しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「熱情」と「敬意」と「言葉」

今日は4週間に一度の泌尿器科病院の受診の日でした。

仕事がお休みの日に、せっかく松山市まで出てきたので、

病院からの帰りに、ドキュメンタリー映画

三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実」を観ることにしました。


映画を観て最初に感嘆したのは、この討論会の貴重な映像が今も存在していたという事実です。

討論会そのものに関しては、三島由紀夫と芥正彦さんの討論が難解で、

私にはほとんど理解できなかったけれど、

お互いがお互いをリスペクトしながら議論していることは、映像から感じ取ることができました。

討論の映像の要所要所では、4人の識者の方の解説があって、

発言の思想性や時代背景を理解する一助になりました。

この4人のなかでも、小説家・平野啓一郎さんの解説がとても参考になりました。

特に、「社会を変えていくのは言葉なんですよ」という発言が、強く印象に残っています。


この伝説の討論会から50年‥‥。

この間に私たちは、三島由紀夫と東大全共闘が、思想は違っても共通に持ち合わせていた、

「熱情」と「敬意」と「言葉」を、いつの間にか見失ってしまったのかもしれません‥‥。


貴重なドキュメンタリー映像を観ることがでた、とても幸せな一日となりました。

教養と知性のコラム

「こよみのページ」によると、今日はベートーベンの命日「聖楽忌」とのことで、

日経新聞一面コラム「春秋」には、次のようなことが書かれていました。

とても秀逸なコラムだと思うので、その全文をこの日記に書き残しておこうと思います。


『あれは東日本大震災の翌年だったろうか。

 東京・赤坂のレストランで、日本での永住生活を始めたドナルド・キーンさんを囲む

 メディア関係者の集いがあった。

 戦時中、海軍の情報将校としてハワイの日本人捕虜収容所に勤務していた際の

 心に響くエピソードを聞いた。

 戦争末期。捕虜のなかに、マリアナ諸島に派遣された同盟通信の従軍記者がいた。

 「サイパン特派員の見た玉砕の島」という戦記を残した高橋義樹さんだ。

 彼はベートーベンを愛していた。とりわけ交響曲第3番「英雄」を。

 キーンさんは、音がよく響く収容所のシャワー室で、英雄のレコード・コンサートを開いたのだ。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓に殉じた日本兵の末路を、

 その目に焼き付けた高橋さんである。

 異郷の収容所で、どんな思いであの豪壮で雄大な第1楽章を聴いたのだろう。

 戦後、捕虜たちと敵国の将校は長く友情を育んだという。指揮者は誰だったのか。

 キーンさんに音源をお尋ねしなかったことが悔やまれる。

 「ベートーベンの音楽は、ほかのどの音楽よりも、悩むものの友達であり、ときに慰め手である」。

 音楽評論家の吉田秀和さんの言葉だ。東京五輪の1年延期が決まった。

 この1カ月で世界は変わってしまった。苦悩を突き抜け、歓喜へ至る数々の楽曲を聴いてみようか。

 きょうは、1827年に没した楽聖の命日である。』


コラムニストの奥深い教養と知性を感じさせるコラムでした。

ちなみに、今日は、室生犀星の命日、「犀星忌」でもありました。

『ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの

 よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや』


この室生犀星を題材にすると、今日のコラムはどのような内容になったのでしょうか‥?

想像するだけで、なぜか気持ちが穏やかになるような気がします‥‥。

明るい希望が見える

昨日は卒業式、今日は修了式だったのでしょうか、

朝の通勤途上で、久しぶりに地元松前小学生の皆さんの元気な姿を見ることができ、

しかも、「おはようございます」の挨拶を、すれ違うたびに交わすことができました。

今、世の中は、まるで真っ暗闇のトンネルの中にいるみたいですが、

子どもたちの明るい表情を見ると、沈みがちな気持ちも、自然と前向きになるのが不思議です。

その屈託のない笑顔に、未来の明るい希望が見えるからだと思います。

まるでリアルタイムの出来事

今日の日経新聞一面コラム「春秋」に、小松左京さんの小説が、次のように書かれていました。


南極大陸を除くすべての大陸に広がった‥‥。

 新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)ぶりは、いまやこう表現される。

 小松左京が1964年に発表した「復活の日」を思い浮かべる方もいるだろう。

 たまたま南極に居合わせた人たちが新種の感染症を生き延びる、SF小説である。

 80年に映画にもなったこの物語で人類を絶滅の瀬戸際に追い詰めるのは、

 人工的につくられたウイルスだった。‥‥』


私もちょうど、この「復活の日」という本を読み進めているところです。

読書感想文は、いずれこの日記に書き残しておくつもりですが、

本来はSF小説のはずなのに、「まるでリアルタイムの出来事」のようで、

読んでいて非常に緊迫感があります。

また、小松さんがこの本を書かれたのは、前回の東京オリンピックの年で、

なんだか因縁めいたものを感じます。

復活の日 (角川文庫)

復活の日 (角川文庫)


追記

明日は、職場の送別会なので、この日記はお休みします。

私の勤務先は少人数なので、熟慮の結果、「中止」でもなく「延期」でもなく、

当初の予定どおり「開催」することに決まりました。

足元から声援をもらう

昨日、午後6時過ぎから、西の海岸に沈む夕陽を見に行きました。

日経新聞一面コラム「春秋」の次のような文章を読んで、散歩がてら足を運ぶことにしました。


『ズナやタンポポを含め、この時期に咲くかれんな姿を見るたび、造形の妙や生命力の強さに感じいる。

 聖書で神の愛を説くイエスが「野の花を見よ」と呼びかけたわけも、

 信仰心が薄い身ながら納得できる気がするのである。

 「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」

 ウイルスとの戦線は広がり、出口の見えない経済の苦境は、まだ続きそうだ。

 しかし、白旗は上げられない。

 野の草のごとく厳しい寒さに耐え、踏まれても再び芽を伸ばし、花を咲かせねばなるまい。

 加えて人間には知恵も勇気もある。宴会自粛で枝を見上げる機会が少なくなりそうな春。

 まず、足元から声援をもらおう。』


「野の花」ではないけれど、西の海岸に沈む夕陽も、時に信仰心に近いものを与えてくれます。

昨日は、名も知らない鳥の群れが水面に浮かんでいて、波の音とも見事に調和していました。

また、前回来た時よりも、夕陽が沈む位置が右に移動していて、

確実に季節が移り変わっているのが実感できました。

今日、西に沈んだ夕陽は、明日はまた、東の空からのぼってきます‥‥。

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