しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

自分のかくれ場所

久しぶりに朝日新聞の「折々のことば」について書きたいと思います。

 

昨日11日の「折々のことば」は、ヨハン・フィッシュアルトの

『家屋はたしかに安全性を保障するもの、

 嬉(うれ)しいにつけ、悲しいにつけ、いつもかくれ場所』という言葉で、

鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

『家は、人がおびえることなく身をほどき、くつろげる場所。

 強い信頼で結ばれ、「われわれ」という親密な関係の中に浸れる場所だ。

 けれども「兄弟は他人のはじまり」と言われるように、

 それは、深刻な葛藤が生まれ、たがいに他者であるということが

 至近距離で思い知らされる場所でもある。

 O・F・ボルノ ウが「人間と空間」で引いている16世紀ドイツの詩人のことば。』

 

私は「折々のことば」を、朝日新聞のデジタル版で読むのを日課にしています。

毎日、鷲田さんの含蓄に富む解説を楽しみにしているのですが、

昨日の解説は、深く考えさせられるものがありました。

 

我が家は、私と妻、そして私の父の三人家族なのですが、

シングルマザーである娘が孫娘を連れて、一週間のうち半分以上、

泊まりがけでやって来て、泊まった翌日は、

娘と孫娘は、我が家からそのまま職場と保育園に直行します。

 

私が想像していた定年後の自分の姿は、

父を看取った後、妻と二人でのんびりと暮らしている日々でした。

娘は結婚して家を出て、年に一度か二度、

県外から孫を連れて帰省するような、そんな家族像を思い描いていました。

 

ところが、現実は、

一週間のうち、ほとんどの日々を四世代の家族が一緒に暮らし、

朝などは戦場のような慌ただしさとなります。

ですから、いくら血を分けた家族といっても、

ちょっとしたことで諍いを起こしてしまうのが実情なのです。

 

そんな状況に半ば閉口しているとき、この「折々のことば」に出会いました。

よそ様から我が家を見ると、

4世代が仲良く暮らしているように見えるかもしれませんが、

鷲田さんのご指摘のとおり、家というものは、

「深刻な葛藤が生まれ、たがいに他者であるということが

至近距離で思い知らされる場所」でもあるのです。

 

家の中で自分の「かくれ場所」を見つけるのは結構大変です…。(苦笑)