昨日のこの日記で、
40年、50年を過ぎた後の結婚生活の言い表し方が
なかなか思いつかないことを書きました。
そうしたところ、今日の朝日新聞「折々のことば」に、
『とても静かな、食うか、食われるか』という言葉と、
鷲田清一さんの次のような解説がタイミング良く掲載されていました。
『夫の心身の不調を十数年見つづけてきた妻が、
夫の快復とともに精神に変調をきたしはじめた。
彼は「この身が生きのびるために
言葉や態度に載せて排出した毒を吸ってくれる者がいて、
だからこそいまこうして生きて在ることの罪業の深さ」を思い知る。
支えあうというのは身を削りあうこと。
時とともに重しのかかる場所は移る。短編小説集「先生のあさがお」から。』
この解説の中の、「支えあうというのは身を削りあうこと」と
「時とともに重しのかかる場所は移る」という言葉は、
とても重みのある言葉だと思います。
そして、ふと、
私の「40年、50年を過ぎた後の結婚生活の言い表し方」が思い浮かびました。
もし生きていれば、それはおそらく、「懺悔(ざんげ)」ではないか……と。
そういえば、「ざんげ」といえば、
北原ミレイさんの「ざんげの値打ちもない」という名曲がありました。
♪ そしてこうして暗い夜 年も忘れた今日のこと
街にゆらゆら灯りつき みんな祈りをするときに
ざんげの値打ちもないけれど 私は話してみたかった
私の場合、「値打ちのあるざんげ」になればいいのだけれど……。