しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

苦難というバックボーン

先日の原節子さんに続き、今日1日の全国新聞の一面コラムはすべて、

93歳でお亡くなりになった、漫画家・水木しげるさんを悼む記事でした。

 

子どもの頃、「ゲゲゲの鬼太郎」を漫画やテレビで楽しみました。

鬼太郎ねずみ男目玉おやじ、そして♪ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ……

その主題歌は、今でも口ずさむことができます。

 

妖怪らしくない妖怪の生みの親の水木さんに、

戦争という重い体験があったことを知ったのは、ずいぶんと大人になってからです。

 

今日の一面コラムを読んで、妖怪漫画のバックボーンに

水木さんの苦難の人生があったことを、改めて知ることができました。

 

毎日新聞「余禄」

 その水木さんはある時、「天ぷらが嫌い」と口に出し家人に驚かれた。

 ずっと食べていて、嫌いと誰も知らなかったのだ。

 「好き嫌いを言ったら戦地で死んだ人に申しわけない」。

 自ら左腕を失い、理不尽(りふじん)な死を強いられる戦場の悲惨は

 終生その心にまとわりついた。人は死後どうなるか。水木さんは想像した。

 人は生者の目に見えない形に変化する。

 天国も地獄もなく、みんなふわふわしたものになる。何と気分いいことか。

 

産経新聞「産経抄」

 鳥取県境港市で育った水木しげるさんは、4歳ごろから、妖怪と付き合い始めた。

 夜、人が寝静まってから天井にしみをつけるのが、「天井なめ」だ。

 「海坊主」は人を見つけると、海から上がって、

 からだのぬるぬるした油をなすりつけようとする。

 近所に住む「のんのんばあ」と呼ばれるおばあさんが、ひとつひとつ教えてくれた。

 

朝日新聞天声人語

 死線をさまよったが生き延びた。自生するパパイアの実を両足ではさみ、

 右手のさじでほじくりだして食べて、命をつないだという。

 運命の歯車がわずかでも違えば、後年の漫画家「水木しげる」は存在せず、

 「ゲゲゲの鬼太郎」もこの世に現れることはなかった。

 その体験もあってだろう、亡くなった水木さんの画風はむろん、

 語り口も、どこかこの世とあの世を越境していた。

 飄々(ひょうひょう)とした味わいの中には、

 戦争で散った仲間を悼む涙があふれていたように思う。

 

日経新聞「春秋」

 束縛を嫌って自由気ままに生きることを「水木サンのルール」と呼び、実践した。

 強制や締め付けを嫌う気持ちは生死の境をさまよった軍隊経験で

 いっそう強くなっただろう。

 「成功や栄誉や勝つことにこだわり過ぎて、

 大好きなことに熱中する幸せを置き忘れてしまってはいないだろうか」。

 異色の漫画家の訃報だった。

 

・読売新聞「編集手帳

 「私の描く漫画にメッセージがあるとすれば

 〈少年よ、頑張るなかれ〉ですかね。」水木さんが93歳で死去した。

 数年前、東京・神田の書店で水木しげる展を見た。

 水木語録をプリントとしたTシャツが売られていたのを覚えている。

 〈人のうしろを歩きなさい〉

 フッと肩の力が抜ける朗らかなニヒリズムは終生、色あせることはなかった。

 

「朗らかなニヒリズム」…。

苦難を体験した人しか実践できない人生哲学だと思います。