しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

健康上の悩み

今この時間は、梅雨特有のじっとりとした、気持ちが滅入るような蒸し暑さになっています。

痩せ細った私には、暑さも寒さも直接骨に突き刺さるようです‥‥。


さて、今日、風呂上がりに体重を測ってみると、なんと58.6kgもありました。

2年前に今の職場に転職した時には、めまいと体重減少に苦しみました。

ちょうど今頃の時期に、体重が53kg台になって、心配のあまり総合病院を受診したことを思い出します。


そして、今の健康上の悩みは、夜何度もトイレに行きたくなって目が覚めることです。

加齢と持病の前立腺肥大によるものだと半ばあきらめてはいますが、

毎月にほんの数日でいいから、朝まで目が覚めることなく熟睡してみたいです‥‥。

まぁ、この歳になって欲を言えばキリがありません。ヤワな老人になってしまいました。


そういえば、今日の日経新聞に、『ヤワな大人にならない! 生き方ルールブック』(齊藤孝監修)

という本の広告が掲載されていました。

その広告には、「ちょぴりピリ辛だけど、いまのうちに子供に伝えたい人生を生き抜くためのヒント」として、

本の内容の一部が紹介されていてました。それは例えば、次のようなものです。

・迷いや不安があっても、自分で決める。

・「清く正しく美しい」自分を求め過ぎない。

・満足するこころを育てる。

・未来の自分は幸せになると信じる。


う~む‥‥。子供向けの本みたいなのに、今の自分にもピッタリと当てはまります‥‥。

覆水盆に返らず

今日の日経新聞デジタル版に掲載された、

『レコード復権、若者つかむ~10年で生産枚数11倍に』というタイトルの、

次のような記事に目が留まりました。


『CDに取って代わられたアナログレコードの人気が本格的に回復してきた。

 一時は消滅寸前に追い込まれたが、生産枚数は過去10年で11倍の約111万枚に回復。

 著名アーティストがあえて新曲をレコードで出す例も。

 ノスタルジーを求める従来のファンに加え、

 大きなジャケットのデザイン性などに魅せられた若い世代に裾野が広がっているようだ。

  ~ (中略) ~

 日本レコード協会によると、1976年に約2億枚あった国内のレコード生産数は、

 82年に発売されたCDに取って代わられ、2009年に約10万枚にまで落ち込んだ。

 だが、その後は一転して回復。

 17年に16年ぶりに100万枚を突破し、18年は約111万枚となった。

 back numberやPerfumeなどレコードを出す人気アーティストが増え、

 新曲をレコードのみで発売するアーティストも登場。

 逆にインターネットの音楽配信に脅かされているCDアルバムは下降線で、

 18年までの10年間で35%減った。』


う~む‥‥。(沈黙)

アナログレコードもレコードプレーヤーも、今後は二度と聴くことはないと思い、

今の自宅を15年前に新築する際に、断腸の思いで処分してしまいました。

そのなかには、大学時代に購入した太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」や「赤いハイヒール」、

ふきのとうの「南風の頃」など、私のお気に入りのシングルレコードもあったのだけれど‥‥。


惜しいことをしました。こういうのを「覆水盆に返らず」というのでしょうね‥‥。

でもまさか、アナログレコードがここまで復活するなんて‥‥。

時代の先の、またその先を読む目が、当時の私にはなかったのだと思います。(今もないけど‥‥。)

トホホ‥‥の一言です。

二日間の休肝日

連休最後の日になって、ようやく晴れ渡った空を見ることができました。

二日間降り続いた雨で、松前町の水源の地下水も、少しは潤ったかもしれません。


さて、この連休を利用して、「Amazon Prime Video」で「万引き家族」を観ました。

リリー・フランキーさんや安藤サクラさんの演技も素晴らしかったけれど、

さらにそれよりも、樹木希林さんの、おばあちゃん役の演技がお見事でした。感動しました。

そして、この映画で印象深かったのが、「りん」が団地の外廊下のフェンスから

ふと思い出したように身を乗り出して、何かを探すように見ようとしたラストシーンです。

彼女の表情は何を訴えたかったのかな‥‥?

虐待する本当の両親のもとへ戻された「りん」の将来が、

映画を観終わっても気になって仕方ありませんでした。

家族とは何か?、血のつながりか?、それとも一緒に過ごした日々か?‥‥

いろいろと考えさせられた映画でした。


二日間、休肝日を設けました。今日の夕食に飲むビールが楽しみです‥‥。

誤りから学ぶ

『組織の不条理~日本軍の失敗に学ぶ』(菊澤研宗著:中公文庫)を読了しました。


まず、著者は、本書のねらいをプロローグにおいて、次のように述べられています。

『本書は、このような現代に蔓延する組織の不条理を解明するために、戦争の世紀と呼ばれる20世紀末に、

 改めて大東亜戦争で繰り広げられた日本軍の不条理な組織行動を問い直し、

 その不条理の背後に人間の合理性があることを明らかにする。

 しかも、このような不条理な現象は決して戦争に固有の過去の現象ではなく、

 現代組織にも起こることを明らかにする。さらに、将来、このような不条理な組織行動に陥らないように、

 不完全なわれわれ人間が何をなしうるのかを明らかにする。これが本書のねらいである。』


ちなみに、本書で多用されている不条理とは、「人間が合理的に失敗するということ」、

あるいは「人間組織が合理的に失敗すること」の意味であり、

どんな人間も完全合理的でなく、限定合理的だとみなす「新制度派経済学アプローチ」を用いて、

旧日本軍の戦闘行動、組織行動を理論的に分析しようとするものです。


具体的には、不条理に陥った事例として、「ガダルカナル戦」には「取引コスト理論」、

インパール作戦」には「エージェンシー理論」、不条理を回避した事例として、

「ジャワ軍政」には「所有権理論」、「硫黄島選」「沖縄戦」には「組織形態における取引コスト理論」

を用いて著者は分析されています。


そして、こうした組織の不条理を超えるために、著者は次のような点を指摘されていました。

・われわれ人間は限定合理的であり、常に誤りうることを自覚し、絶えず批判的であること、

 そして誤りから学ぶという態度をとること。

・組織内部に絶えず非効率と不正が発生する可能性を認め、それを排除する制度をめぐって

 絶えず批判的議論ができる「開かれた組織」を形成すること。


ふぅ~‥‥。本書の要点を書き残しておく作業も、頭の悪い私には一苦労です。

私の個人的な感想としては、難解で複雑な最新経済学理論で人間や人間組織を詳細に分析しても、

不条理を回避するための結論は、「誤りから学ぶ」「批判精神を持つ」といった、

とてもシンプルなものだということです。

人間は全知全能の神様でない以上、失敗と学習を繰り返すことが半ば宿命のような気がしてきました。


ちなみに、本書の「中公文庫版のためのあとがき」では、不条理の哲学的解決法による補完として、

「カントの哲学的解決法」、「ドラッカーの経営哲学的解決法」、「小林秀雄の大和心とマネジメント」

が紹介されていて、最後には訳が分からなくなった自分がいました‥‥。

まぁ、偉そうなことを長々と書いて申し訳ありませんでしたが、

本書が知的スリリングに満ちた力作であることは間違いないと思います。

いはんや悪人をや。

昨晩は、気の置けないメンバーとの飲み会でした。

メンバー内では、その飲み会を「例会」と言っています。

この日記にたびたび登場するKちゃんをはじめ、Sちゃん、Oちゃん、Tねぇ、Kちん、そして私の6人です。

美味しいお酒と食べ物に、楽しく愉快なおしゃべり‥‥。時間はあっという間に過ぎていきました。

定年退職をした私に、いまでも声を掛けてもらって、感謝の気持ちで一杯です。


さて、話はがらりと変わりますが、『私訳歎異抄』(五木寛之著:PHP文庫)を読了しました。

大きな字でとても読み易く、分かりやすい解説で、ほんの数日で読んでしまいました。

この本を読んで、一番収穫があったのは、

親鸞思想の最大の逆説ともいわれる「悪人正機説」の意味するところを、初めて納得できたことでした。

五木さんは、次のように「私訳」されていました。


『‥‥というのは、いわゆる善人、すなわち自分のちからを信じ、

 自分の善い行いの見返りを疑わないような傲慢な人びとは、阿弥陀仏の救済の主な対象ではないからだ。

 ほかにたよるものがなく、ただひとすじに仏の約束のちから、すなわち他力に身をまかせようという、

 絶望のどん底からわきでる必死の信心に欠けるからである。

 だが、そのようないわゆる善人であっても、自力におぼれる心をあらためて、

 他力の本願にたちかえるならば、必ず真の救いをうることができるにちがいない。

 あらゆる煩悩にとりかこまれているこの身は、

 どんな修行によっても生死の迷いからはなれることはできない。

 そのことをあわれに思ってたてられた誓いこそ、

 すべての悩める衆生を救うという阿弥陀仏の約束なのである。

 わたしたち人間は、ただ生きるというそのことだけのためにも、

 他のいのちあるものたちのいのちをうばい、それを食することなしには生きえないという、

 根源的な悪をかかえた存在である。 ~ (中略) ~

 わたしたちはすべて悪人なのだ。そう思えば、わが身の悪を自覚し嘆き、

 他力の光に心から帰依する人びとこそ、仏にまっ先に救われなければならない対象であることが

 わかってくるだろう。おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人でさえも往生できるのだから、

 まして悪人は、とあえて言うのは、そのような意味である。』


う~む、なるほど‥‥。そういうことでしたか‥‥。お見事な現代語訳に、ただただ脱帽です‥‥。

あらゆる煩悩にとりかこまれている私には、購入して大正解の本でした。