しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

自由を護る覚悟

今日24日の産経新聞「正論」には、
久しぶりに、雪斎先生こと櫻田淳・東洋学園大学教授の論評が掲載されていました。
論評のタイトルは、『「当てになる」米同盟国をめざせ』でした。

雪斎先生は、
オバマ大統領の今回の日本を含むアジア4カ国歴訪には、
たとえば中国という1つの国への牽制(けんせい)というよりは、
ロシアが走った「力を恃(たの)む」粗野な流儀に対して、
峻厳(しゅんげん)な姿勢を表明するという
新たな意味合いが付け加えられたと述べられたうえで、
こうした米国の動きに呼応する意味で、日本に要請されるのは、
特に集団的自衛権行使の許容にかかる議論を早々に落着させることである、
と指摘されています。

そして、ここから雪斎先生らしい「正論」が展開されていています。
集団的自衛権行使の許容にかかる国内議論に関しての次の文章を読むと、
「う〜ん、なるほど」と思わず唸ってしまいます。

集団的自衛権行使「条件」に絡む議論は、
 他面では「歯止め」の議論としての性格を持っているけれども、
 その「条件」を事前にいくら緻密に検討したとしても、
 それが実際の有事に用を成すかは定かではない。
 というのも、軍事・安全保障という政策領域では、
 「想定外の出来事」は当然のように生じるからである。
 故に、集団的自衛権に限らず、
 軍事にかかるすべての政策選択の「条件」や「歯止め」は、
 こうした「想定外の出来事」を前にして、
 それぞれの政治家が発揮する政治上の見識や責任意識でしかない。
 逆にいえば、こうした「条件」や「歯止め」を事前に用意された文書に記して
 安堵(あんど)しようという姿勢にこそ、
 軍事を統御する技芸としての政治にかかる「貧困」が反映されている。』

続いて雪斎先生は、
集団的自衛権行使許容には、
 特に中韓両国からの懸念を念頭に置いた異論が表明されているけれども、
 何よりも考慮されなければならないのは
 米国を含む先々の「同盟国」や「協働国」に対して
 確たる安心を提供できるかということである。』とも述べられています。

また、論評の最後では、
『現下の日本の風景は、60年ほど前の西ドイツの風景と相似を成している。
 集団的自衛権行使許容を機に、日本国民の大勢は、「自由は享受するけれども、
 それを護(まも)る労苦を厭(いと)う」という姿勢からは、
 果たして抜け出せるのであろうか。』と、国民を叱咤されているかのようです。

おっとっと……。
ここまで日記を書いてみると、
ほとんど記事の全文を引用した形になっていることに気づきました。
それほど、雪斎先生の文章には隅々まで迫力があって、
割愛できる部分が少ないということです。

論評を読んで、「自由のためには犠牲を払う覚悟がいる」ことは理解できましたが、
日本国民に果たしてその覚悟は持てるのでしょうか…?
私には、「言うは易し行うは難し」の世界のように思われてなりません。