しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

言葉という大海原

「辞書を編む」(飯間浩明著:光文社新書)を読んだことを契機に、
舟を編む」(三浦しをん著:光文社)も読んでみました。

「辞書を編む」で辞書の編纂作業に関する予備知識があったせいか、
今回の本も、とても面白く読むことができました。

ストリー展開の随所に、人生訓のようなものが散りばめられていました。
例えば、次のような記述は、奥深いものがあると感じました。

 ・どれだけ言葉を集めても、解釈し定義づけをしても、
  辞書に本当の意味での完成はない。(P071)
 ・たくさんの言葉を、可能な限り正確に集めることは、
  歪みの少ない鏡を手に入れることだ。
  歪みが少なければ少ないほど、そこに心を映して相手に差し出したとき、
  気持ちや考えがはっきりと伝わる。(P186)
 ・……記憶とは言葉なのだそうです。
  香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、
  それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです。(P212)
 ・言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とは無縁な、自由なものなのです。(P226)
 ・言葉はときとして無力だ。〜(中略)〜
  けれど、と馬締(この本の主人公です。)は思う。
  先生のすべてが失われたわけではない。
  言葉があるからこそ、一番大切なものが俺たちの心のなかに残った。(P258)
 ・辞書の編纂に終わりはない。
  希望を乗せ、大海原をゆく舟の航路に果てはない。(P258)

さて、今日(16日)は、お盆の「送り火」です。
夕刻に麻がらを焚いて、御先祖さんの霊をお見送りしました。
母をはじめ今は亡き人へ、私の思いを伝えるためにはどうすればよいか?
舟を編む」には、その答のようなものが、 しっかりと用意されていました。
その文章を孫引きして、私なりに修正させていただくと、次のようになります。

『生命活動が終わっても、肉体が灰になっても。
 物理的な死を超えてなお、魂は生きつづけることがあるのだと証(あか)すもの。
 亡き人のたたずまい、亡き人の言動。
 それらを語りあい、記憶をわけあい伝えていくためには、絶対に言葉が必要だ。』

舟を編む

舟を編む