しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

まるで別世界での法要

今日は、先月亡くなった叔父の四十九日の法要に出席するため、

西予市野村町惣川に行ってきました。

お寺の前の田んぼは一面の銀世界が広がり、境内にもたくさんの雪が残っていて、

温暖な気候の愛媛とは思えない、まるで別世界の土地に来たようでした。

お寺の住職さんのお話では、昭和38年豪雪以来の積雪ではないか、とのことでした。

下の3枚がその写真です。

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さて、職場の上司に薦められて購入した

『日本は世界5位の農業大国~大嘘だらけの食糧自給率

(浅川芳裕著:講談社+α新書)を読了しました。

本来ならば、読書感想文を書き残すところなのですが、

この本は、内容は客観的事実に基づいて書かれているのかもしれないけれど、

最初から最後まで農林水産省の批判で貫かれていて、読後の後味が悪く、

私はあまり良い印象を持つことができませんでした。

今度、上司に、「この本のどこが良かったのか?」聞いてみることにします。

日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率 (講談社+α新書)

日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率 (講談社+α新書)

歌は世につれ世は歌につれ

毎年恒例の「サラリーマン川柳」について、

今日16日の日経新聞には、次のような記事が掲載されていました。


第一生命保険は15日、「第31回サラリーマン川柳コンクール」の入選100句を発表した。

 サラリーマンらが応募した4万7559句から選出。

 時代を映し、思わず、ニヤリとしてしまう作品がそろった。

 「妻いない この日は朝から プレミアム」は

 政府が導入した「プレミアムフライデー」にひっかけて家庭内での夫の悲哀をにじませた。

 働き方改革が叫ばれるなか、「制度より 働き方は 風土から」など、

 ちょっと考えさせられる作品も。

 「電子化に ついて行けずに 紙対応」、「AIが 俺の引退 早めそう」は

 デジタル化の波についていけない中高年の嘆きを映した。

 「課長さん たまには部下にも 忖度(そんたく)を」など流行語を取り入れた作品も目立った。

 第一生命は3月16日までインターネットなどで人気投票を実施し、

 5月下旬にベスト10を発表する。』


この記事を読んで、私もさっそく第一生命保険サラリーマン川柳」のHPをのぞいてみました。

記事で紹介された川柳以外で、私が気に入った川柳は次のようなものでした。

「1日の 嫁との会話は 9秒台」

「減る記憶 それでも増える パスワード」

「言ったけど だれにに言ったか わからない」

「人生が 100年となり 大慌て」

「空き缶日 他の缶見て 格差知る」


いずれの川柳も、定年退職後に、肉体・精神の衰えや、

金銭面での心細さに直面している私にとっては、とっても切実感があります。

また、逆に、世間の皆さんも、同じような悩みや苦労を抱えていることを知って、

励まされるところもあります。

『歌は世につれ世は歌につれ』ということわざがありますが、

サラリーマン川柳」はまさに、このことわざのそのものだと思いました。

コラムの「体言止め」を考える

日経新聞の一面コラムは「春秋」、朝日新聞の一面コラムは「天声人語」‥‥。

そして、地元紙・愛媛新聞の一面コラムは「地軸」といいます。

今日15日の「地軸」は、東京・銀座の公立小学校で、

イタリア「アルマーニ」製の制服を導入するという話題についてのコラムでしたが、

そのコラムの後半部分は次のような内容でした。


『個々の児童を伸ばすために学校はある。

 なのにこれでは、学校を良く見せるために児童がいるようなもの。発想があべこべだ。

 高級ブランドの力を借りてしか学校の良さをつくれないのだとしたら、何とも貧しい教育。

 しま模様くっきりのイシダイも、愛嬌(あいきょう)あるキンメダイも、

 多種多様に豊かな海を彩る。寒空の下、運動場を駆け回る子の歓声が聞こえる。

 ボールを追い掛け、泥んこ遊びに夢中になる姿は、それだけで美しい。

 輝かせたいのは学校のブランドではなく、一人一人の笑顔。


う~む‥‥。以前から気にはなっていたのですが、このコラムの「児童がいるようなもの。」とか、

「何とも貧しい教育」とか、「一人一人の笑顔」のように、

「地軸」のコラムニストは、「体言止め」の使用が多いように思います。

例えば、「児童がいるようなものだ。」とか、「何とも貧しい教育ではないか。」とか、

一人一人の笑顔である。」ではだめなのでしょうか?


ちなみに、昨日14日の日経新聞「春秋」も、同じ話題を扱った次のようなコラムでした。

『昭和初期の帝都をルポした今和次郎の名著「新版大東京案内」に、

 銀座の泰明小学校が出てくる。関東大震災からの復興を機に、

 とびきり贅沢(ぜいたく)に仕立てた校舎は考現学者の目を大いに引いたようだ。

 外国人にも恥ずかしくない「超モダン」な建築だと驚きの筆致である。

 校舎はいまも健在で、美しい曲線、半円形の連続窓、おしゃれな門扉など銀座の街によく似合っている。

 公立とはいえ、伝統のブランド校なのだ。

 住民は少ないから校区外から積極的に子どもを受け入れ、お金持ちの保護者が多いと聞く。

 いま世間を騒がせている「アルマーニ制服問題」は、そういう学校らしい出来事だ。

 イタリア高級ブランドの「標準服」、つまり事実上の制服は一式8万円を超すという。

 いかに泰明小でもやり過ぎだ、親たちへの説明が足りぬ、などとかまびすしいが、

 非難のなかには公立校は清貧を旨とすべし、みたいな気分も漂っていよう。

 何か派手なことをすると「炎上」する社会の空気を映しているかもしれない。

 育ち盛りにセレブ服は不釣り合いだし、買えない家庭への配慮はもちろん必要だ。

 しかし義務教育にもさまざまな試みがあっていい。

 90年も昔、こんなモダン校舎を建てた先人だってずいぶん冒険したのだろう。

 多様性を認める気風があったのだ。

 もっとも、そう考えればいっそのこと、制服なんかやめるのも手ではある。』


全文を引用させていただきましたが、ご覧のように、

このコラムには「体言止め」は一か所も登場しません。

おそらく、「体言止め」の使用は、文章全体の流れやバランスが問題なのだと思います。

文章が下手くそな私が偉そうなことを書きましたが、

ほぼ毎日のように「体言止め」が登場する「地軸」に、個人的な感覚かもしれませんが、

若干の違和感を感じています。

人生の本舞台は将来に

通っている保育園の年長組さんで、最後までインフルエンザにかからなかった孫娘が、

昨日、とうとうインフルエンザにかかってしまったようです。

私はおかげさまで、今のところインフルエンザにはかかっていません。

ただ、急性前立腺炎のその後の治療はずっと続いていて、

今日も仕事を2時間早引きして病院に行ってきました。

尿検査の結果、白血球も正常の数値に戻って一安心しています。次は2週間後です。


さて、昨日13日の「YOMIURI ONLINE」の「名言巡礼」は、

「議会政治の父」「憲政の神様」と呼ばれた尾碕行雄の

『人生の本舞台は常に将来に在り』という言葉で、次のような解説がありました。


『現在の成功に満足してしまえばさらに大きな仕事はできない。

 今はどんな苦境にあろうとも、貴重な試練と思えば前に進める‥‥ということだろう。

 「人生の本舞台は常に将来に在り」。その言葉は慢心する者を戒め、失意の中にある者を奮い立たせる。

 1890年(明治23年)の第1回総選挙から連続25回当選、

 1953年(昭和28年まで63年間も衆院議員を務めた尾崎行雄。号は「咢堂((がくどう)」。

 晩年94歳になってもなお、震える筆で「人生の本舞台は‥‥」としたためた。

 その書は、国会議事堂の前に立つ憲政記念館に掲げられている。

           ~(中略)~

 昭和の初め、尾崎は盟友の犬養毅を5・15事件で暗殺され、療養中の夫人も亡くした。

 自身も病床に伏して打ちひしがれていた時、

 まるで天啓のように「人生の本舞台は‥‥」の言葉が頭に浮かんだという。

 軍部の台頭に無力感を抱いていた尾崎は、闘志を取り戻していく。

 自らがまず、この箴言によって失意の底から復活したのである。70代なかばのことだった。』


う~む、なるほど‥‥。「人生の本舞台は将来に」ですか‥。とても勇気を与えてくれる箴言ですね。

しかも、尾崎行雄が失意の底から復活したのは、70代なかばと聞いて、ただただ驚くばかりです。

60代前半の私が、弱音を吐いていてはいけませんよね‥‥。

それはそうと、私にも天啓のような言葉が頭に浮かんでこないかしら??

トウホクノユキフカシ

認知行動療法研修開発センターの大野裕先生が連載・執筆されている

日経新聞「こころの健康学」をいつも楽しみに読んでいますが、

昨日12日の「こころの健康学」は、『浪人生活 劣等生も悪くない』というタイトルで、

大野先生は次のようなことを書かれていました。

私と似たような体験をされていたので、その全文を引用させていただきます


『1月、東京にも大雪が降った。

 屋根や道路に積もった雪を眺めると、雪が降りしきる中、

 大学の合格発表を遠くまで見に行ったことを思い出す。

 私は愛媛県出身だが、最初に受験したのは雪国の大学だった。

 自分の偏差値と、脳科学を勉強したいという夢と、

 そしてその土地への憧れがあって選んだ大学だ。

 試験が終わったときに十分な手応えを感じたこともあって、

 受験発表を自分の目で確かめたいという思いで、その大学まで足を運んだ。

 雪が降りしきるなか、掲示板のあるキャンパスに向かったが、

 その途中で耳に入ってきた音楽まで、はっきりと耳に残っている。

 それだけ気持ちが高揚していたのだろう。

 ところが、掲示板を見ても、自分の受験番号は合格者の中になかった。

 がくぜんとしながら降りしきる雪のなかに立ち尽くした。

 そこから私の浪人生活が始まったのだが、3年も受験を続けたと人に話すと、

 どうしてそこまで頑張れたのかと、半分あきれたように、

 半分感心したようにいわれることが多い。

 自分でもその理由はよくわからないが、

 浪人中の勉強が楽しかったこともあるのではないかと考えている。

 ある時期まで劣等生だった私にとって、予備校で習うことは新鮮だった。

 おそらく高校時代にも勉強したことなのだろうが、きちんと頭に入っていなかったのだろう。

 2度目の勉強になるので、これまでとは違いよくわかる。

 わかることが増えるとうれしくなり、もう少し勉強したいと考えるようになる。

 そのように考えると、劣等生も悪くなかったのではないかとさえ思えてくる。』


大野先生と私の共通点は、私も愛媛県の出身で、最初は雪国の大学を受験したこと

その大学を選んだ理由は、自分の偏差値と、法学を勉強したいという夢と、

その土地への憧れがあったこと。

そして、見事に試験に落ちて、浪人生活を送ることになったこと。


また、大野先生と違うところは、電報で不合格の通知を受け取ったこと。

(電文は確か、「トウホクノユキフカシ サイキイノル」だったように記憶しています。)

浪人生活は1年ですんだけれど、浪人中の勉強は、私には苦痛そのものであったこと。


大野先生のように、浪人中も新鮮な気持ちで楽しく勉強していれば、

そのあとの私の人生も、もっと違ったものになっていたかもしれません‥‥。(苦笑)