しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

現代版「マキャヴェリ」

昨日(3日)の産経新聞「正論」は、
雪斎先生こと、櫻田淳・東洋学園大学教授の『平成の「富国強兵」路線に専念を』でした。

雪斎先生御自身のブログは、しばらく更新されていませんし、
産経新聞「正論」にも、雪斎先生の論評が随分と掲載されなかったので、
少々つまらない思いをしていましたが、
久しぶりに「雪斎節」を読むことができて、とても嬉しく思っています。

今回の論評の主要な個所を、私なりにまとめて、この日記に残しておきます。

 ・第二次世界大戦という
  「近代以降、偶々(たまたま)、敗れた一度だけの対外戦争」に係る弁明には
  大した意義を感じていないし、
  その弁明に日本の政治家が精力を尽瘁(じんすい)するのは、率直に無益なことである。
 ・安倍首相の再度の執政に期待するのは、
  「次の戦争」で「戦勝国」としての立場を確実に得るために必要な
  態勢の整備(〜平成版「富国強兵」路線〜)である。
 ・逆にいえば、平成版「富国強兵」路線の貫徹に具体的に寄与しない政策対応は、
  「歴史認識」の扱いを含めて、全て棚上げにしても何ら支障はない。
 ・翻って、橋下市長の一連の発言において批判されるべきは、
  その発言の中身というよりも、それを語る「必然性」が誠に薄弱だということにある。
 ・橋下市長の発言のように、「従軍慰安婦」の解釈を含めて
  日本が「敗戦国」としての立場の弁明に走ることは、
  米国や豪印両国、東南アジア諸国といった
  「次の戦争」における盟邦との「提携」を進める際の妨げになる。
 ・中朝韓3カ国からの対日批判への対応は、そもそも「戦勝国」ですらない韓朝両国、
  さらには「戦勝国」の地位を継いだだけの中国が何故、
  あたかも自ら「戦勝国」であるかのように装って、
  対日批判に走っているかという「資格」を問い質し続ければ、それで十分である。
 ・政治家は、国家・社会にとって「必要なこと」よりも
  自らにとって「正しいこと」を優先させる言動に走れば、
  瞬時に「政治活動家」(自らにとっての「正しいこと」を口にしていれば、
  必ず受け容れられると信じている政治家のこと)に変貌する。

雪斎先生は、「次の戦争」といった過激な言葉を使用されていますが、
ここでいう「戦争」とは、
武力行使を伴う文字通りの「戦争」という意味にとどまらず、
経済や文化、スポーツなどを通じた対外影響力の確保という意味の
「競争」を含むとされています。

『国際政治で必要とされるのは、結局は「力」である。』という言葉が、
強烈にインプットされて、私の頭から離れません。
やはり雪斎先生は、現代版「マキャヴェリ」のような存在です。
次回の「正論」も楽しみにしています。