『修身教授録』(森信三著:致知出版社)を読了しました。
読後の感想として、
この本に若くして出会えていたならば、
私の人生も、もう少し「まっとうな」人生になっていたような気がします。
さて、この本は、第1部40講、第2部39講で構成されていて、
それぞれ素晴らしい「人間学の要諦」が書かれていますが、
私が最も感銘を受けたのが、「下座行」という講義と「最善観」という講義です。
少し長くなりますが、その真髄部分を原文そのままに引用させていただきます。
まずは、「下座行」から…。
『さて、下座行とは、先にも申すように、
自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二段、三段下がった位置に身をおいて、
しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、
その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。
そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕けるのです。
すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、
これに対して不平不満の色を人に示さず、
真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。
つまり世間がその人の真価を認めず、
よってその位置がその人の真価よりはるかに低くても、
それをもって、かえって自己を磨く最適の場所と心得て、
不平不満の色を人に示さず、わが仕事に精進するのでありまして、
これを「下座を行ずる」というわけです。』
次に「最善観」から…。
『すなわち、神とは、この大宇宙をその内容とする根本的な統一力であり、
宇宙に内在している根本的な生命力である。
そしてそのような宇宙の根本的な統一力を、人格的に考えた時、
これを神と呼ぶわけです。
かく考えたならば、わが身にふりかかる一切の出来事は、
実はこの大宇宙の秩序が、そのように運行するが故に、
ここにそのようにわれに対して起きるのである。
かくしてわが身にふりかかる一切の出来事は、その一つひとつが
神の思召であるという宗教的な言い現し方をしても、なんら差し支えないわけです。
すなわちこれは、道理の上からもはっきりと説けるわけです。
そこで、今私がここで諸君に申そうとしているこの根本信念は、
道理そのものとしては、きわめて簡単な事柄であります。
すなわち、いやしくもわが身の上に起こる事柄は、
そのすべてが、この私たちにとって絶対必然であると共に、
またこの私にとっては、最善のはずだというわけです。』
私は以前から、「宇宙」と「神」との関係を
どのように関係付けて理解すればよいのか分かりませんでしたが、
森先生の「最善観」を読んで、真理の一端に触れたような気がします。
いずれにしても、
人生の真理が、平易な文章でありながらも迫力を持って書かれています。
背筋をピンと伸ばさなければ、読むことができません。
今日はこのあたりにして、
明日も、この本の中の名言・名文を拾い出して書き残そうと思っています。
おっと……。思い出した……。
森先生は、「その日になすべきことは、決してこれを明日に延ばさぬこと」と
「一日の意味」という講義で述べられていました。
意志が弱い私をお許しください……。
- 作者: 森信三
- 出版社/メーカー: 致知出版社
- 発売日: 1989/03/01
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