しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「1985年」という年

今日12日の全国紙の一面コラムは、
そのほとんどが30年前の日航ジャンボ機墜落に関する記事でした。

そのコラムの一つ、産経新聞「産経抄」には、
「かんべえ」さんの40周年周期説が、次のように紹介されていました。

エコノミスト吉崎達彦さんによると、
 日本の国運について、40年周期説なるものがある。

 1868年の明治維新から1904年の日露戦争までが、上り坂。
 それから1945年の第二次世界大戦終戦までが、下り坂。
 戦後から40年間は、再び上り坂だった。

 つまり「1985年こそが、
 日本人が最後に『坂の上の雲』を仰ぎ見た年だった」という(『1985年』新潮新書)。
 時代の大きな変わり目とあって、プラザ合意をはじめ、
 日本人にとって忘れがたい出来事が次々に起こった年だった。

 なかでも衝撃的だったのは、
 坂本(九)さんが乗っていた日航ジャンボ機の墜落事故である。
 520人が亡くなるという、単独の航空機事故としては、史上最悪となった。』

「1985年」という年は、その年に30歳になる私にとっても、
忘れがたい出来事が次々に起こった年でした。

1月には、高校時代からの無二の親友が、交通事故で亡くなりました。
4月には、その悲しみが癒えない中、最愛の娘が誕生しました。
9月には、夜中に突然腹痛を起こし、
救急車で運ばれた病院で十二指腸と胃の一部を切除しました。
潰瘍で十二指腸に穴が開いたのが原因でした。

このように、個人的にも激動の年であった「1985年」の8月に、
日航ジャンボ機の墜落事故は起きました。

そのほか、10月には阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグを制覇し、
11月には日本シリーズ西武ライオンズに勝ち、日本一になりました。

国際的には、9月にG5がプラザ合意。
この後、日本は円高不況を経て、バブル景気と向かいます。

先ほどの40年周期説によると、「1985年」に生まれた娘は、
ずっと下り坂の日本を見て育ったことになります。

でも、あと10年で底をつきます。
その底は2025年(平成37年)。もう少しの辛抱です。

これ以降の日本は、英知を結集して課題を次々と解決し、
再び「坂の上の雲」を仰ぎ見ることができると私は固く信じています。