しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

負担の覚悟

今月12日の日経新聞「経済教室」は、
阿部彩 国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部長の
『格差を考える㊦〜対立避け社会の連帯を』でした。

前日11日の森口教授の論考に引き続き、
今回の阿部部長の論考も、深く考えさせられる内容でした。

ピケティ氏の著書に関し阿部部長は、
消え入りそうな日本の格差論争を再び燃え上がらせる油の役割を果たしているとして、
日本にとって新しい論点が2点あると指摘されています。

1つ目は、彼が所得分布の上で、とりわけ資産における格差を指摘した点。
すなわち、上位1%などの富裕層と中間層との格差を問題としたこと。

2つ目は、資本主義に任せておけば格差が拡大し続けると主張したこと。

次に、阿部部長は、日本の富裕層への所得の偏りは、
先進諸国の中では小さい方であるとしたうえで、
日本の所得格差の拡大は、富裕層の拡大というよりも、
貧困層の拡大によるところが大きいと述べられています。

そして、ここからは、
私の想像力が全く働かなかった点で、自らの思慮のなさを深く反省していますが、
阿部部長は、今、日本の所得格差是正のための一番のハードルは、
そのための負担を誰が担うのか、合意することであり、

「ピケティ氏の議論は格差を再び政策議論のテーブルに乗せた点で喜ばしいものの、
彼の議論が日本にてここまで熱狂的に受けとめられているという事実は、
それが「富裕層VS中間層」という対立構造を生みかねない点で怖い。」
と述べられています。

『「自分以外の誰か」がしかるべき負担をしていないと主張するだけでは、
 公務員や生活保護の受給者へのねたみから発するバッシングや、
 どこかに埋蔵金が埋まっているといった希望的観測と変わらない。
 
 負担の押し付け合いは、結局のところ、再分配へとつながらない。
 もし、日本が本当に格差の問題に取り組むのであるのならば、
 その政策のコストを社会全体で担っていかなければならない。』

う〜ん、この指摘にはまいりました。
私は、この問題について、
単なる批評家の一人になってしまっていて、
自らの「負担の覚悟」が足りなかったようです。(反省)