しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

いつか見た風景

『学問の力』(佐伯啓思著:ちくま文庫)を読了しました。

「教養」、「学問」、「思想」、「保守主義」などについての
佐伯先生の「定義」は、とても読みごたえがありました。
その内容を次のとおりメモして残しておきたいと思います。

 ・〜(略)〜そのなかでもっとも深刻な問題は、
  学問の基底をなすはずの、 基礎的な思考や発想や問題性への感受性を
  やしなうことができなくなっているということです。
  その基底あるものこそ、本来、「教養」と呼ばれたものだと私は考えるのです。

 ・学問とは、さまざまな観察の結果でてきた知識というより、
  そのような知識を抽出しようとする態度や関心そのものだからなのです。
  学問をするということは、何か、昆虫採集でもするように、
  社会や歴史について知識を集めることではなく、社会にかかわり、生を送り、
  それなりの価値観を見出すその前提となる態度や関心なのです。

 ・思想とは、「思い」かつ「想像する」という字句の通り、
  何か重要なことへいたる道筋を考え、想像するという行為そのものであり、
  そうした行為を行う基準のようなものです。
  「絶対的な思想」はありませんが、真理へ向かおうとする姿勢ぐらいはなければ
  思想とはいえません。

 ・感受性を育み、保つという意味において、風景はとても大事です。
  われわれが物事をどのように考えるかは、
  心象風景としての原風景と無関係ではありません。
  思想は感受性を通して原風景から発して、
  また最後には原風景へと回帰してゆくものなのです。

 ・保守主義とは、まずは、身近なものを大事にしていこうということです。
  世界の秩序とか、人類の正義とか、世界の平和などという前に、
  自分の身近なところから、たとえば家族のなかでちゃんと会話するとか、
  友達や仲間を大事にし、恩を受けた人の義理を忘れないとか、
  近隣関係や日常の人間関係や付き合い方をきちんとするとか、
  日常的な規範意識を育てるとか、そんなことのほうが大事だとするのです。
  これは一口でいえば簡単ですが、実際にはなかなか大変なことです。

 ・日本人の歴史観は、個人というものを中心には物事を考えない。
  歴史を作り出すのが、大変な才能をもった個人とか、英雄だとか、
  人間の意志だとは考えません。
  むしろ、個人というものは何かによって生かされている。
  自分は能力をもっているけれど、能力というものは自分の占有物というだけではなく、
  さまざまな条件の組み合わせや偶然の味方によって発揮できる。〜(略)〜。

 私はこのなかでも、「原風景」の記述に共感を覚えました。
確かに、個人の思考や思想は、「いつか見た風景」が影響していると思います。

なお、この本の「解説」は、猪木武徳さんが書かれています。
猪木先生は、真の自由主義保守主義と対立する思想でなく、
日本の場合、保守主義的な姿勢を欠いた自由主義が近年跋扈しているところに
問題があると述べられています。

佐伯先生との見解の相違を述べられていて、
読書には常に批判的な姿勢が必要であることが理解できました。
こちらも大変勉強になったことを付記しておきます。

学問の力 (ちくま文庫)

学問の力 (ちくま文庫)