昨日(11日)の日記に、
仲宗根美樹さんの「川は流れる」の歌詞のことを書きました。
日記を書いた後、
論語の第九子罕編に、孔子の次の言葉があることを思い出しました。
「子川上に在りて曰く、逝く者は斯の如きか。昼夜を舎てず。」
(し せんじょうに ありていわく、ゆくものは かくのごときか。ちゅうやをすてず。)
講談社学術文庫の「論語」(宇野哲人著)には、次のような解説があります。
『孔子が川のほとりにいて言われるには、
天地の間の変化が窮まりないのは、この川の水のようなものであろうか。
昼夜休むことがない、と。
→川の流れが止まらないように、人間も絶えず変化している。
努力をやめたら、どんどん悪い方に変化するだけである。
良い方へ行こうと思ったら、片時も努力を怠ってはならない。命が果てるまで。』
一方、中公文庫の「論語」では、貝塚茂樹先生は次のように解説されています。
『この川のほとりにおける孔子の詠嘆は、たいへん有名な文句である。
ふつうは朱子の新注をもとにして、
川の流れが混々として昼夜休まないように、
人間もまたそのように不断に進歩してやまないようにせねばとならぬと説かれてきた。
古注では人間が川の流れのように、
どんどん年をとってゆくことを嘆いたとみる説が多く、
六朝の詩人たちもそういう故事としてこの詩をつかっている。
「逝く」はやはり過ぎ去って帰らないものをさすのが原義であろうし、
孔子が川の岸に立って不遇のうちに年老いてゆくのを嘆いたという解釈が
もっとも適切なようである。
この句を人生の前進にたいする積極的意義によんだ宋代以後の解釈は、
もちろん原義からはずれているが、
孔子の思いも及ばなかった新解釈をうち出した点において驚嘆に値する。』
「川は流れる」の作詞家の先生は、
どんな思い、どんなメッセージでこの詩を創られたのでしょうか?
論語の孔子の言葉が頭の中にあったのでしょうか?
「ともしびも 薄い谷間を 一筋に川は流れる
人の世の 塵(ちり)にまみれて なお生きる 水をみつめて
嘆くまい あすは明るく」というフレーズには、
「人生には困難なことが多いことを自らに言い聞かせたうえで、
それでもなお、人は明日を信じて前向きに歩いていかなければならない。」
という「諦念」と「希望」という両方の意味が込められているのではないかと、
私なりに勝手に解釈しています。