しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

熱が出てきそう

風邪をひいて体調不良が続いています。

ただ、『風邪の効用』(野口春哉著:ちくま文庫)のように、

「上手に風邪を経過させる」ことは、私にはできません。

ついつい薬に頼ってしまう自分がいます。

 

さて、NHKテレビテキスト「100分de名著」の

実存主義とは何か~サルトル』を読了しました。

解説者は、フランス文学者の海老坂武さんです。

海老坂さんは、サルトル実存主義を次のとおり解説されていました。

 

実存主義を説明するために、サルトルは二つの定式を提示している。

第一の定式は、「実存は本質に先立つ」。

人間はまず先に実存し、したがって、自分の本質というのはそのあとで、

自分自身でつくるものだ、という考え方。

 

第二の定式は、「人間は自由の刑に処せられている」。

「自由そのもの」として世界に投げ出された人間は、

みずからがおこなうことの価値を、自分自身で決めなければならない。

つまり、神は存在しないから、自分の行動を正当化する理由や逃げ口上として、

神を呼び出すことはできない。

価値を決定するのは神でもなんでもなく、自分ひとりでしかない。

そのことを「刑に処せられている」と表現している。

 

う~む、ずいぶん以前から、

サルトルボーヴォワールの名前は知っていたけれど、

いざテキストを読んでみたら、難しくてなかなか前に進むことができませんでした。

テキストで予習らしいことはしたので、

今度はテレビを見て勉強したいと思っています。

 

なお、海老坂さんの解説によると、

サルトルには破壊者と建設者の二つの側面があったとのことでした。

破壊したものは、たとえば、「人間本性」という神話、

芸術の無償性という神話、ブルジョアジーの欺瞞、

宗教と家族に規定された倫理といったもの、ヨーロッパ中心の歴史の見方。

 

建設したものは、実存のヴィジョンであり、偶然性のイメージであり、

単独人間(思考の独立性によって社会に対立する個人)の像であり、

アンガジュマンの思想であり、人間と歴史を解読する方法と概念装置であり、

無意識と区別される非定立的意識

(自分の言動について漠然と知っている意識)概念の創造であり、

小説においては映画的手法の導入といったこと。

 

ふぅ~、書いていて、また熱が出てきそうなので、もうやめます。

サルトルが「行動する知識人」であったことだけは理解できました。

 

サルトル『実存主義とは何か』 2015年11月 (100分 de 名著)

サルトル『実存主義とは何か』 2015年11月 (100分 de 名著)