宮沢喜一元首相や有馬朗人元東大総長をはじめ、
数多の逸材を生んだ旧制武蔵高等学校を、今から90年前に設立したのが、
東京スカイツリーの事業主体である東武鉄道の創始者、根津嘉一郎ということを、
今日の日経新聞「大機小機」を読んで、初めて知りました。
東京スカイツリーの高さは634(むさし)メートル、
武蔵国の大野(おおぬ)を遠望できると、記事には書いてあります。
高さを634(むさし)メートルにしたのは、こうしたことが理由なのかな‥‥?
また、記事によると、
根津氏が事業の拡大にとどまらず学校設立に強い思いを抱くようになった契機は、
1909年、渋沢栄一を団長とする渡米実業団への参加にあり、
各地で政治・経済・社会福祉・教育の施設を見学する間に、ロックフェラーに会い、
「同氏が多額の金をもうけて、その多くを世の為に散ずる主義を知り」啓発されたそうです。
そして、「社会国家の為に尽す偉大なる人物を養成する理想的な学校を」という
根津氏の熱意に賛同した渋沢たちの応援により、私立最初の7年制高校が昭和22年に誕生。
子孫のために財を築くより、利益の社会還元を心がけ実践されたそうです。
一方、同じ日の日経新聞「春秋」では、
半世紀にわたって被害者の立場から公害の原点といわれる水俣病に向き合った
原田正純医師の言葉を紹介しています。
「水俣は鏡である。社会のしくみや政治のありよう、
そして、みずからの生きざままで、あらゆるものが残酷なまでに映しだされてしまう」
現場に学び被害者に学ぶ姿勢を貫いた生涯を終えて、
原田医師は、去る6月11日に77歳で逝去されました。
「言葉はつまるところ、発する人の真情から離れられない。」
「春秋」に書かれたこの文章が、いつまでも心に残っています。
二つの記事に目を通した後で、
いつものように安岡正篤先生の「一日一言」を開くと、
6月12日の次の言葉が、胸に迫ってきました。
『凡と非凡のわかれる所は能力の如何ではない。
精神であり感激の問題だ。』