昨日のこの日記で「ディストピア小説」の感想文を書いたとたんに、
フランスで卑劣で非人道的な同時多発テロが発生しました。
あまりにも悲惨な出来事に言葉を失うと同時に、
これからの国際政治に、極度の緊張関係が生じるのではないかと心配します。
「国際政治の緊張」といえば、今月12日の産経新聞「正論」には、
久しぶりに雪斎先生こと、櫻田淳・東洋学園大学教授の論評が掲載されていました。
その内容は、南シナ海情勢における日本の対外姿勢に関するものでした。
雪斎先生によると、過去数年の国際政治の緊張点は、
「日本/『中国世界』+『インド世界』」の境界領域、
あるいは「西ヨーロッパ/『ロシア世界』+『地中海・イスラム世界』」の
境界領域に集中していて、
2010年代という現在の時代は、
「自由」「民主主義」「人権」「法の支配」といった「近代の所産」を
永らく奉じてきた日本、西欧諸国、
そしてその文明上の後嗣としての米豪両国の流儀が、
梅棹の言葉にある「中国世界」「ロシア世界」、
さらには「地中海・イスラム世界」から深刻な挑戦を受けている最中である
と説明されています。
なお、日本と西欧諸国の「近似性」として、
中世の封建制を経て近代社会への脱皮を成し遂げた軌跡があり、
その「近似性」の故にこそ、日本は西欧諸国と同様に、西欧由来の「近代の所産」を、
自らのものとして奉ずることができていると、
梅棹忠夫の指摘を引用しながら説明されています。
そして、先ほどの挑戦によって招かれた国際政治上の緊張が
具体的に現れている風景こそ、
東にあっては、東シナ海や南シナ海における海洋「紛争」であり、
西にあっては、たとえばウクライナ紛争に加え、
シリア内戦が促したイスラム国(IS)の擡頭(たいとう)や
欧州諸国への難民流入であり、
そこでは、「近代の所産」が明白な脅威にさらされていると述べられています。
う~む、相変わらず雪斎先生の論評は、
縦軸も横軸も、そのスケールが大きくて奥深いと思います。
『南シナ海情勢が問いかけているのは、
日本が永きに渉(わた)って刻んだ足跡に対する
「信念」や「確信」といったものである。』
南シナ海情勢で繰り返し述べられている「法の支配」という言葉は、
日本にてとっては、「近代の所産」の擁護という大義であって、
その獲得のために奮励した明治以来の足跡であることが理解できました。
さて、日本や、フランスをはじめとする西欧諸国は、
「近代の所産」を護り続けることができるのでしょうか?
地球儀的な視点が、これからは大切なような気がします。