今日(2日)の日経新聞「こころ」欄は、
ジェンダー研究や生活文化論で知られる
社会学者の天野正子さん(76)へのインタビュー記事でした。
記事の中で、印象に残った言葉がいくつかありました。
『老いがいとは、年齢を重ねる過程で手に入れた、その人固有の老いとの向き合い方。
人の生と、老いと死をつなぐものは、過去の成果や業績ではない。
ただ、自分を生き切るという行為なのです』
『私は、女子大で若い学生に囲まれた日々を送っています。
若さに酔いしれ、「老いなんて関係ない」と思っている若い世代にこそ、
老いがいについて考えてほしい。
生と老い・死は人生の両極ではなく、ひとつながりであること、
自分が今、渦中にある若さの価値が
実は相対的なものでしかないことに気づいてほしいですね』
天野さんによると、
戦後の一時期は「死にがい」を求めた時代、
高度成長期に盛んだったのは「生きがい」論、
そして、失われた20年を経て、高齢社会が現実になった今は、
「老いがい」の時代とのことでした。
『老人の日々は衰退だけではなく、創造の連続。
老年になって得るのは、それまで知りえなかった新しい人生の見方なのです。』
という天野さんの言葉を聞くと、老いていくことにも希望が持てそうです。
いっそのこと、この日記も
「老いじたく日記」から「老いがい日記」に変更しようかしら…??
さて、話は全く変わりますが、
今日から蝉の鳴き声にツクツクボーシが混じるようになりました。
秋の足音が近づきつつあります。