しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

人間学の要諦(その2)

昨日の『修身教授録』(森信三著:致知出版社)の続きです。
今日は、第1部40講の中から、名言・名文を拾い出してみました。

・ローソクは、すべてを燃やし尽くすことによって、
 初めてその作られた意味も果たせる。
 同様に私達も、自分が天からうけた力の一切を、生涯をかけて出し切るところに、
 初めて、小は小なりに、大は大なりに、国家社会のお役にも立ち得るわけで、
 人生の意義といっても、結局この外にない。(第7講「志学」)

・人を知る標準としては、第一にはそれがいかなる人を師匠としているか、
 ということであり、第二には、その人がいかなることをもって、
 自分の一生の目標としているかということであり、
 第三には、その人が今日までいかなる事をして来たかということ、
 すなわちその人の今日までの経歴である。
 そして第四には、その人の愛読書がいかなるものかということであり、
 そして最後がその人の友人いかんということである。(第10講「尚友」)

・人間の生涯を通じて実現せられる価値は、
 その人が人生における自分の使命の意義を、
 いかほど深く自覚して生きるか否かに比例するとも言える。(第13講「使命の道」)

・真の読書というのは、自己の内心のやむにやまれぬ要求から、
 ちょうど餓えたものが食を求め、渇した者が水を求めるようであってこそ、
 初めてその書物の価値を十分に吸収することができる。(第15講「諸君らの将来」)

・すべて人間は一道に徹すると、国家社会の相がはっきりと見えてくる。
 同時に一度そこに眼が開かれると、自己に対しては無限の精進、
 後に来る者に対しては無限の愛情が湧く。(第21講「血・育ち・教え」)

・優れた実践の背後には、必ずや常に一個の思想信条がある。(第27講「成形の功徳」)

・志とは、これまでぼんやりと眠っていた一人の人間が、
 急に眼を見ひらいて起き上がり、じこの道をあるき出すということだ。
 今日わが国の教育上最も大きな欠陥は、結局生徒たちに、
 このような「志」が与えられていない点にあると言える。(第24講「国民教育の眼目」)

・すなわちわれわれは、自己の生に徹することによって生を超えると共に、
 そこにおのずから死をも超える道が開かれてくる。
 かくして人生を真に徹して生きる人には、生死はついに一貫となり、
 さらには一如ともなる。
 すなわちその時、死生はついに別物でなくなるのである。
 自分の使命に生き切ったということに対する無限の喜びが、
 死に対する恐怖を感じさせなくなる。(第37講「死生の問題」)

・そもそも日本人としての最高の生き方は、
 結局は自分のこの肉体が解体してからも、なお国家社会のために、
 何らかの意味で貢献し得るような生き方をするということ。(同上)

ふぅー。第1部だけでもこんなにたくさんありました。
この中でも、、第37講「死生の問題」を読むと、
どのようにしたらこのような境地に達するのか、未熟者の私には想像を絶する世界です。
また、「生死が一貫となり、一如になる境地」は、
果たして凡人には訪れるものなのか…?
「人生を真に徹して生きる」ことは、私には至難の業のように思われます。

第2部は明日にします。