しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

自分の頭で考える

『美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。』
この言葉が、著名な批評家・小林秀雄さんの言葉であることは知っていましたが、
それがどういうことを意味するのかは、正直なところ、私には分かりませんでした。

それが、今月16日の読売新聞「名言巡礼」の次の解説を読んで、
ようやく理解できるようになりました。

『美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。
 これは、批評の巨匠の美への思いを代表する言葉である。
 「美しい花」そのものを見て、言葉を失うほど感動せず、
 「花の美しさ」ばかり分析し、知識をひけらかすお喋しゃべりを批判した。
 そして、見ること聴くことも、考えることと同様、難しい、努力を要する仕事、
 というのが信念だった。』

う〜ん、なるほど。そういうことだったのか…。
見ることや聴くことも、「難しい、努力を要する仕事」というのは、
とても重い言葉だと感じました。

そして、小林さんに関する次のエピソードも、
自らの普段の言動を省みて、深く考えるところがありました。

『元新潮社の編集者、池田雅延さんは、担当になって間もない1973年、
 叱られた日のことを、まざまざと覚えている。
 一言も聞き漏らすまいと、持参したテープレコーダーのスイッチを入れたのに、
 小林は黙っている。しばらくして口を開いた。
 「君、それ、切れよ。僕は、君に話すことは約束したけれど、
 機械に話すとは言っていない」
 メモやテープや知識や理論に頼り、自分の頭で苦労して考えず、
 「要は」と、簡単にわかろうとするのは「現代の病」という言葉が続いた。』

私も、口癖のように、
「要は…」とか「要するに…」という言葉を、会話の冒頭に使用することがありますが、
その際、「自分の頭で苦労して考える」ことを実行していないのは明らかです。
「知識をひけらかすお喋り」にならないためにも、
小林さんのご批判を、自分自身のこととして、しっかり受け止めたいと思います。

さて、大学受験の際には、小林さんの評論を引用した試験問題と格闘してきたので、
ちょっと「小林秀雄アレルギー」になっていましたが、
これを契機に、小林さんに関する著書にも再チャレンジしたいと思っています。