今日、6月10日は、「時の記念日」です。
いつものように「こよみのページ」で調べると、次のように解説されていました。
『1920年(大正9年)に生活改善同盟会が制定したもので、
その由来は「日本書記」に671年の4月25日
(グレゴリウス暦の置閏法を敷衍して適用すると671年6月10日にあたる)に
漏刻と呼ばれる水時計を新しい台に置き、
鐘や鼓で人々に時刻を知らせたと記述されていることを記念して制定。』
へぇー、そうなんだ。
大正9年制定という、結構歴史のある記念日であることを知り、びっくりしました。
今日は、全国新聞の朝刊は休刊でしたが、
6月9日の朝日新聞「天声人語」と6月8日の読売新聞「編集手帳」には、
それぞれ、「時の記念日」にまつわるコラムが、しっかりと書かれていました。
その中の「名文」を、この日記に残しておきます。
まずは、朝日新聞「天声人語」から…。
『「時間が足りない」と焦るくせに、「時間をもてあましちゃって」などと言う。
思えば、しっくり過不足なく時間が流れることは、人にはまれなのかもしれない。
時間を止めたい時があるかと思えば、お金を払ってでも早く過ぎてほしい時がある。
〜(中略)〜
あすは時の記念日である。
きょうはひとつ、ちっこい機械の文字盤を、しばし忘れてみるのもいい。
できればスマホもOFFにして。』
次に、読売新聞「編集手帳」から…。
『どこにいても携帯電話で呼び出される昨今、
秒針も分針もない時計で過ごす一日にあこがれている人は多かろう。
雨の匂いがあまりしない梅雨、
せめて休日は戸外でゆっくり陽光を楽しむとしましょうか。』
打合せしたわけでもないのに、どちらのコラムも、
時間に背中を押される現代人に、「時からの解放」を呼び掛けているようです。
ただ、時計の文字盤をしばし忘れて、陽光を楽しむのもいいけれど、
今この瞬間にも、一分一秒と懸命に戦っている人が、
この世の中には大勢いらっしゃることを忘れずにいたいものです。