今日の日経新聞「文化欄」は、
作家・小池真理子さんの「生と死の営み」でした。
次の文章を読んで、自分自身の行く末を考えてみました。
『最近、巷(ちまた)には孤独死、孤立死、という言葉があふれ、
大きな社会問題になっている。
孤独に死んでいくことになるかもしれないと想像して不安にかられ、
若いうちから怯(おび)えている人もいる。
だが、私はそんなふうに安易に一括(ひとくく)りにして語られる問題に対しては、
警戒心と猜疑(さいぎ)心を抱く。
そうした括られ方の中に、
人の心の本質が投影されることなど、めったに見られないからである。
〜(中略)〜
孤独も孤立も、私たちの生命の営みの壮大さの中で見れば、
ほんの一瞬のできごとに過ぎないような気もする。』
私が死ぬ時には、どんな死に方をするのか?
妻にも娘にも見限られ、孤独に死んでいくのかも……?
などと、「想像して不安に怯えている一人」なのかもしれません。
小池真理子さんのように、
「孤独も孤立もほんの一瞬のできごとに過ぎない」と、
達観した境地にとても到達できそうにありません。
話は変わりますが、
最近、コクヨの「もしもの時に役立つノート」を購入しました。
思いついた時に、少しずつ書いて、ノートを埋めていくつもりです。
私が死んだ時に、できるだけ妻と娘に迷惑をかけないようにとの気持ちからですが、
凡人には、これくらいのことしかできそうにありません。