東レ経営研究所の小西明子・人材開発部長のコラムを読んで、
「学習性無力感」という言葉を初めて知りました。
コラムによると、「学習性無力感」とは、
「努力を重ねても望む結果が得られない経験・状況が続いた結果、
何をしても無駄と思うようになり、
不快な状況を脱する努力を行わなくなること」と定義されているそうです。
この状態を説明するのに分かりやすい例として、
コラムでは「かわいそうなカマス君」の話を紹介されています。
・獰猛な魚食性のカマスを透明な仕切りのある水槽に入れ、
仕切りの向こうには餌となる小魚を放っておく。
・最初のうち、カマスは小魚を食べようとして仕切りにぶつかって行くが、
どんなに頑張っても仕切りの向こうの小魚を捕まえることができないと知ると、
無駄な努力をやめて大人しくなる。
・この状態に慣れてしまったカマスは、
仕切りを外して小魚が捕まえられるようになっても、
もはや襲って食べようとせず、そのまま餓死してしまう。
この「カマスの実験」に見る「学習性無力感」を、
小西部長は、「特にバブル後の日本の閉塞状態を警告的に説明するのに
うってつけのワードではないか」として、次のように述べられています。
『「実験」としての真偽は別として、
若手に対しては「自ら限界を決めて挑戦することを忘れていないか?」、
管理職に対しては
「あなた自身がガラスの仕切りになってしまっているのではないか?」、
経営者に対しては
「あなたの会社自体、このカマスの水槽のような状態ではないのか?」
または「そこに新しい戦力を注入して組織を活性化する必要はないか?」など、
様々な層に対して色々なメッセージを抽出できるのが便利なところなのでしょう。』
う〜ん、なるほど。とても含蓄のあるお言葉ですね。
感心すると同時に、自分自身は、「カマスになっていないか」、
あるいは、「ガラスの仕切りになっていないか」、深く自省した次第です。
コラムの最後は、次のような文章で締めくくられていました。
『越えられなかった壁の向こうにあったチャンスが
ビジネス環境の変化で手の届く範囲に来たとき、そのことに気づくことができるか、
さらに適切なリスクを負って取りに行く行動が起こせるかどうかが、
日本の組織が元気を取り戻すための鍵を握っているように思います。』
どうやら元気を取り戻すための鍵は、「組織」も「個人」も同じみたいです。