しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

分岐するいくつもの道

今日18日の日経新聞に掲載されていた、

EPSONの全面広告を眺めていたところ、そこでページをめくる手が止まりました。

その広告には、作家・村上龍さんが、『「時」が示す、新しい道』というタイトルで、

次のような自筆のショートエッセイを書かれていました。


『自由とは、選び取ること。迷いは、常にある。目の前には、分岐するいくつもの道がある。

 誰も通ろうとしない、もっとも険しい道を選ぶ。立ち止まったり、戻ったりしない。

 進むうちに、「時」が刻まれるのがわかる。

 懐かしい感覚、こうやってこれまでも進んできた。

 そして、時の流れとともに、「これが、新しい道だ」と気づく。』


このショートエッセイを読んで、亡くなった母方の伯母のことを思い出しました。

終戦直後に、旧満州から命辛々引き揚げてきた伯母が、

子供の頃の甘ったれた私に、いつも説いていた言葉に、

『しんちゃん‥、あなたのこれからの人生で、道が二つに分かれて迷ったときには、

 苦しい方の道を選びなさい。楽な方の道を選んで、後々、後悔しないように‥‥』がありました。


果たして私は、この伯母の言葉を、忠実・誠実に守った人生を送ってきたのだろうか‥‥?

自問すると、「忸怩たる思い」があります。

「流行の廃りの早さ」を知る

このところの雨で気圧の低い日が続いているせいか、私の体調は芳しくありません。

気圧の低さが「めまい」を誘発しているような気がしています。


さて、㈱日本リサーチセンターが今月13日に公表した

『流行に関する意識調査~知らない10代』という調査レポートを読みました。
http://www.nrc.co.jp/report/171013.html


20代から60代までそれぞれが高校生のときに流行っていたものを聞き、

さらに、今の高校生の年代である15~19歳は、その流行を知っているのかを調査したものです。

具体的には、調査の意図が次のように書かれていました。


『同時期に同じような体験をして成長すると、共通の価値観や行動を示すことは多く、

 特に、多感な高校生のときの体験は、年齢を重ねて時代が経過しても、

 その人の価値観に影響を与え続けるでしょう。その価値観は、日常の何げない会話に表出し、

 世代間のコミュニケーションにおけるギャップの遠因にもなるかもしれません。

 そこで、各世代が高校生の頃に流行っていたことを

 今の10代はどれくらい知らないかを確認してみました。』


続いて、調査結果の概要が、次のようにまとめられていました。

『結果は、世代に関係なく、実に驚くほど知られていないようです。

 その中でも特に流行として知られていなかったのが、60代の「パンタロン」94%、

 次いで「アイビー」91%、50代の「ユリ・ゲラー」91%、

 40代の「ねるとん紅鯨団」91%、「渋カジ」91%。

 30代の青春ソングを生み出してきた「小室ファミリー」も

 83%の10代が流行っていたことを知りません。

 20代にはなじみ深いSNSの走り「ミクシィ」も

 10代は79%がその流行を知らないと回答しました。』


う~む‥‥。(絶句)

私のような60代なら当然の事として知っている「パンタロン」や「アイビー」が、

今の10代には、ほとんど「意味不明」であることを知って、愕然としました。

なお、このレポートにおいては、

社会心理学では、流行とは「社会集団の中で一定数の人たちが一定の期間、

 ある意図のもとで同じような集団行動をとるように心理的に誘われること」とされていること。

・調査結果を見ると、改めて流行り廃りの早さに気付かされること。

・世代間のコミュニケーションにおいては、「相手も当然知っているだろう」と思っていたことが、

 実は通じていないことも多いのかもしれないこと。

以上のような解説がありました。


私もこれからは、30代の我が娘や、20代の甥っ子二人と会話する際に、

「相手も当然知っているだろう」という認識を改める必要がありそうです。

変わった本の選び方

書店の書棚に整然と並んでいる本の背表紙を眺めながら

お気に入りの一冊を選ぶのは、私の至福の時間の一つなのですが、

今日16日の朝日新聞天声人語」には次のようなことが書かれていて、正直、びっくりしました。


『作家の川上未映子さんが岩波文庫を例にあげ、変わった本の選び方を勧めている。

 書店の棚の前に立ち、目をつぶる。手を伸ばして指先に触れた最初の本を買い、必ず読み切る。

 難しそうでも、書名の意味すらわからなくても。

 それが「自分の知らない何かに出合うこと」

 「自分の意識からの束(つか)の間の自由を味わってみること」の実践なのだと書いている

 (「読書のとびら」)。世の評価を得た作品の多い文庫本ならではの試みだろう。

 そこまでの勇気はないものの、千円でおつりがくる文庫なら、

 なじみのない分野にもついつい手が伸びる。気づけば積(つ)ん読(どく)が増えている。

 それでも新たな出合いを求め、書店に入れば文庫の棚へと一直線なのである。』


う~む、なるほど‥‥。このような「変わった本の選び方」もあったのですね。

長い歳月をかけて厳選された古典の名著がラインアップされている

岩波文庫」だからこそ通用する「本の選び方」なのかもしれません。

確かに、これまでの自分自身の行動を振り返ってみても、

書店で選んだ本には、本人の好みや価値観が反映されていて、

その結果というのは、特定の分野や特定の著者に偏りがあったように思います。


「自分の意識からの束の間の自由を味わってみること」

コラムに書かれていたこの言葉を反芻(はんすう)すると、川上未映子さんがお勧めする方法を、

一度は試してみる価値があるような気がしてきました。

CSファーストステージ(第1戦)観戦記

昨日の日記の続きです。

甲子園球場に入場してまず驚いたのは、

座席がグリーンシート下段「10段100」というバックネット裏の席だったことです。

雨が心配だったけれど、この席なら雨に濡れながら観戦する心配はありませんでした。

下の3枚の写真は、試合開始前の球場内の様子を撮影したものです。

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次の3枚の写真は、タイガースの先発メッセンジャー投手が、

DeNAの1番打者、桑原選手に向かって初球を投げる瞬間と

7回裏のタイガースの攻撃の際に、空に向かって放たれる風船を撮影したものです。

ご覧のように、3塁側のアルプススタンドもタイガースファンで埋め尽くされていました。

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最後の3枚の写真は、勝利の後、ベンチ前でナインを迎える様子と、

1塁塁線上に整列して、満員の観客に向かって挨拶する選手の皆さん、

そして、ヒーローインタビューを受ける先発のメッセンジャー投手と

6回裏に2ランホームランを打った福留選手を撮影したものです。

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さて今回、私は、実に約48年ぶりに甲子園球場を訪れました。

昭和44年の夏、松山商業高校と三沢高校の引き分け再試合を、

松山商業高校OBで大阪在住の叔父と私の二人で観戦して以来の出来事になります。

当時、私は中学2年生で、滋賀県大津市に住んでいました。

中学2年生が1塁側アルプススタンドから見た甲子園球場は、

とてつもなく「広く大きく」感じたのを覚えています。

そして今回、バックネット裏から見渡した甲子園球場は、

とても素晴らしい球場に生まれ変わってはいましたが、

あの時のような「広さと大きさ」を感じることはありませんでした。

でも、私にとって、思い出が一杯詰まっている、夢のような球場であることは間違いありません。

タイガース勝利!!

日帰りで甲子園球場に行ってきました。

試合終了後には、満員の阪神タイガースファンと一緒に、

『みんなで六甲おろし 2017NMB山本紗ver』を声高らかに歌ってきました。


『みんなで六甲おろし2017』NMB48山本彩Ver

今日の詳細は、明日のこの日記に書くことにします。

とにもかくにも、最高の一日でした。阪神タイガース万歳!!