久々に、雪斎先生こと櫻田淳・東洋学園大学教授が、
今月13日の産経新聞「正論」に論評を掲載されていました。
タイトルは、『外交は米国の「弱さ」に配慮して』でした。
雪斎先生は、タイトルにあるキーワードの「弱さ」について、
次のように説明されています。
『オバマ米大統領の先刻の一般教書演説に触れるまでもなく、
「極東情勢に無用な波風が立つのを望まない」という趣旨の「失望」表明の裏には、
現下の米国が抱える「弱さ」が垣間見られる。
それは、中国の拡張的にして挑発的な対外姿勢が
日比両国のような「盟邦」に明白な脅威を与えていても、
財政その他の制約から
峻厳(しゅんげん)な対中姿勢を採るのを躊躇(ちゅうちょ)する「弱さ」である。』
そして、雪斎先生は、
この米国の「弱さ」は、日本としては十分に気を使うべきであり、
米国の「弱さ」が明白に認識されればされるほど、
それを主体的に補う努力が、日本に要請されることになると指摘されます。
こうした考え方から、雪斎先生は、
「安倍首相の再度の靖国参拝は要らないであろう」と結論付けられています。
(もちろん、「外交戦略上の観点からすれば…」という条件が付けられています。)
雪斎先生の論評を読んで、私もやっと米国の「失望」表明の含意が理解できました。
さらに雪斎先生は、
同盟諸国に「安心」や「信頼」を提供していくことにこそ、
日本が行うべき「対外関係への配慮」の本質があると指摘されたうえで、
論評の最後の部分では、次のように述べられています。
『政治は結局のところは、誰との関係を重視し、
その上で何を手掛けるかという「優先付け」の技芸に他ならない。
特に国際政治の世界では、そうした傾向は一段と鮮明になる。
安倍首相には、
こうした「優先付け」の見極めに細心の注意を払うことを期待する。』
なるほど…。政治は優先付けの技芸なのですね。
日本を代表する保守の論客として、「面目躍如」の論評だと思います。
ところで、「面目躍如」の使い方って、これでよかったのかしら…?