6月定例県議会の最中、忙しい日々を過ごしています。
さて、今日の日経新聞「孫たちの戦後70年」は、
歴史学者・中島岳志さんの『理想社会をあきらめよう』でした。
ちょうと刺激的というか、逆説的なタイトルに惹かれて記事を読みはじめ、
次の文章にたどり着いて、ようやくその意味するところが理解できました。
『その「理想」と「志」は自国と他国に多大な犠牲をもたらして失敗した。
同じ過ちを繰り返さないためには「理想社会の現実化など無理なんだという、
積極的なあきらめを持つことだ」と主張する。
「人間が不完全である以上、
不完全な社会をどこまでも生きて行かざるを得ないのだから」』
その「理想」と「志」とは、
「一部の青年が天皇を中心とした理想国家の樹立、
世界の統一に燃えていった戦前日本のプロセス」を指すようです。
また、中島さんは、
インドの革命家、ラース・ビハーリー・ボースの長女、
哲子さんから聞いた「平凡に暮らせよ」という言葉が
忘れられないと述べられていました。
戦前の日本に亡命し、
45年に祖国の独立を見ることなく客死したボースは、
最晩年、空襲警報が鳴り響く東京で、この言葉を言い残したそうです。
そのうえで、中島さんは、
『隣人と日々平和にやっていくことの裏には、
人類が積み重ねてきた膨大な経験知や常識が隠れている。
平凡に生きることは、実は途方もなく非凡なことなのだと、
ボースは伝えたかったんだと思う』と述べらていました。
とても重みのある言葉だと思いました。
なにげなく過ごす日常にも、
私たち祖先が積み重ねてきた経験知や常識が隠れているという指摘に、
目が覚める思いがしました。