しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

永遠に生きるために

私の職場では、職員の親族の通夜や告別式をお知らせする

「回章」というものが庁内LANで回覧されます。

最近、その回章を読んで気づくのは、

「家族葬を執り行うので会葬や香典を辞退します」

という事例が多くなったということです。

 

ところが、日経新聞電子版に掲載された

一条真也の人生の修め方」というコラムを読んで、

最近は、家族葬を通り越して、通夜も告別式も行わずに、

遺体を火葬場に直行させ焼却する「直葬」や、それをさらに進め、

遺体を焼いた後、遺灰を持ち帰らず捨てる「0葬」があることを知りました。

 

う~む…。「葬儀をしない」という選択肢があることに、正直驚いてしまいます。

少子化が急速に進展し、家族そのものの存在が希薄化するなか、

このような手法が、これからの時代、主流になっていくのかもしれません。

 

しかし、一条さんは、葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は、

ナチス・オウム・イスラム国の巨大な心の闇に通じており、

直葬」や「0葬」は危険な思想をはらんでいると指摘されています。

 

そして、有限の存在である「人」は、

葬儀によって無限の存在である「仏」となること、

葬儀とは「不死」のセレモニーであり、人は永遠に生きるために葬儀を行うのだと、

その意義を述べられています。

 

冠婚葬祭チェーンの社長さんであることを割り引いても、

一条さんが述べられていることには説得力があり、

死者を弔うことは「人の道」であると、私もそう思います。

 

ただ、よくよく考えてみるに、

亡くなった本人にとっては、弔い方を知るすべがありません。

人が「永遠に生きること」も「人任せ」であることに気づきますが、

そうはいっても、なんとか無事に成仏をさせてもらいたいものです。