先月24日に開催された
政府の「教育再生実行会議」において配布された資料のうち、
作家の曽野綾子さんから提出のあった資料に目を通してみました。
曽野さんは、
『「苛めた、苛められた」という感覚を、
この世から完全になくすことはできないが、
少なくとも学校という教育的な場において、
その弊害を減らすことは、大切な目的である』としたうえで、
おおむね次の3点について、
「教育再生実行会議」において討議してもらいたい、と述べられています。
1 制度や体制をいくら整えても、苛めという人間の本質に繋がる問題は解決しない。
もっと深い哲学的な考察と教育によってしか、光を当て得ない分野だと思われる。
2 苛められる側を救うための制度をいくら作っても、
それもまたこの問題の解決にはならない。
庇うだけでは、人間は生きていけない。弱いものを庇うことは必要だが、
同時に、人間は自らが強くなる必要がある。
3 そもそも人間教育は誰が何によって行うのかという
根本の点にも触れないと、やはり解決の道にはいたらないだろう。
私はよき環境からのみではなく、しばしば歪んだ世界からも多くのものを学んだ。
教育は自発的な動機がなければ効果が定着しない。
う〜ん、実に奥の深い御指摘です。
この記述を読んで、自分の中学生の頃を思い出しました。
私の卒業した中学は俗に言う「ヤバイ」中学で、県内でも名を知られていました。
荒々しい生徒が多く、校内暴力や他校生徒との喧嘩沙汰もありましたが、
現在問題になっているような「いじめ」はなかったと記憶しています。
なぜそうなのか、いろいろ思い出しましたが、
当時は、「喧嘩の強い子」、「頭のいい子」、「走るのが速い子」など、
お互いの長所や特技を認め合い、また、尊敬する「気風」があったように思います。
むしろ「いじめ」は、
「社会に出てからの方が陰湿さを増す。」というのが私の実感です。
話は変わりますが、この会議の開催状況に興味を持ったのは、
加戸守行・前愛媛県知事が有識者のお一人として名前を連ねていたからです。
新聞報道によると、加戸前知事は道徳教育の必要性を主張されていたとか…。
加戸前知事は教育分野のスペシャリストで、人物も立派な方です。
今後の御活躍を、前知事に仕えた職員の一人としてお祈りしています。
また、教育再生に関する討議の中身についても楽しみにしています。