6月30日の日経新聞「池上彰の大岡山通信・若者たちへ」は、
『「教育」の本質とは』でした。
このコラムで池上さんは、
フィリピン・マニラのスラム街で、学校に行けない子どもたちに、
教科書をリアカーに積んで出前授業を行っている若者のことを紹介した後、
教育の真価について次のように述べられています。
『次の世代に渡す財産が現金だったら、盗まれてしまうかもしれません。
でも、身についた教育なら、盗まれることはありません。
治安の悪い所に住んでいる人ならではの発想だと思いましたが、
これぞ、教育の真価なのでしょう。
教育という財産を次の世代に残していく。こうして国は豊かになっていきます。
40年前の日本も、こうして豊かになったのです。』
「教育こそ財産」という考え方は、
亡くなった母からよく聞かされていた言葉です。
母はよく、「家(うち)は、決して裕福ではないので、
あなたたち(私と弟です)に残す財産はないが、
なんとか教育だけは受けさせたい。」と言っていました。
その言葉どおり、家計をやり繰りして、私と弟を大学まで行かせてくれました。
おまけに、私は「一浪一留」、弟は「二浪」。
父は今でも、「子どもは二人なのに、三人を大学に行かせたようなものだ。」
と冗談半分、本気半分で語ることがあります。
その後、子ども二人のうち、一人は公務員に、
もう一人は学校の先生の道を歩むことになりました。
最近は、自らが受けてきた教育を、
社会のために少しは恩返しできたかどうか、自問自答しています。
父や母と同じように、
私も娘や孫娘に残す財産はありませんが、
他人に盗まれることがない「教育という財産」だけは、
なんとか残したいと思っています。