しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

偶然の記事に驚く

昨日のこの日記で、大阪・天王寺動物園のことを書きました。

すると偶然にも、今日の愛媛新聞「社会面」に、天王寺動物園のことが書かれていて、

正直、びっくりしました。

 

記事によると、園が毎年、8月15日の終戦の日に合わせて、

水兵服姿で鉄かぶとをかぶり、模型銃を肩に掛けるメスのチンパンジーの写真を

展示しているそうです。そのチンパンジーの名前は「リタ」…。

アフリカから1932年に来園したリタは、竹馬や自転車に乗る芸を約1カ月で習得。

2年後に来た2歳下の雄「ロイド」と共に全国区の知名度を誇ったものの、

国民の戦意高揚に利用され、物資不足で平均寿命の半分も全うできなかった、

と書かれていました。さらに、戦時中には、空襲による猛獣脱走を防ぐ目的で、

ライオンなど10種26頭が毒殺、銃殺されたとのこと。

園の一角には戦後まもなく、リタとロイドのコンクリート像が設置されたそうで、

記事には、その鉄かぶとをかぶったリタとコンクリート像の写真とともに、

園の獣医師さんの「動物園が賑やかな国は平和だということ」というコメントが

掲載されていました。

 

う~む、園にはそんな戦争の歴史があったのですね……。

子どもの頃、園を訪れた私は、その像の前に立ち止まったのかもしれません。

今度、大阪天王寺を訪れた際には、「賑やかな動物園」にも行ってみたいと思います。

 

さて、話は変わりますが、今年は、今日14日がお盆の棚経の日に当たりました。

毎年のことながら、住職さんが何時頃にお見えになるのか定かでないので、

今日は仕事をお休みして、我が家への回行を待つことにしました。

そして、午後2時前に到着された住職さんに短いお経を読んでもらい、

私からは、お布施と冷たいお茶・おしぼりをお渡ししました。

今日は曇り空で気温はそれほど高くはありませんでしたが、

この暑い中、袈裟を着て檀家を一軒一軒回るのは、大変なお務めだと思います。

 

こうして今年も、我が家のお盆の一日が過ぎ去っていきます……。

 

ずっと不変と思っていたもの

今日13日の愛媛新聞「ふるさと伝言」は、

ギフトコンシェルジュ・裏地桂子さんの執筆による

『人も故郷も歳を重ねて』というタイトルのコラムでした。

 

裏地さんは、帰省した実家や周囲の街並みが歳月を経て、

幼いころに見たのとはどこか違って見える、と述べられたうえで、

次のように書かれていました。

『子ども時代は土地も街もずっと不変で、

 普遍的な価値を持つものだと思い込んでいました。

 ですが、その価値や魅力は時代や情勢によって変化します。

 人間の見方も変化するものなんですね。

 視点や物差しが変わるというイメージでしょうか。』

 

先日、大阪天王寺を訪れた際、子どもの頃、

両親に天王寺動物園に連れて行ってもらったことを思い出しました。

今でもその動物園はあるのでしょうか……?

その当時、私に見えた天王寺という街の風景は、どんなものだったのでしょう?

まさか、高層ビルが建つ街に生まれ変わるとは、夢にも思わなかったでしょうね。

 

さて、その大阪旅行の疲れを癒すため、

今日は、自宅近くの海岸沿いに立地する、漢方薬草湯「元気人村」に行ってきました。

最近、外装をリニューアルして、ご覧のような建物に生まれ変わりました。

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新しく露天風呂もできて、その露天風呂から間近に海と砂浜を見ることができます。

今日は、水上ボートを楽しむ人や、海で泳いでいる人がいました。

この見慣れた風景も、子どもの頃とはずいぶんと様変わりをしています。

裏地さんの言われるように、たぶん、子どもの頃の私は、

この風景がずっと変わらずに続くものだと思っていたのでしょうね……。

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世代の橋渡しという役割

8月9日に亡くなった叔父は、満75歳でした。

叔母によると、最後の最後まで生きる希望を失わず、

肺がんの抗がん剤治療にも懸命に立ち向かったとのことでした。

 

9人の兄弟姉妹のうち、末っ子だった叔父は、

6番目に生まれた私の母と、とても仲良くしていました。

私がまだ滋賀県大津市に住んでいた小学生の頃、

当時独身だった叔父は、おもちゃを持参して、よく我が家を訪ねてくれました。

また、私が愛媛に帰って2年目の中学3年生の時には、

大阪万博を観に行くため、叔父の家に泊めてもらったことを思い出します。

昨日は、その叔父の甥っ子、姪っ子の数名が勢揃いし、

懐かしい昔話に花を咲かせたところです。

この再会の機会を与えてくれた叔父に感謝したいと思います。

 

さて、昨日の大阪天王寺は、大勢の人で賑わっていました。

昼食は妻と二人で、「あべのハルカス近鉄本店」のレストラン街で食べましたが、

順番待ちで並んだ時間を含め、約1時間30分を要しました。

下の2枚の写真は、その昼食のテーブル席から撮ったものです。

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そして、今日12日は、

5月に結婚した甥っ子夫婦が兵庫から帰省し、我が家を訪ねてくれました。

身を粉にして働いて人生を終えた母方の叔父と

若くて人生の希望に満ち溢れた父方の甥っ子…。

その二人の世代を「橋渡し」しているのが、

「私」という存在なのかもしれないと、ふと考えた次第です……。

 

相変わらず暑い日が続いていますが、

立秋も過ぎ、吹いてくる風に涼しさを感じるようになりました。

窓の外から聞こえてくる蝉の鳴き声も、

いつの間にかツクツクボーシに主役が交代しています。

ここ数日、慌ただしい日を過ごしたため、お盆の準備がまだ整っていません。

明日は迎え火を焚き、この世に帰ってくる母に、

この一年間のいろいろな出来事を報告をしたいと思います。

 

ただいま帰りました

叔父との最後の別れを済ませ、午後9時過ぎに、無事、大阪から帰宅しました。

昨晩は、松山発午後8時35分の関西空港行き飛行機の出発が約1時間遅れたため、

大阪北浜のホテルに着いたのは、日付が変わる直前の、午後11時30分過ぎでした。

慌ただしい大阪旅行の詳細は、明日以降、この日記に書くことにします。

 

これから大阪です

昨晩、母方の叔父が亡くなりました。
仕事を終えた後、今、松山空港にいます。
今回は、高齢の父を連れていくのは諦め、
妻と二人で行くことにしました。

タブレットでこの日記を書いているので、
今日は短い文章しか打つことができません。(苦笑)