しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「疑問」未だ解消せず

今月27日と28日に、保守を代表するの論客のお二人が、
産経新聞「正論」に論評を投稿されていました。

まず、27日は、
雪斎先生こと櫻田淳・東洋学園大学教授の
『新局面開く首相のバンドン演説』という論評で、
その要旨は次のようなものでした。

 ・バンドン会議60周年記念首脳会議において
  安倍首相の演説で示された「反省したとしても謝罪はしない」という方針は、
  歴史認識案件での日本政府の姿勢の新たな「デフォルト(既定値)」になること。
  その意味では、この演説は、
  日本の対外政策における一つの局面を開いたものとなること。

続く翌28日は、佐伯啓思京都大学名誉教授の
『日本人と「ポツダム宣言」の呪縛』という論評で、
その要旨は次のようなものでした。

 ・サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日には、
  日本は道義的あるいは文明的に誤った戦争を仕掛けたがゆえに敗北した
  という観念が支配的となる。
  自由や民主主義や人権観念が間違っているというわけではないが、
  それらを普遍的な価値とみなして、
  その実現に世界史的な使命を求めるアメリカの価値観は日本のものではない。
  日米安保体制の基礎に、日米共通の価値が存在するとしばしばいわれるが、
  もしもそれをアメリカ型の歴史観、戦争観まで含めていうとすれば、
  われわれはいまだにポツダム宣言の呪縛から解かれてはいないことになる。

お二人の先生のお考えは理解できますが、
私には、まだいくつかの疑問が残っています。

 ・あくまでも「謝罪と反省」を求める韓国との接点を、今後どう模索していくのか?
  どうすれば接点を見つけられるのか?
 ・45年8月15日には、
  勝算もなく、強国アメリカに対して無謀な戦争を仕掛けたことが
  愚かであったという考えが、52年4月には、それまでの占領政策によって
  変わってしまったことは理解できるけれども、
  ではアメリカと違う「日本の価値観」とは一体何なのか?
  具体的には、アメリカ型の歴史観、戦争観を取り除いた
  「日本の価値観」とは何なのか?

この「疑問」は、未だ解消せず……です。