夏らしくない今年の天気を嘆いていたのは、どうやら私だけではなかったようです。
今日の「天声人語」に次のような文章を見つけた時、
皆同じような気持ちなんだと、少しホッとした気持ちになりました。
『美しい夏空が、今年は少ないようだ。
青空にくっきりわいた入道雲の輪郭を、まだ見ていない気がする。
東京辺りは日照があるほうだが、
百日紅(さるすべり)や夾竹桃(きょうちくとう)といった
炎天の似合う花はどこか所在なげだ。
先日来、近畿地方などでは大雨の被害が出ている。
太平洋高気圧はぴりっとせず、前線の居座る乱調の夏である。
残暑の長っ尻は困るけれど、夏らしい幾日かを望む人は多いのではないか。
蝉の声の消えぬうちに。』
コラムでも指摘しているように、とうとう今年の夏は、
天高くそびえる入道雲を見ることもなく終わってしまいそうです。
それにしても、私は、今日のような、
日常の何気ないことが書かれた「天声人語」が好きです。
紙面の文字数に制約があるなかで、「蝉」に関連する木村信子さんの詩や、
松尾芭蕉の俳句をさりげなく挿入したりするのは、
「さすがコラムニストの書く文章は違うなぁ…」と唸ってしまいます。
そうそう、今日のコラムのなかでは、次の一節も私のお気に入りです。
『命をつなぐために、オスはメスを呼んで一心に鳴く。
その声が降る蝉(せみ)時雨(しぐれ)はさまざまな8月をよびさます。
「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」芭蕉。
だが役目を果たすと、ぜんまいがほどけたようにポトリと落ちて
土に還(かえ)るのである』
この「役目を果たすと、ぜんまいがほどけたようにポトリと落ちて土に還る」
という表現は、私なんかは、どうひっくり返っても書けない文章です、
昨日、散歩の途中で孫娘と見た蝉の死骸。
孫娘がもう少し大きくなったら、今日のコラムを参考に、
土の中で幸せに暮らしたかもしれない蝉の一生について語りたいと思います。