しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

心のモヤモヤ解消と経済学

今日7日は、二十四節気の「立秋」です。

台風5号が過ぎ去った後は、肌に触れる風も涼しさを感じます。

暦どおりに、季節が一気に秋に近づいたような気がしました。

 

さて、今月5日の日経新聞電子版「週末スキルアップ術」に掲載された

柳川範之東京大学経済学部教授の執筆による

『ビジネス人生の心のモヤモヤは「経済学」で解消できる』

というタイトルの記事が とても参考になりました。

 

記事によると、ビジネスパーソンの多くが抱いている閉塞感や挫折感は、

日本経済の停滞に起因している場合が多く、

その解消には経済学の考え方が役立つとのことで、

心のモヤモヤ解消に必要な4つの視点が次ように解説されていました。

 

①別の選択肢を考える

 別のものを選んだら何を得られるか(=選ばないことで何を失うか)

 を浮き彫りにする「機会費用」という考え方を用いると、

 選択肢を広げて考えることの重要性を認識しやすくなる。

②選択肢を残しながら少しずつ進む

 行動を起こす際には、「失敗したら後がない」と、一か八かの勝負に出るのでなく、

 「ほかの選択肢も残しながら、少しずつ進む」のが正解。

 選択肢がある状態は、「オプション価値」といって、

 経済的に価値が大きいとされている。

③「考えること」と「考えても意味がないこと」を分ける

 経済学には「過去にかけた、もう取り返せない労力やコストは考慮すべきでない」

 という「サンクコスト」の考え方がある。

 考慮すべきは、「将来の成功につながるか否か」のみ。

 そう割り切れば、ムダに悩まずに済むはず。

④将来を見通す

 先のことはその都度考えるしかない、というのはもったいない。

 世の中には常に予想外のことが起きる。いざ事が起こったらどうするか。

 普段から心積もりをしていれば、絶望したり思考停止することなく対処できる。

 手帳などに書いて頭を整理し、定期的に見直して修正を加えていくと、

 「こういう可能性に備えて、このスキルを磨いておくべき」といった、

 「今やるべきこと」が見えてくる。

 

最後に、柳川教授は、次のように述べられていました。

『最後にお伝えしたいのは、心がモヤモヤした時こそ、

 「学問」に目を向けてほしいということ。自分が仕事を通じて経験してきたことを、

 自社でも他社でも通用する「武器」にするのに、学問はとても役立ちます。

 経済学、経営学はもちろん、哲学もしかり。

 学問の力を借りて経験を体系立てて整理すると、

 「自分のスキルにどの程度の汎用性があるか」を見極めることができる。

 何より自分の中に大きな自信が生まれ、気持ちにもゆとりが生まれるはずです。』

 

う~む、なるほど……。 学問の力は大きいものがあるのですね。

私も、もっともっと勉強する必要がありそうです。

そして、今度の三連休、

我が家にやって来る予定の社会人2年目の甥っ子に、

この記事のことを伝えたいと思います。

(自分の娘を忘れていました。銀行ウーマンの娘にも伝えることにします。)

たとひ力は乏しくも……

『詩のこころを読む』(茨木のり子著:岩波ジュニア新書)を読了しました。

 

この本の「はじめに」での著者の記述によると、

この本で紹介されている詩は、

「心の底深くに沈み、ふくいくとした香気を保ち、

私を幾重にも豊かにしつづけてくれた詩」ということで、

著者によって選ばれた詩もさることながら、著者の解説が素晴らしかったです。

 

その選ばれた詩の中でも、今の私が一番印象に残ったのは、

河上肇詩集の「老後無事」という詩と著者の解説でした。

(河上肇(1879-1946)は経済学者。

京大教授の席を追われ、戦前の左翼の地下活動、検挙、5年近くの獄中生活、

敗戦の翌年死亡という、波乱に富んだ生涯を送った人。)

 

まず、その詩というのは、

『たとひ力は乏しくも 出し切つたと思ふこゝろの安けさよ。

 捨て果てし身の なほもいのちのあるまゝに、

 飢ゑ来ればすなはち食ひ、渇き来ればすなはち飲み、疲れ去ればすなはち眠る。

 古人いふ無事是れ貴人。

 羨む人は世になくも、われはひとりわれを羨む。』

 

次に、著者の次のような解説がありました。

『この詩は出獄後のものですが、

 学者としての活動もできない孤独でさびしい日々に、

 こういう清澄で張りのある心境をもち続けられたということに溜息が出ます。

 河上肇ほど偉い学者でなくても、どんな職業であっても、

 「たとひ力は乏しくも 出し切ったと思うこゝろの安けさよ」

 このあたりまでは、誰でも行くつもりなら行けるのではないかしら。

 このあたりまではともかく生きてみなくちゃならないのかもしれない、

 そんな大きな励ましすらあたえられます。

 「古人いふ無事是れ貴人。」は、すばらしい一行。』

 

昨日のこの日記のタイトルではありませんが、

「もう少し頑張ってみよう」と、生きる力を与えてくれる詩だと思います。

なお、著者は「いい詩」というのはどういうものか、

本の「はじめに」の冒頭で、次のように述べられていました。

『いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。

 いい詩はまた、生きとし生けるものへの、

 いとおしみの感情をやさしく誘い出してもくれます。

 どこの国でも詩は、その国のことばの花々です。』

 

とにもかくにも素晴らしい本でした。

もう少し若い時にこの本に出合っていたら、

私のその後の人生も、もっと心豊かなものになっていたのではないか、

そんな気持ちにさせてくれる本です。

これからの若い方に、是非一読をお薦めしたい一冊です。

 

詩のこころを読む (岩波ジュニア新書)

詩のこころを読む (岩波ジュニア新書)

 

 

もう少し頑張ってみます

台風5号が近づいているようで、

こちらはジトジトとした湿った風が吹いて、

体感温度としては、とんでもない暑さを感じた一日でした。

この暑さで身体には相当な負荷がかかつているはずなのですが、

薬が効いているせいか、おかげさまで、めまいの発作が起きることはありません。

 

さて、今日5日の日経新聞「マネー&インベストメント」欄に、

『働くシニアの年金心得』という記事が掲載されていました。

記事によると、豊かな老後を送るには長く働いて収入を得るのが効果的で、

かつ、公的年金の知識も欠かせないとのことで、

60歳以降も厚生年金に加入して働く主な利点が、次のように整理されていました。

 

・将来リタイア後に受け取る年金額が増える

・亡くなったときに遺族が受け取る遺族厚生年金が増える

・加入期間中に障害を負った場合、障害厚生年金を受け取れる

・払った年金保険料は社会保険料控除の対象になる

・配偶者が60歳未満で第3号ならその保険料負担は生じない

 (働く本人が65歳になるまで)

 

う~む、なるほど……。そういう仕組みなのですか……。

私は、正直なところ、気力・体力ともに、かつてのような自信がなく、

今すぐでもリタイアしたい衝動にかられますが、

自身や家族の将来のことを考えると、安易にリタイアするのは得策ではないようです。

 

そんな弱気な私の、今現在の「心の支え」となっているのが、

スイスの哲学者、カール・ヒルティの、「幸福論」のなかの次のような言葉です。

『ひとの求める休息は、まず第一に、肉体と精神とをまったく働かせず、

 あるいはなるべく怠けることによって得られるのではなく、

 むしろ反対に、心身の適度な、秩序ある活動によってのみ得られるものである。

 人間の本性は働くようにできている。

 だから、それを勝手に変えようとすれば、手ひどく復讐される。』

『ひとを幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功のよろこびである。

 この世の最大の不幸は、仕事を持たず、

 したがって一生の終わりにその成果を見ることのない生活である。』

 

はぃ、分かりました。公的年金のことはともかくとして、

おっしゃるとおりに、もう少し、頑張ってみることにします……。

 

 

 

 

言葉の意味をずらす

今月1日の朝日新聞デジタル版に掲載された

野矢茂樹・東大教授の『言葉の意味ずらす今の政治』という

寄稿記事が面白かったです。

 

野矢教授は、「言葉の意味をずらす技術」のみごとな例として、

加計学園問題についての閉会中審査における

小野寺五典氏(自民党)の質問に対する

八田達夫氏(国家戦略特区ワーキンググループ座長)の答弁と

安倍首相の「こんな人たち」という発言という二つの事例を、

次のとおり紹介、解説されていました。

 

まずは、八田座長の事例について

・「政治の不当な介入があったり公正な行政がねじ曲げられたりしたと感じるか」

 と質問され、八田氏は「不公平な行政が正されたと考えている。

 獣医学部の新設制限は日本全体の成長を阻害している」と応じた。

 問われたのは獣医学部新設の是非ではなく、それを決めるプロセスの公正さである。

 ところが八田氏は、獣医学部の新設制限こそが不公正なのであり、

 むしろ今回、不公正が正されたのだと訴えた。

 「公正」ということの意味がプロセスの公正さから

 結果の公正さへとずらされている。

 しかしあまりそう感じさせないところが、巧みである。

 

次に、安倍首相の事例について

・ ~(略)~ これに対して首相自身は、閉会中審査において、

 「選挙妨害に負けるわけにはいかない」と言ったのだと弁明した。

 ここでは「こんな人たち」という言葉が、

 その人たちが為した「こんな行為」を意味するものとされている。

 これも、言葉の意味をずらしていく技の一例である。

 

なお、この寄稿記事では、 「答えたくない質問への応対の仕方」や

「失言した時の挽回法」が紹介、解説されていたほか、

コラムの最後には、野矢教授の次のようなコメントがありました。

『だが、こうしたことを学ぶのは、

 あくまでもこんなやり方に騙(だま)されないためである。

 言葉をねじ曲げるようなやり方を自ら振り回すべきではない。

 言葉を大切にしない人を、私は信用する気にはならない。』

 

う~む、なるほど……。 この点、私の場合は心配なさそうです。

「言葉をねじ曲げるようなやり方」を身に付けていれば、

現役時代の職場でも、もっと如才なく立ち回ることができていたはずです。(苦笑)

かといって、私が言葉を大切にしてきたかといえば、これまた自信がありません。

 

言葉って、やっかいな存在なのですね……。

 

覚悟を持つということ

日経新聞「やさしい経済学」では、今月1日から

今野浩一郎学習院大学名誉教授の執筆による

『シニア雇用の人事管理』というコラムの連載が始まっています。

その第一回目のタイトルは、「戦力化へ企業・社員とも覚悟を」というもので、

次のような記述がありました。

 

『高齢者をめぐる労働市場の概況は、

 将来にわたって「労働力人口のほぼ5人に1人は60歳以上」というものです。

 これは企業の平均的な社員構成を表しています。

 企業は、シニア社員が「社員のほぼ5人に1人」という

 大きな集団になる時代を迎えているのです。

 ここまでくるとシニア社員の戦力化は、

 企業にとって「覚悟」を持って取り組まざるをえない経営課題になります。

 シニア社員の側も事情は似ています。

 定年後は余生のように働くことが許される時代ではありません。

 60歳を超えても職場の戦力として働くため、

 キャリアと働き方を考え直す「覚悟」が求められます。

 どんな施策を考えても、覚悟がなければ機能しないし、

 覚悟さえあれば道は開けます。

 シニア社員が活躍する人事管理を構築するうえでまず求められるのは、

 会社もシニア社員も本気になって事に当たる覚悟を持つことなのです。』

 

う~む………。(絶句)

この記述のなかでも特に、

「定年後は余生のように働くことが許される時代ではありません。

60歳を超えても職場の戦力として働くため、

キャリアと働き方を考え直す「覚悟」が求められます。」には、

正直、ドキリとしました。

 

私の今の職場は、定年退職後、二度目の職場となります。

本人は本人なりに、一所懸命頑張っているつもりなのですが、

今の勤務先からみると、私の「覚悟のなさ」が見て取れて、

「戦力」には「はてなマーク」がついているように思います。

 

シニア社員の一員として、

「本気になって事に当たる覚悟」をどのように身に付けるべきなのか……。

これからの連載記事を、「覚悟」をもって読みたいと思います。(苦笑)

連載記事を読み終えたら、その感想文をこの日記に書くことにします。