかで、

 会社に残された正社員、とりわけ若手社員が担う仕事の量や

 目標管理等によるストレスは増大し、メンタルな病気や過労自殺

 過労死と言った問題が深刻化している。

 その反面では、パート、アルバイト、派遣・請負労働者、ニートなど

 社会的に公正な処遇を受けていない非典型的な労働者や非就業者が数多く存在し、

 ワーキング・プアや格差問題が社会問題として顕在化している。

 激しい競争のなかで、働きすぎ(働かされすぎ)の労働者と、

 働こうと思っても希望通りには働ける場がない者との

 二極化が生じているのである。』

 

そして、日本の労働法の課題としては、次のように書かれていました。

『日本の労働法の大きな課題は、

 より開かれた形で労働者に集団性・連帯性を付与することと、

 労働者個人の人権を尊重することの二点にあると思う。

 しかし、「集団性」と「個人の尊重」とは相互に矛盾しあう性格ももっている。

 この両者を両立させながら実現していくことこそ、

 学問としての日本の労働法学の大きな使命であり、

 日本の労使関係にかかわるすべての人たちにとっての課題である。』

 

なお、本書のなかで私が印象に残っているのは、著者の次のような記述です。

『不条理な事態に直面したときに、

 泣き寝入りしたのでは自分の権利や信念は守れない。

 それだけでなく、法と乖離した実態を容認することは、

 会社側に法は守らなくてもよい、

 さらには、法を守っていては激しい競争に生き残れないという意識を植え付け、

 公正な競争の前提自体が損なわれる事態を生む。

 例えば、違法なサービス残業をさせないと、

 同様に違法なことをしている他の会社と対等に競争できないという状況を

 生みだしたりするのである。それは、現場で働いている人たちの人間性を蝕み、

 結局、そのような組織や社会は長続きしないという結果に陥る。

 このままでは、日本の会社の多くや日本の社会そのものが

 そういう状態になりかねない。』

『国家によって権利や自由が保障されていたとしても、

 それが侵害されている自分の状態を黙認してしまうことは、

 間接的に他人の権利や自由が侵害される、

 すなわち他人を同様の状況に追い込んでしまうことにもつながる。

 自分の権利が損なわれた場合には、誰か(どこか)に相談し、

 適切な行動をとるべきである。』

 

働くことはどういう意味を持つのか、

労働法を社会人生活のなかでどのように生かしていくのか、

本書から貴重な示唆を読み解くことができます。

ですから、特に新社会人の皆さんには、お薦めの一冊です。

 

労働法入門 (岩波新書)

労働法入門 (岩波新書)

 

 追記

労働法にはほろ苦い思い出があります。

というのも、私は労働法の単位を落として、大学を留年してしまいました。

今回、この本を読んで、

労働法をはじめとする「法学の目的」を再認識することができました。

それは、著者が述べられているように「正義を探求し実現すること」。

大学時代に真剣に勉強すべきでした……。(反省)