今月3日付けの日経新聞「経済教室〜TPP参加への環境整備㊤」は、
河野勝・早稲田大学教授の「国家的合意、多数派尊重で」でした。
「TPP参加への国家的コンセンサス(合意)はどのようにして得られるのか?」
この大変難しい「問いかけ」に、河野先生は貴重な示唆を与えてくれています。
まず、河野先生は、これまでTPP推進派は、
経済の論理を前面に押し出して参加のメリットを訴えてきたけれども、
そもそも経済学が思い描くような理想的な自由貿易体制が世界に存在したことは一度もなく、
そうした論法には説得力がないと主張されています。
次に、潜在力のあるアジア太平洋地域に自由貿易圏を形成することが
日本にとっての国益であるというTPP推進派の典型的な主張は、
それをいくら繰り返しても、
日本の農業を守ることこそが国益だと訴える人々を説得できないとして、
次のように喝破されています。
『国益という言葉を振りかざしさえすれば自らの主張に正当性が生まれると、
推進派と反対派の双方が思い込んでいる限りは、
論争がかみ合わないまま終わることは目にみえている。』
そして、こうした不毛な論争の構図に再び陥らないために求められるのは、
経済ではなく、政治の論理からこの問題をとらえなおし、
TPPにコミット(関与)することが
真に国益に資することになるかを判断していくことであると指摘されています。
河野先生によれば、政治の論理とは、次の3つの観点です。
① 安全保障の観点
② 国家による再配分の論理
③ 民主主義の原則
TPP論争に「民主主義の原則」の観点が必要なことは、
河野先生の次の指摘を読むまでは、私には全く考えが及びませんでした。
『民主主義については、熟議を重ねることにこそ、その意義があるとする考えもある。
しかし相手が説得されないことを知りつつ
同じ論理やレトリック(修辞)を繰り返すだけでは、
知的に豊かな熟議が正しい選択を導くという理想は夢物語に終わってしまう。
そうならないためには、推進派と反対派双方の議論の作法を厳しく見つめる目が、
一般の有権者の間でも養われていく必要がある。
その意味で、TPP論争は日本の民主主義の質を問うているといえる。』
これは要するに、一般の有権者は、
「声高な少数派」の本質を見極める必要があるという、河野先生の警鐘なのでしょうか?
一方で、「多数派が常に正しいとは限らない」と思うのですが…。
う〜ん、「議論の作法を見つめる目を養う」には、努力と忍耐が必要みたいですね。