しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

バブルよ、再び?

今日7日は、二十四節気の「大雪」、七十二候の「空寒く冬となる」です。

こちらも、ここ数日は、冬本番のような寒さが続いています。

寒さに極端に弱い私にとっては、ここしばらくは試練の日が続きそうです。


さて、「経済レポート専門ニュース」を閲覧していると、みずほ総合研究所が、

この時期恒例の「とんでも予想2018」というレポートを公表していました。
http://www3.keizaireport.com/report.php/RID/327847/

このなかには、国民生活に関係がありそうな、次のような予想も含まれていました。


『日米株ともバブルの様相を強め、日経平均は3万円、ダウ平均は3万ドルを突破。

 日本では高級車やクルーザーが飛ぶように売れ、六本木のジュリアナ東京が復活、

 繁華街ではタクシーが拾えないといった平成最後の「世紀末」ブームに』

『投機的な資金流入により仮想通貨市場が過熱し、

 ビットコインは一時3万ドルを突破するも、当局の規制強化を契機にクラッシュ。

 一方、銀行による独自の仮想通貨発行が相次ぎ、日本もついにキャッシュレス社会が到来。』


この予想に関連して、レポートでは次のような解説がありました。

『2018年のとんでも予想では、

 世界的な回復が従来以上に高揚感を与えるレベルまで到達する可能性を示している。

 同時に、日本については、

 「夜明け」を意識させるレベルまでの転換をとんでも予想では展開している。

 ここでは、多くの国民が忘れ去っていた

 1980年代を思い起こすシナリオを含めることにした。』


う~む、なるほど‥‥。「バブルよ、再び」ですか。

確かに、起こる可能性は低いものの、「ひょっとしたら‥」と思わせるものがあります。

「そのまま忘れ去っていた方がよかった」とならない程度に、

あのバブルの高揚感を再び味わってみたいような、

そんな「悪魔のささやき」が聞こえてきそうです。

まぁ、なにせ、日本経済がここまで来るのに、20年という歳月を要しましたから‥‥。

共感を呼ぶ企業広告

今日6日の日経新聞「企業」欄に、

見出しが小さくてあまり目立たなかったけれど、次のような記事が掲載されていました。


『第66回日経広告賞(2017年)の贈賞式が5日午後、

 東京都港区のグランドプリンスホテル新高輪の国際館パミールで開かれ、

 伊藤忠商事に大賞が贈られた。1219点の応募の中から63作品が受賞した。

 伊藤忠の作品は創業時から受け継いできた商人の精神をシリーズで紹介。

 懸命に働く人々の姿を素朴で力強い筆遣いの絵で表現した点などが評価された。

 審査委員長の小林保彦氏は

 「イラスト、写真に優れたアナログの組み合わせで企業の心を伝え、共感を呼んでいる。

 企業のぶれないモノ・コト作りの本質を訴えることで、デジタルメディアとは違う

 新聞広告でしか見えない企業体温を受賞作から再確認した」と講評した。

 伊藤忠の岡藤正広社長は「広告で商社をより身近な存在として感じてもらい、

 様々な商社があるなかで伊藤忠の独自性を訴えていきたい」と話した。

 日本経済新聞社の岡田直敏社長は「コンテンツを充実して、

 紙の新聞や電子版の広告媒体としての価値を一段と高めていきたい」と述べた。』


はぃ‥、この伊藤忠商事の広告に関しては、

今月1日のこの日記でもその感想を書いたところですが、

やはり私だけでなく、ほかの皆さんの心にも響くものがあったのですね‥‥。

その魅力は何と言っても、

田島征三さんの迫力のある絵と志の高い文章の絶妙なマッチングだと思います。

そういえば昨日5日の日経新聞にも、広告大賞受賞の御礼の全面広告が掲載されていました。

そのなかには、【か(稼ぐ)・け(削る)・ふ(ふせぐ)】の「けずる」について、

次のような解説がありました。


『削るは商いの基本。余計な支出。無駄な会議。不要な接待。多すぎる残業。

 削る、削る、ドンドン削る。それは、終わりのない掃除のようなもの。

 徹底すれば、低重心で隙のない商いの姿勢を保てる。削ることで生まれるものが、尊い。』


これからも、デジタルメディアでは味わうことのできない「共感を呼ぶ企業広告」が、

日経新聞の「紙面」に掲載されることを、一読者として期待したいと思います。

無事これ名馬

今日5日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、探検家・角幡唯介さんの

『冒険の現場というのは概(おおむ)ね退屈で、

冒険に行くだけでは面白い文章が書けないことが多い』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。


『冒険の現場は人が思うほど劇的ではない。

 苛酷(かこく)をきわめる北極探検も

 「雪の上を歩いた。寒かった。飯を食った。寝た。」の22文字ですむ。

 これが何十日も続くのが冒険で、

 だから遭難でもしないかぎり面白い話にはならないと探検家は言う。

 私たちの日常もきっとそう。

 日々無事に過ごすだけでも大仕事なのに、それをことばにするとなんか凡庸になる。

 「探検家の憂鬱(ゆううつ)」から。』


う~む、なるほど‥‥。いつもながら、とても含蓄に富むお言葉と解説です。

これでいくと、私の日常も、

「仕事に行った。しんどかった。飯を食った。寝た。」の23文字ですみ、

しかも、この生活が何十年も続いていることになります。

面白くもなんともない凡庸な人生ですが、

鷲田さんから「日々無事に過ごすだけでも大仕事」と言われると、

私の人生もそれなりに意味があったのかと思い、なんだかホッとするような気持になります‥。


私はまだまだ「無事之名馬」とか「無事之貴人」の域には達していませんが、

89歳になってもこれといった持病もなく、

自分の身の回りのことが曲がりなりにも自分でできる父と一緒に暮らしていると、

この事実こそが「無事之名馬」ではないかと思うようになりました。


失礼‥‥。身内をちょっとほめ過ぎたかもしれません‥‥。

みかんのおいしい季節

今日4日の朝日新聞一面コラム「天声人語」は、「みかん」の話題でした。

芥川龍之介の短編小説『蜜柑』の導入部分に続いて、コラムは以下のように続きます。


『 ~(略)~ 寒さを感じると、みかんのおいしい季節である。

 七十二候では今が「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」にあたる。橘は古来、かんきつ類の総称という。

 そう言えば少し前から、よその庭で黄色くなった実を眺めるのが、駅に向かう朝の楽しみになっている。

 冬の果物の代表とも言えるみかんだが往年の勢いはないようだ。

 出荷量は最盛期の1975年に比べ、5分の1ほどしかない。
 
 「こたつでみかん」は失われつつある光景なのか。こたつも暖房の主役を降りてしまった。

 会社の机でみかんを。そう呼びかけるのが、食育などを担うNPO法人、青果物健康推進協会だ。

 産地などと組んで、社員食堂の前にみかんを並べる。

 協会の近藤卓志(たかし)さんは「コーヒーブレークの代わりに、みかん休憩を。

 和やかな雰囲気になります」と言う。〈蜜柑むく親しき顔に逢(あ)ふごとし〉鍛冶本輝子。

 テーブルでも移動中でも仕事の合間でも。

 暖かな色と甘酸っぱさがぴったりくる場面を探すのも、いいかもしれない。』


はぃ‥、適宜適切な時期に、みかんのPRをしていただき、ありがとうございます。

ご案内のとおり、私の故郷・愛媛県は、

かんきつ類(温州みかんと中晩柑類の総称)の収穫量と品目数がともに日本一の“かんきつ王国”で、

八幡浜市など県内のみかん産地は、今がまさに収穫の最盛期となっています。


我が家でも、かつてのような家族団欒の「こたつでみかん」の風景はなくなりましたが、

父が毎日のようにスーパーで県内産みかんを買ってくるので、

この時期、台所のテーブルの上に、みかんを欠かしたことはありません。

(ちなみに、父はみかんを毎日食べるので、冬に風邪を引いたことがほとんどありません。)


皆さんも是非、愛媛県産みかんを味わってみてください。

コラムでも指摘しているように、きっと心まで温かくなるはずです。

悲しくてやりきれない

気持ちがふさぎ込んでいる時や、やるせない思いの時、ふと聴きたくなる曲に、

フォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の「悲しくてやりきれない」があります。

そのメンバーだった「はしだのりひこ」さんが、昨日2日、

パーキンソン病のため、72歳でお亡くなりになったとの報道に接しました。


はしださんと聞いて思い出すのは、

ザ・フォーク・クルセダーズ時代の「イムジン河」のほか、

はしだのりひことシューベルツ」の「風」、「はしだのりひことクライマックス」の「花嫁」などがあり、

いずれもフォークの名曲で、私の大好きな曲でもあります。


今年3月の「かまやつひろし」さん、そして今回のはしださんと、

フォーク界を代表するお二人が相次いでお亡くなりになると、

先ほどの「悲しくてやりきれない」や「我が良き友よ」など、

お二人の曲に込められた、私の若かりし頃の懐かしい思い出も、一緒に消えてなくなりそうで、

それこそ「悲しくてやりきれない」気持になります。


そして、話は変わりますが、今日3日、関東大学ラグビー対抗戦グループ伝統の一戦

早明戦が東京・秩父宮ラグビー場で行われ、早大は19対29で明大に敗れました。

早大は大事な局面でのミスが多く、また、明大の堅い防御を崩すことができなくて、

内容的には完敗の試合でした。こちらも「悲しくてやりきれない」思いです‥‥。