京都大学の佐伯啓思教授が、
大阪維新の会が国政に参加する場合の公約である「維新八策」を公表したことを受け、
今月20日の産経新聞「日の蔭りの中で」で標記の論評を投稿されています。
論評には、次のような記述があります。
『確かに今日の日本を覆う閉塞(へいそく)感と、
自民、民主の「二大政党政治」への強い失望を前提にすれば、
ともかくも行動力が売り物の維新の会への高い期待もわからないではない。
既成のシステムへの攻撃や破壊的なエネルギーが「何か」を期待させることも事実である。
しかし、それは「何」であろうか。何を期待させるのであろうか。
その「何か」は私にはよくわからない。
よくわからない以上、私は維新の会には大きな危惧の念を抱かざるを得ない。
それは原則的なものである。』
このことに関連して、
雪斎先生も御自身のブログ「雪斎の随想録」のなかで、次のように述べられています。
『「船中八策」は、
「それを、どのように実現するか」という考慮が、まったく働いていない文書である。
首相公選制度の導入には、憲法改正の手続きが要る。
先に、参議院廃止と打ち上げてしまった後で、
参議院が「自殺」を要請するような改正案の発議に踏み切るであろうか。
この「船中八策」の発表は、参議院を不用意に敵に回すことによって、
却って首相公選制度の導入の芽をつぶしたのではないか。
「正しいことを語っていれば、必ず他人はついてくる」などと自惚れてはなるまい。』
「保守思想の重鎮」(私が勝手に定義しているだけかもしれません‥)であるお二人が、
同じような危惧を抱かれておられるのは偶然なのでしょうか?
明治の「革命」を想起させるような「維新革命」が民意を得ていることについて、
お二人とも「フランス革命期の革命思潮」については、否定的な見解をもたれています。
佐伯啓思教授は、上述の論評を次のように書いて締めくくられています。
『フランス革命において、ジャコバン派が一気に勢力を拡張したのは、
あらゆる党派が権力抗争に消耗しているときに、権力の空白を縫って、
ただ「民衆の友」というスローガを掲げたジャコバン派に
誰もが反対できなくなったからだ、といわれている。
むろん、時代も状況も違うがそうなってからは遅いのだ。』
う〜ん、どうも維新の会に対しては、いろいろと批判が多いような気がします。
お二人の「危惧」が「杞憂」に終わればいいのですが‥‥。そうなることを祈ります。
それにしても、「民主主義」は難しい、というか奥が深い‥‥です。