しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

記憶力と継承力の貧しさ

昨日24日の日経新聞「風見鶏」は、

『検証なき国は廃れる』というタイトルの記事でした。

 

市場の競争にさらされる企業は、

失敗から教訓を学び、生かさなければ、廃れてしまいます。

この点は国も同じなのだけれども、

日本はなぜか、失敗を深く分析し、次につなげるのが苦手だとして、

記事では、「小切手外交」とやゆされた1991年の湾岸戦争

安保理常任理事国入りに失敗した05年の国連外交、

小泉純一郎首相による2度の北朝鮮訪問などを例にあげて、

外交だけでも、検証すべきできごとはたくさんあると指摘しています。

 

ところが、元幹部を含めた複数の外務省関係者によると、

これらを正式に調べ、総括したことはないらしく、

多くの人が原因にあげるのが、次の2点であると記事には書かれていました。

①日本人の性格上、失敗の責任者を特定し、批判するのを好まない。

②これからも同じ組織で働く上司や同僚の責任を追及し、

 恨まれたくないという心理がみなに働く。

 

そのうえで、日本の組織には、外務省に限らず、多かれ少なかれ、

こうした「ムラ的」な風土があると指摘していました。

はぃ、確かに、日本の組織の「ムラ的風土」については、

これまでも、名著『失敗の本質』をはじめ、

いろいろな書物で、その問題点が指摘されていたように記憶しています。

 

ただ、最近では、国や地方自治体のレベルであれ、民間企業のレベルであれ、

重大な事件や事故が起こったときには、第三者委員会等の客観的な組織を立ち上げて、

失敗の要因を詳細に検証しようとするのが

当たり前になってきたのではないかと私は思っていました。

 

それでも、今回の記事のように指摘されるのは、

第三者委員会には強制力がないことが多く、事件・事故の真因まで迫れない。

②立派な調査報告書を作成してもその場限りで、

 時間が経つにつれ人々の記憶から薄れしまい、次につながらないことが多い。

このどちらか、あるには双方に原因があるのではないかと思います。

 

『日本は先の大戦で、自国民だけで約310万人の命を失った。

 再び、国策を誤ることはないのか。国の検証力の貧しさを考えると、不安になる。』

 

記事の最後は、このように書かれていました。

私は、「検証力の貧しさ」というより、

「記憶力と継承力の貧しさ」のような気がします。