しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

孤独な時間を過ごす

今日は仕事から帰宅後、服も着替えずにそのまま、

氏神さんの「輪越し祭り」に行ってきました。

我が家の奥様は、今日は仕事仲間の送別会とのことで、今年は私一人で参拝しました。

普段は、参拝する人がほとんどいない氏神さんは、

今日に限っては、ご覧のとおり、大勢の参拝客で賑わっていました。

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さて、今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、

森繁和さんの「潰れない選手、伸びる選手には、共通点がある。

……それは、孤独な時間をきちんと過ごせることだ。」という言葉で、

鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

落合博満監督の下でヘッドコーチを務めた中日の現監督は、

 選手に「こうやれ」ではなく「こういうやり方もあるよ」と言ってきた。

 野球は自分で考え抜いてやるものだからと。

 人生でも潰れないためには、他人とつるんだり慰めあったりするのではなく、

 自分にしかと向きあう「孤独」という場を内にもつことが大切。

 著書「参謀」から。』

 

う~む……。(感嘆)

自分ときちんと向き合うためには、「孤独」が必要なのですね。

短いけれど、とても奥が深い言葉だと思います。

適正規模を考える

今日28日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、

E・F・シューマッハー

『どんな活動にも、それにふさわしい規模というものがある。』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

国連の加盟国の急増が示すように、

 20世紀、大国は分裂して小国になる傾向にあった。

 また人々の「巨大信仰」とは裏腹に、

 スイスやデンマークなどの小国は経済的にも豊かである。

 「人間というものは、小さな、理解の届く集団の中でこそ人間でありうる」

 と経済学者は言う。都市のサイズも再考が必要だと。

 「スモール・イズ・ビューティフル」(小島慶三・酒井懋訳)から。』

 

「スモール・イズ・ビューティフル」という言葉を久しぶりに聞いたように思います。

いつ頃流行った価値観なのかは、すっかり忘れてしまいました。

そういえば、県職員時代、市町村合併の促進事務に関わっていたころ、

市町村の適正規模(人口や面積等)はどれくらいが相応しいのか、

私なりに真面目に考えたことがあります。

未だに答えらしきものを見つけることができませんが……。

 

市町村の適正規模といった「都市のサイズ」ではないにしても、

「人間というものは、小さな、理解の届く集団の中でこそ人間でありうる」

というのは、重要なご指摘だと思います。

そういう意味では、顔が見える範囲の、身近な町内会や自治会といった集団が

生活していくうえで一番大切な組織なのかもしれませんが、

例えば、我が家が属する町内会では、空き家がある一方で、

分譲宅地に新しい住民の方が引っ越してきたりして、

昔ながらの意思疎通がなかなかできにくい住環境になりつつあります。

なお、その空き家や分譲宅地は、高齢化によって、それまで住んでいた方が

長年住み慣れた家から転居されたことによって生じたものです。

 

「理解の届く集団」といえば、 その最小単位である家族の維持存続でさえ、

危うい社会になっているような気がします。

「裏切者」は誰??

昨日25日の朝日新聞デジタル版「波聞風問」を読んで、

民進党前原誠司元外相が中心となって、

次期総選挙で「消費増税」を公約に掲げるべく、

新マニュフェスト(政権公約)づくりを進めていることを知りました。

 

増税で段階的に年間10兆~30兆円の財源をあつめ、

保育や教育、職業訓練、 介護など幅広い世代にむけた生活保障を実現する」

との構想らしいのですが、

記事に書かれているように、構想自体に目新しさはないものの、

国政選挙で消費増税を掲げて戦うのがタブーなこの国では画期的なことで、

政党・政治家として、とても勇気がいることだと思います。

 

また、この記事では、原真人・編集委員

映画「ゴッドファーザー」のセリフを引用した、次のような解説が印象に残りました。

 

『 ~(略)~ 増税すれば社会を変えられる。

 消費税アレルギーの日本では、まずその成功体験が必要だと考えているからだ。

 もちろんいくら正論でも、負担増の説得は難しい。

 いちど信頼を失った民進党ならなおさらだ。

 それでも挑戦が簡単に失敗してほしくはない。

 映画「ゴッドファーザー」に、

 マーロン・ブランド扮するドンのこんな見せ場があった。

 死期が迫り、アル・パチーノ演じる後継者の息子にささやく。

 抗争組織との和解を親切そうにお前にもちかけてくる配下がいるだろう、と。

 「そいつが裏切り者だ」

 これからも選挙のたびに、「消費増税は経済や生活に打撃を与える」

 「だから先送りが必要」と、国民受けする公約をもちかけてくる政党や政治家が

 後を絶たないだろう。そのとき、このセリフを思い出してほしい。

 それが本当の裏切り者だ……と。』

 

消費増税による負担増は、国民生活に少なからぬ打撃を与えるでしょうが、

このままでは国や地方の財政悪化が加速して、

早晩、社会保障などが行き詰まることは、私をはじめ、

皆さん、うすうす、いや、はっきりと気づいているのではないでしょうか?

消費増税して、かえって将来設計に不安がなくなった社会を、

残り少ない人生で見届けてみたい思いもあります。

 

昨日のこの日記では、「民主党政権時代に戻るのは、もうこりごりだ」と書きました。

その言葉のとおり、民進党の将来にはあまり期待できそうにないけれど、

与野党を問わず、故・与謝野馨さんの遺志を継いで「黄金の釘」を打つ、

一握りの政治家の言動には大いに期待したいと思います。

知らず知らずのうちに

今月21日付けの「溜池通信vol.621」の内容がとても面白かったです。

特集のタイトルは、『平成30年史の中の安倍政権』でした。

是非、一読をお薦めします。

 

内閣支持率がここ2カ月で急落していることについて、

「かんべえ」さんの仮説によると、有権者は「平成の終わり」を意識し始めており、

それが内閣支持率に化学変化をもたらしているというもので、

「昭和の終わり」の時ほどではないにせよ、

「間もなくひとつの時代が終わる」という意識が知らず知らずのうちに、

メンタルな変化をもたらしているのではないか、

つまり今回の支持率急落は、単に「長期政権が飽きられた」

ということが本質なのではないか、ということでした。

 

う~む……、相変わらず鋭いご指摘だと思います。

そして、「かんべえ」さんは、安倍首相の次の一手は、

野党が力を得ているのではなく、「飽き」という内なる敵が相手なのだから、

それほど難しくないとして、次の3点を示されていました。

 ①後継者が誰かを「見える化」すること

  それだけで「安倍一強」への警戒感は半減する

 ②内閣改造人事において、政権の骨組みを含めた大幅刷新を行うこと

 ③「ボトムアップ型」手法を取り入れること

  ときには「弱い首相」の振りをするのも一案

 

なお、「かんべえ」さんは、平成30年史を振り返って、

「危機感」と「リーダー」と「世論の支持」という3要素のうち、

ひとつでも欠けると改革は進まないとも述べられていました。

 

私は、今の安倍自民党の政策を全面的に支持している訳ではありません。

しかし、「かつての民主党政権時代に戻るのは、もうこりごり」というのが

正直で偽らざる気持ちです。

 

話は変わりますが、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドに、

『知らず知らずのうちに』という名曲があります。

 ♬知らず知らずのうちに 君を好きになって

  知らず知らずのうちに 夢を見ていた ……… 

内閣支持率も、「知らず知らずのうちに」急落するものなのですね…。

 

 

 

 

 

規模の大きさにびっくり

今日は出張で今治市に行ってきました。

午前中の会議を終えて、昼食は、

市内の農畜産物の直売所「さいさいきて屋」で食べることになりました。

 

平日だというのに駐車場は、ほぼ満車状態でした。

施設の中に入るのも初めてで、その規模の大きさにびっくりしました。

「彩菜食堂」というセルフサービスの食堂も、おかずなどが豊富で、

どれを選ぼうか迷ってしまいました。

 

ところで、私は今日の今日まで、「さいさいきて屋」は、

宇和島市の「きさいや広場」や八幡浜市の「みなっと」のように、

「道の駅」だと思っていましたが、

上司から「JAおちいまばり」の直営店舗と聞きました。

 

私が住んでいる松前町にも、「エミフルMASAKI」の敷地内に、

「まさき村」という地産地消の小さな店舗がありますが、

こちらは町商工会が運営主体となっているようです。

大型SCと共存共栄を図るためにはやむを得ないのかもしれませんが、

先ほどの「さいさいきて屋」と比べると店舗面積が極端に狭いように思います。

 

一言で地産地消や地域振興のための施設といっても、

その運営主体や運営方法などは様々であることを学んだ一日でした。