今日7日の日経新聞「春秋」に掲載された次の文章を読んで、
「わが家の奥様」のことを考えました。
少し長くなりますが、引用させていただきます。
損害賠償請求訴訟の最高裁判決にも、長男の妻の苦労が記されている。
男性は愛知県に、長男は横浜市に住まいがあった。
男性の症状が進み、その妻も高齢であるため、
02年以降、長男の妻が1人で男性宅の近くに引っ越し、
デイサービス利用時以外の介護を担った。
判決には、徘徊(はいかい)させない工夫や粗相の後始末など
献身的な日々がつづられ、胸を打つ。それは、07年末の事故直前まで続いた。
亡くなった男性には4人の子がいたが、
長男とその妻以外は介護に関わった形跡はない。いろいろな事情があったのだろう。
江戸のお白州なら人情味ある奉行が「単身赴任」までした妻を
大いにねぎらったかもしれないが、
権利や義務の考量に専心する現代の裁判所の仕事ではない。
代わって無私の5年余に頭を下げたい。』
さて、私の妻は昭和58年3月、長男の私に嫁いできました。
当時、私の家の家族構成は、父と母、祖母、大学生の弟、そして私…。
妻の御両親や兄達は、私が長男なので苦労するのが見えているから、
結婚には反対していたそうです。
母や祖母の時代と一緒にはできないけれど、その予言のとおり、
妻は同じ世代の女性と比べると、苦労をしてきたのは間違いありません。
例えば、
・私の母が病弱だったので、毎週のように自宅から実家に通ったこと
・親戚が多いため、そのお付き合いで何かと気苦労があったこと
・母と祖母が相次いで亡くなり、頑固な父と同居してからは、
人生観や価値観の相違から、その父と衝突することが多かったこと
・孫娘が生まれてからは、孫娘の世話も一手に引き受けてきたこと
う~む、例を挙げるときりがありません……。
さらに、今年米寿を迎える父が、この先、体力が衰えていくことを考えると、
妻への負担はさらに増していくことが予想されます。
最近の妻の口癖は、
「私はこの家にボランティアにきたようなものだ。」
「私の30有余年の歳月を返してほしい。」などなど……。
その不満の矛先は、当然のことながら常に私に向かいます。
妻には本当に申し訳なく思っていますが、
不器用な私は、上手に立ち回ることができません。
せめて、コラムで書かれていたように、無私の30有余年に頭を下げたいと思います。