今年を締めくくるのにふさわしい、格調の高い政治論評だと思いました。
今日29日の産経新聞「正論」に掲載された、
雪斎先生こと、櫻田淳・東洋学園大学教授の
『若者の「情熱」政治利用を慎め』という論評を読んでの感想です。
この論評で雪斎先生は、『情熱的な精神状態』の著者、
エリック・ホッファーの言葉をいくつか引用されています。
『平衡感覚がなければ、よい趣味も、真の知性も、
おそらく道徳的誠実さもありえない』
『ある理想を実現するために一つの世代を犠牲に供する人は、人類の敵である』
『わが国家、人種への誇り、正義、自由、人類等々に対する献身も、
われわれの人生の内実であってはならない』
さらに、マックス・ウェーバーの講演録『職業としての政治』からは、
次のような言葉も……。
『善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、
人間の行為にとって決して真実ではない』
これら偉人の言葉は、民主、共産、維新、社民の野党4党が、
学生団体「SEALDs(シールズ)」など
安全保障関連法の廃止を目指す諸団体と提携し、
来年夏の参議院議員選挙に際して「安保法廃止」を争点にして臨む方向で
動き出したことに関連して引用されたものです。
そして、雪斎先生は、野党4党に限らず政治勢力一般について、
次のように述べられています。
『「政治の現場」に若者たちを招くことによって
広く見聞を深める機会を提供するのは、大いに奨励されるべきことかもしれない。
けれども、自らの政策目的の貫徹や党勢の拡大のために
若者たちの「情熱」を利用しようとするのは、厳しく戒められなければならない。』
同時に、雪斎先生は、
『興奮して軽々に振る舞うのではなく、色々な書を読み色々な見聞を広めながら、
幅広い「教養」と確かな「平衡感覚」を身に付けよ』ということが、
安保法案を含めたさまざまな政治事象を前に対して、
若者たちにまず説かれるべきではないか、とも述べられています。
う~む、なるほど…。
雪斎先生の論評に対し、もちろん反論する人も多いと思いますが、
『若者たちに対して伝えられるべきは、
こうした言葉に表される政治への「距離」の感覚であろう』という御指摘は、
私には納得できるものがありました。
選挙の争点になったことがありましたが、
争点の単一化が、イコール「国民の政治への期待」ではないように思います。
『政治は、「異質な他者」と関係を紡ぐ営みである以上、
そこで要請されるのは、人間社会の「複雑さ」への理解である』
今回の論評で、雪斎先生のこの言葉が特に印象に残りました。
「複雑さ」を理解するために必要なのが「バランス感覚」なのですね…。