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しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

宗教の本質は物語

読書・文学

NHKテレビテキスト「100分de名著」の『歎異抄親鸞』を読了しました。

いや、とりあえず読了したことにしておきます。

ちなみに、ゲスト講師は如来寺住職の釈徹宗さんでした。

 

う~む……、いままで読んだ「100分de名著」のテキストのなかで、

今回のテキストが一番難しかったように思います。

いつもなら、テキストを先に読んで、

それからテレビ番組を見るのですが、今回は全く逆のパターンとなりました。

テレビで釈さんの分かりやすい解説を聞いた後にテキストを読んで、

ようやくその内容の理解が進むようになりました。

 

浄土真宗の開祖・親鸞

善人よりも悪人こそが救われるという「悪人正機」や、

自力による修行を否定し

阿弥陀如来の本願力にひたすら身をゆだねることを説く「他力本願」の思想が、

このテキストを読んで、初めてその本来の意味を理解できた次第です。

 

なお、テレビ番組では、やはり最終回の内容が心に残りました。

それは、「物語」こそが「宗教の本質」であることです。

番組HPでプロデューサーの方が、

「こぼれ話」として、上手にその内容を次のようにまとめられていました。

 

『「情報」は人を救えない。

 それは消費の対象で、道具として使われるしかないものだ。

 新しいものが出てきたらすぐに捨てられてしまう。

 それに対して、「物語」は、

 「それは私のために準備されたものだ」と受け止めるもの。

 生き方自体を変え、それに出会うと二度と元に戻れないようなものだ。』

 

『私たちは普段「情報」とばかり接しているけど、 

 それとは質がまったく異なる経験をすることがある。

 それを知ってしまった後では、もう決してその前にはもどれないような、

 一冊の小説、一本の映画との出会いって確かにある。

 「この作品は私だけのためにある」といった体験が。』

 

親鸞の有名な

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに、親鸞一人がためなり」

という言葉は、自分のための教え、自分のために準備された物語に出会う喜び、

そして「救い」を表していて、

この一文には、救済型宗教の根幹の部分があると釈さんは解説されていました。

 

最初、テキストを読んでもチンプンカンプンだったのは、

歎異抄」は「思想書」であり、そして「哲学書」であったからだと、

ようやく気がついた次第です。