しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

歌と語りの文学

今日17日の愛媛新聞「現論」に、宗教学者山折哲雄さんが、

『ディラン ノーベル賞 政治の腐臭に抗する詩』

というタイトルの論考を寄稿されていました。

 

山折さんによると、ボブ・ディランさんを

現代の「吟遊詩人」ともちあげる人がいるそうです。

「吟遊詩人」という、普段は聞き慣れない言葉が登場したので、

「どういう意味だろう?」と一瞬考えたのですが、

このあとに続く次の文章を読んで、深い意味があることが分かりました。

 

『まさに政治の言葉が風化するときこそ、

 その隙間を埋めるかのように詩の言葉が空を飛ぶ。

 政治の言説が土着の腐臭を発して保守化するときこそ、

 詩の切っ先がプロテスト(抗議)の噴気を吐き出し、

 万人の心を射抜く韻律とリズムをつむぎだす。

 さて、放浪する吟遊詩人ということでいえば、

 何もホメロスをもちださなくともよい。

 この日本にも万葉集柿本人麻呂がいたし、中世の西行、近代の良寛など、

 豊かな詩の鉱脈を伝える先人たちがいたし、その鮮やかな姿がすぐにも思い浮かぶ。

 かれらはホメロスのように放浪し、

 ボブ・ディランのように歌いつづけて倦(う)むことがなかった。

 人麻呂の長歌西行の和歌、良寛の和歌や漢詩を口ずさめばすぐにもわかるが、

 その詩の言葉にこめられた千々に乱れる思いの深さはたとえようがない。

 そのはげしい思いを言葉にのせる詩の伝統はまた、

 平安時代の今様歌謡、中世の平曲や謡曲、そして近世の義太夫といった

 語りの文学を生む母胎だったのである。』

 

う~む……、まいったな…。

ボブ・ディランから人麻呂、西行良寛へと発展するとは思いませんでした。

再び山折さんによると、

人麻呂も西行良寛も、古今東西の知識に通じていたにもかかわらず、

言葉を主軸に置く散文らしきもの評論らしきものを

何ひとつ残さなかったとのことで、

「それが歌と語りの文学が最後まで守りつづけた矜持であり、

誇りだったと思う」と述べられています。

 

これは一体、どのように理解すればいいのでしょう?

自分や政治・社会の「生き様」、あるいは「態様」に関して、

長々と「自説の展開」や「言い訳」はしなかったという理解でいいのでしょうか?

あまり深く考えると今夜も眠れそうにないので、この辺でもうやめます…。