しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

知的宗教的な世界

暁の寺豊饒の海・第三巻』(三島由紀夫著:新潮文庫)を読了しました。

う〜ん、訳が分からないというか、とても難解な本でした。
特に、本多繁邦が戦時中に余暇を輪廻転生に充てたという記述のうちの、
唯識」という概念です。
例えば、この本の題名「暁の寺」が当登場する、次のような文章です。

『さるとても唯識は、一旦「我」と「魂」を否定した仏教が、
 輪廻転生の「主体」をめぐる理論的困難を、もっとも周到精密な理論で切り抜けた、
 目くるめくばかり高い知的宗教的建築物であった。
 
 その複雑無類の哲学的達成は、あたかもあのバンコックの暁の寺のように、
 夜あけの涼風と微光に充ちた幽玄な時間を以て、
 淡青の朝空の大空間を貫いていた。

 輪廻と無我との矛盾、何世紀も解きえなかった矛盾を、
 ついに解いたものこそ唯識だった。
 何が生死に輪廻し、あるいは浄土に往生するのか?一体何が?………。』

この本の解説によると、
三島が死を決意したのを、正確に指摘することは誰にも不可能だけれども、
彼がこの「暁の寺」に着手し始め、
やがて完結するまでの期間が、この事件遂行(割腹自刃)にとって、
決定的な意味を持つ時間であったことは、疑いようがない、
このように指摘されています。

う〜ん、ということは、
「死の決意」と「唯識思想」には関連があったということなのですか…?
私には、全く持って理解不能の世界です。

唯識の本当の意味は、われわれの一刹那において、
 この世界なるものがすべてそこに現れている、ということに他ならない。
 しかも、一刹那の世界は、次の刹那には一旦滅して、又新たな世界が立ち現れる。』
何回も、この文章の意味を理解しょうとしましたが、結局諦めました。

話題を転じて、この本には、短文な箴言が盛りだくさんでした。
そのうちの幾つかを書き残しておきます。

 ・何かにつけて青年が未来を蝶々するのは、
  ただ単に彼らがまだ未来をわがものにしていないからにすぎない。

 ・天災地変は別として、歴史的生起というものは、
  どんなに不意打ちに見える事柄であっても、実はその前に永い逡巡、
  いわば愛を受け容れる前の娘のような、気の進まぬ気配を伴うのである。

 ・成功にあれ失敗にあれ、遅かれ早かれ、
  時がいずれは与えずにはおかぬ幻滅に対する先見は、
  ただそのままでは何ら先見ではない。
  それはありふれたペシミズムの見地にすぎぬからだ。
  重要なのは、ただ一つ、行動を以てする、死を以てする先見なのだ。

 ・転生のもっとも深い心理的源泉は「恍惚」。

 ・この世には道徳よりもきびしい掟がある。

 ・真の危険を犯すものは理性であり、その勇気も理性からだけ生まれる。

 ・怠惰の言訳としてしか言葉を使わぬ人間がいる。

 ・人は望ましいことの予兆なら決して見逃さないものだ。

 ・必要から生まれたものには、必要の苦しさが伴う。

ふぅ〜、疲れました。今回はここまでとします。

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)